僕の講演会によく来てくれるNさんから、数年前にある小冊子をいただいた。
それは、伊丹にある本屋さんブックランドフレンズの店長、河田さんとNさんのやりとりをまとめた「こんぶ店長の一言」という小冊子だ。
ちなみに河田さんは「こんぶ店長」と呼ばれている。
その中にこんなエピソードがあった。
Nさんがブックランドフレンズにいくと、こんぶ店長が、
「いいところに来た。手伝って」
とNさんに。
何をしているのかと思えば、どうやらサランラップが途中で二股に切れて端がわからなくなってしまったらしい。
その端を見つけるのに悪戦苦闘している最中だった。
Nさんは何気なく、
「ネットで調べてみますよ」
とスマホを取り出したんだけど、間髪入れずにこんぶ店長が、
「すぐに調べない!」
と一喝したんだそう。
そこから二人でラップの端をどうやったら見つけられるか、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返したというお話。
できるだけ早く問題解決をするのがいいことという価値観だと、ネットで調べるというのが一番いいのかもしれないが、一緒にあれこれ考える時間が楽しいという価値観だと、すぐにネットで調べるというのが一番ダメな方法だと言える。
こんぶ店長の「すぐに調べない!」という言葉に「はっ」とさせられるという人は多い。
それほど僕たちは、わからなければネットで調べるのが当たり前の日常に生きているとも言える。
「自分が何に向いているのかがわからない」
という悩みを抱える人は多いが、それが簡単にわかる人などいない。
だから、
「わからないから動けない」
という人は、いつまで経っても動けない人になってしまう。
どうして簡単にはわからないのか。
それは出会った人が教えてくれるものだからだ。
それも一人や二人じゃわからない。データが少なすぎるのだ。
自分が出会った何十人、何百人もの人たちから教えてもらってようやく、
「どうやら、自分はこれに向いているようだ」
ということがわかってくる。
そういう性質のものだ。
僕自身、自分が向いていることが何かを知るまでにものすごく長い時間がかかっている。
意外かもしれないが、いまだに作家に向いているかどうかも自分ではわからない。ただ、どうやら作家に向いているらしいとは思っている。なぜならこれまでに何千人という人たちから、
「本を書いてくれてありがとう」
「この作品を世に出してくれてありがとう」
という感想をいただいたからだ。それがなければ今でもわからないままだっただろう。
自分が思う「自分はこれに向いている」ことは、往々にして独りよがりであることが多い。
実はあまりそれに向いていないと周りは思っていたりする。
「私は学級委員やキャプテンなどみんなをまとめる役割に向いている」
と思い込んでいる人が、実はあまりいいリーダーじゃないという例を見たことがあるだろう。
先生という仕事も同じで、
「私は先生に向いている」
と思っている人ほど、生徒の生きる力を奪っていたり、考える力を奪っていたり、独善的に命令して、自分のやっていることで生徒が喜んでいると思い込んでいるということがよくある。
「自分では向いているかどうかわからないから必死で勉強して、成長しようとしています」
そういう人の方が、周りから「向いている」と言われるというのは、どの職業においても当てはまることだろう。
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