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訴訟事例は未確認。「女性へのAED使用で強制わいせつに」というデマは誰が発信したのか?

2004年7月に一般使用が解禁されたAED(自動体外式除細動器)。しかし「とある理由」が人々に緊急時の人命救助を躊躇させているのも事実です。今回のメルマガ『ジャーナリスト伊東 森の新しい社会をデザインするニュースレター(有料版)』では著者の伊東森さんが、「女性へのAED使用が強制わいせつに問われる」という情報の真偽を検証。さらにAEDの円滑な運用を促すために日本に導入すべき「善きサマリア人の法」について解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:女性にAEDで救命措置で「強制わいせつ」問題の本質 「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」に日本の医者が応じることのリスク “善きサマリア人の法” 航空各社、2016年より医師登録制度をスタート

警察も事例を把握せず。「女性にAEDで救命措置で強制わいせつ」問題の本質

心肺停止状態の女性へのAED使用に関し、「セクハラで訴えられるのでは」という懸念がSNSなどで広がっている。しかし、実際にそのような訴訟事例は確認されておらず、この誤った認識は2017年に架空の会社が発信したデマが発端とされている(*1)。

この根拠のない懸念が、結果として女性へのAED使用率低下を招いている。京都大学の研究によると、高校生の心停止事例では、女子生徒へのAEDパッド装着率が男子生徒より約30ポイント低いことが判明。女性の服を脱がせることへの抵抗感や、セクハラで訴えられる不安が要因とされている(*2)。

さらに、日本では救助者を法的に保護する「善きサマリア人の法」が導入されていない点も課題だ。この法律は、緊急時に善意で救助活動を行った人が、結果的に被害者を救えなかった場合や軽微なミスをした場合でも、法的責任を問われないようにするもの(*3)。

アメリカ、カナダ、オーストラリアなどでは導入されているが、日本では未施行のため、救助をためらう要因となっている(*4)。今後、この法整備がAED使用率向上に寄与する可能性がある。

AEDの使用に関する訴訟やセクハラの懸念についてのデマ

  • 警察庁は、女性にAEDを使用したことで男性が訴えられた事例を把握していない
  • 弁護士による判例検索でも、AED使用で訴えられた事例は見つかっていない
  • 救命目的でのAED使用は、不同意わいせつ罪に該当する可能性は極めて低い
  • 民事訴訟でも、救命目的のAED使用で勝訴する可能性は非常に低いとされている
  • 法学者は、AED使用時にわいせつな気持ちを持つ余裕はないため、刑事罰を問われる可能性はほぼないと説明している
  • 厚生労働省の報告書によると、救命活動に関わる行為は損害賠償責任が問われないとされている
  • 多くの弁護士やAED・救命の専門家が、痴漢やセクハラで訴えられる可能性は限りなく低いと述べている
  • 「女性に心肺蘇生術をしたらセクハラで訴えられる」というSNSの投稿はデマであることが確認されている
  • AED使用をためらうことで、女性の命を脅かす事態を招く可能性があるため、必要な場合はためらわずに使用すべきとされている。

記事のポイント

  • AED使用時のセクハラ訴訟懸念はデマが発端であり、この誤解が女性へのAED使用率低下を招いている。
  • 日本には救助者を法的に保護する「善きサマリア人の法」がなく、導入の必要性が議論されている。
  • JALとANAは機内医療対応のため医師登録制度を導入したが、法的保護の不備が課題となっている。
 

欧米諸国では導入済み。「善きサマリア人の法」とは?

「善きサマリア人の法」は、緊急時に善意で救助活動を行った人が、被害者を救えなかった場合や過失が生じた場合でも、法的責任を免除する法律である。目的は、人々が安心して救助活動を行える環境を整えることにある。

具体的には、急病人や負傷者を救おうと、善意により良識的かつ誠実な行動を取った場合、失敗してもその責任を問われない(免責する)という趣旨が含まれている。

法律の名称は、新約聖書の「善きサマリア人のたとえ」に由来する。このたとえ話では、強盗に襲われた傷病者を通りがかったサマリア人が助けたことが描かれており、民族や身分を超えて困っている人を助ける重要性が説かれている。

「善きサマリア人の法」は、1959年にカリフォルニア州で初めて導入され、その後1987年までに全米50州とコロンビア特別区に広がった。この法律には主に2つのタイプがある。多くの州で採用されている「支援型」は、救助者の法的責任を免除し、自発的な救命措置を促すもの。一方、「制裁型」は、その場にいる人に救助義務を課し、救助を怠った場合に罰則を科す。

国際的には、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで類似の法律が施行されており、地域によって救助義務の有無や免責の範囲が異なる(*5)。

善きサマリア人の法について

  • 急病人や負傷者を救助しようとする善意の行為に対して法的保護を与える法概念
  • 救助者が善意で行動した場合、たとえ結果的に被救助者の状態が悪化したとしても、重大な過失がない限り責任を問われない
  • アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで施行
  • 誤った対応で訴えられる恐れをなくし、傷病者の救護を促進することが目的
  • 名称の由来は聖書のイエス・キリストが語った「善きサマリア人のたとえ」に基づく
  • 日本でも2025年2月現在、この法律の導入について議論が行われている
  • 食品寄付の分野でも適用され、善意の寄付による食品事故の免責を定める国もある
  • 日本でも食品寄付に関する法改正が検討されており、フードバンクやこども食堂などへの適用が議論されている

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日本に「善きサマリア人の法」が未導入の理由

「善きサマリア人の法」は、日本では導入されていない。その理由の一つは、現行法制度での対応の可能性にある。日本の民法第698条には「緊急事務管理」という規定があり、これが善きサマリア人の法と類似の機能を果たすと考えられている(*6)。

この規定によれば、他人の生命や財産に対する急迫の危険を避けるために行動した場合、悪意または重大な過失がない限り、損害賠償責任を負わないとされている。この既存の法律が、ある程度の範囲で救助者を保護する役割を果たしているため、新たな法律の制定の必要性が低いと判断されてきた。

しかしながら、緊急事務管理の規定だけでは不十分だという声も存在。善きサマリア人の法の導入を支持する人々は、現行法では救助者の保護が十分でないと主張する。例えば、医療専門家が緊急時に最善の措置を取れなかった場合の法的責任の問題や、一般市民が救助を躊躇する心理的障壁の存在などが指摘されている。

善きサマリア人の法の導入に関する議論は、日本でも過去に行われてきた。1994年に旧総務庁の委員会で検討されましたが、当時は現行法で十分対応できるとの結論に至る(*7)。しかし、その後も議論は続いており、2017年の時点でも、緊急事務管理の規定が十分な範囲をカバーできているかどうかについては、まだ明確な判例の蓄積がないことが指摘されている。

「善きサマリア人の法」、各国における適用状況

  • アメリカ合衆国:ほとんどの州で善きサマリア人の法理に基づく制定法が存在
  • カナダ:州レベルで定められている
  • オーストラリア:ほとんどの州で善きサマリア人の法による救護者の法的保護がなされているが、適用範囲は州によって異なる
  • フランス:危険にさらされている人を救助するか、少なくとも助けを求めることが法律で義務付けられている。また、市民救助者の介入によって損害が生じた場合、重大な過失または故意の過失がある場合を除き、すべての民事責任が免除される
  • ドイツ:救護が必要な人に応急処置を提供しなかった場合、刑法323条に基づいて処罰される可能性がある。ただし、状況が悪かったり、応急処置が提供できなかったことで救護できなかった場合は起訴されない
  • アイルランド:2011年の民法改正で「善きサマリア人」またはボランティアの救護結果に関する法的責任が免除。ただし、悪意によるものや重大な過失については別途考慮される
  • 日本:2025年2月現在、善きサマリア人の法に該当する法律は存在しない。ただし、民法698条の「緊急事務管理」の規定が類似の機能を果たすとされている

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JALとANAが急病人対応の迅速化のため導入した制度

JALとANAは2016年に機内での急病人対応を迅速化するため、医師登録制度を導入した。JALは2016年2月に「JAL DOCTOR登録制度」を開始(*8)。この制度は、日本医師会の提案を受けて構築され、国内の航空会社として初めて導入された試みである。

この制度の目的は、機内で急病人が発生した際、事前に登録された医師に客室乗務員が直接協力を要請し、迅速な応急措置を行えるようにすることだ(*9)。ANAも同年9月に「ANA Doctor on board」を導入(*10)。ANAでは7月から医師の募集を開始し、9月より国際線で運用を開始した。対象は、日本の医師免許を保有するANAマイレージクラブ会員である(*11)。

両社が制度を導入した背景には、機内での医療対応の必要性が高まっていることがある。例えば、JALでは2019年度に596件の機内医療対応が発生し、そのうち191件で医師の協力が求められた(*12)。この登録制度により、従来の「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」というドクターコールを行わずに、登録医師へ直接協力を依頼できるようになった(*13)。

しかし、この制度にはいくつかの課題も存在する。最大の問題は、機内で医療行為を行った医師の法的保護が不十分である点だ。現行制度では、医師が機内で診療行為を行った際の責任の所在が曖昧であり、訴訟リスクを懸念して協力をためらう可能性がある(*14)。

JAL DOCTOR登録制度

  • 日本医師会発行の医師資格証を持つJALマイレージバンク会員の医師が対象
  • 登録医師は、JALのウェブサイトから事前に登録を行う
  • 機内で急病人が発生した場合、通常のドクターコールの前に、まず登録医師に援助を依頼
  • 登録医師の情報(医師であることと主な診療科の2情報のみ)が搭乗便の客室乗務員に伝えられる
  • 登録医師には、JALのラウンジサービス利用などの特典が用意されている
  • JALは、ドクターコールに応じた医療従事者の賠償責任をカバーする保険に加入している

ANA Doctor on boardについて

  • 2016年9月から国際線を中心に運用を開始した医師登録制度
  • ANAマイレージクラブ会員で日本の医師免許を持つ医師が対象
  • 機内で急病人が発生した際、通常のドクターコールをせずに登録医師に直接協力を依頼できる
  • 登録には医師免許証のコピーと顔写真付きの身分証明書が必要
  • 登録医師の情報(医師であることと主な診療科)が客室乗務員に伝えられる
  • 登録医師でも体調不良などの理由で対応を辞退することができる
  • 医療行為による損害賠償責任が発生した場合、故意または重過失を除き、ANAが対応する
  • 機内の医療物品についての詳細情報を公開し、登録医師が事前に確認できるようにしている
  • 制度導入により、迅速な救急医療処置と他の乗客の不安軽減を目指している
  • 登録医師がいない場合や対応できない場合は、従来通りのドクターコールを実施する

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【関連】なぜ、致死性の高い殺虫剤の入手が困難になると自殺の救命率が上がるのか

引用・参考文献

(*1)「【弁護士に聞いてみた】AEDを使ってセクハラになる可能性ってありますか?」AEDガイド 2023年3月31日

(*2)「女性に対するAEDの使用について知っておきたいこと」旭化成ゾールメディカル 2025年2月7日

(*3)竹内想「『善きサマリア人の法』とは?医師の免責をとりまく日本の現状を解説|医師向けお役立ち情報」ドクタービジョン 2023年11月14日

(*4)「【女性とAED】法的不安を解消するための『善きサマリア人の法』」EDガイド 2024年2月28日

(*5)竹内想「『善きサマリア人の法』とは?医師の免責をとりまく日本の現状を解説|医師向けお役立ち情報」ドクタービジョン 2023年11月14日

(*6)竹内想「『善きサマリア人の法』とは?医師の免責をとりまく日本の現状を解説|医師向けお役立ち情報」ドクタービジョン 2023年11月14日

(*7)竹内想「『善きサマリア人の法』とは?医師の免責をとりまく日本の現状を解説|医師向けお役立ち情報」ドクタービジョン 2023年11月14日

(*8)「『お客さまのなかにお医者さまは』不要 医師登録制度開始 JAL」乗りものニュース 2016年2月5日

(*9)「『お客さまのなかにお医者さまは』不要 医師登録制度開始 JAL」乗りものニュース 2016年2月5日

(*10)「ANA、医師登録制度『ANA Doctor on board』を9月運用開始」トラベル Watch 2016年5月26日

(*11)「ANA、医師登録制度『ANA Doctor on board』を9月運用開始」トラベル Watch 2016年5月26日

(*12)「『機内にお医者様はいらっしゃいますか』はもう聞かない? ANA、JALの新施策」Forbes JAPAN 編集部 2021年8月20日

(*13)「ANA、医師登録制度『ANA Doctor on board』を9月運用開始」トラベル Watch 2016年5月26日

(*14)「『お客様のなかにお医者様はいらっしゃいませんか?』で実際に医師が対処した結果、わかってきた問題点とは?」Gigazine 2016年9月6日

(『ジャーナリスト伊東 森の新しい社会をデザインするニュースレター(有料版)』2025年2月23日号より一部抜粋・文中一部敬称略)

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伊東 森(いとう・しん): ジャーナリスト。物書き歴11年。精神疾患歴23年。「新しい社会をデザインする」をテーマに情報発信。 1984年1月28日生まれ。幼少期を福岡県三潴郡大木町で過ごす。小学校時代から、福岡県大川市に居住。高校時代から、福岡市へ転居。 高校時代から、うつ病を発症。うつ病のなか、高校、予備校を経て東洋大学社会学部社会学科へ2006年に入学。2010年卒業。その後、病気療養をしつつ、様々なWEB記事を執筆。大学時代の専攻は、メディア学、スポーツ社会学。2021年より、ジャーナリストとして本格的に活動。

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