極めて現実的なものだった小泉政権時の「骨太の方針」
…そんなわけで、良く耳にするこの「骨太の方針」という言葉ですが、最初に使ったのは2001年6月、当時の小泉純一郎首相でした。小泉首相が「聖域なき構造改革」のために内閣府に設置した「経済財政諮問会議」での議論を、当時の宮澤喜一財務相が「骨太」と表現したことから、この会議を経て閣議決定された「経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」を「骨太の方針」と呼ぶようになったそうです。これが、クルクルバビンチョパペッピポ、ヒヤヒヤドキンチョのモ~グタン!…というわけで、この言葉の『はじめて物語』でした。
小泉首相の懐刀で、第2次安倍内閣から現在の石破内閣まで内閣官房参与をつとめて来た飯島勲氏の著書『小泉官邸秘録』によると、当時の小泉首相は「骨太の方針」について、次のように説明したそうです。
小泉純一郎首相 「骨太の方針というのは大きな傘みたいなもんだ。総論をしっかり抑えて、その下に各省の改革プログラムを組み込んでいく。そうすればみんないやでも改革案を考えざるを得なくなる。
この言葉の通り、確かに小泉政権の時の「骨太の方針」は、極めて現実的なものでした。まずは総論を作成し、各論の実施プロセスを各省庁に作成させ、定期的に進捗状況を報告させながら、政策全体の進行を管理していました。そのため、政策の実現率が高く、たとえ政権が変わったとしても「骨太の方針 第2弾」として、次の首相にバトンタッチされて行きました。
しかし、2012年12月に第2次安倍政権がスタートすると、この「骨太の方針」には、実現のための具体策がない「絵に描いた餅」ばかりが書き連ねられるようになったのです。第2次安倍政権1年目の「骨太の方針」には、今も全国民が尻ぬぐいさせられている「アベノミクス」の3本の矢のうちの第1の矢「大胆な金融政策」が堂々と掲げられています。
ここには「日本銀行は消費者物価の対前年比上昇率2%を物価安定目標とし、できるだけ早期にこれを実現する」と明記されています。安倍首相が日銀の白川総裁と首をすげ替えた黒田東彦総裁も「2年で2%を達成できなければ辞任する」とまで述べました。しかし、安倍首相がラッパを吹いた「黒田バズーカ」は、何度発射しても不発でした。それなのに、黒田総裁は2年どころか2023年まで10年間も居座り続けたのです。
翌2014年の「骨太の方針」では「アベノミクスのこれまでの成果」として「三本の矢の効果で実質GDPがプラス成長」などと書かれています。しかし、これはあたしが以前から指摘しているように、GDPの試算にこれまで加えなかった不動産売買や設備投資などを片っ端から上乗せした「水増しデータ」によるペテンなのです。それなのに安倍首相は「三本の矢によって経済の好循環が動き始めたので、さらにアベノミクスを加速させていく」などと大ボラを吹いて自画自賛しています。
翌2015年の「骨太の方針」では「三本の矢によってデフレ脱却・経済再生と財政健全化は双方ともに大きく前進した」などと現実とは大きく乖離したファンタジーが明記された上、トドメに次のフレーズが垂れ流されました。
実質GDPの成長率は、平成25年度の2.1%の後、平成26年度は消費税率引上げの影響等からマイナス0.9%となったが、今後については堅調な成長が予想されている。
水増し試算をしてもマイナスなのだから、実際には0.9%どころか2%を超えるマイナスなのに、何の根拠もなく「今後については堅調な成長が予想されている」などと抜かす無責任ぶり。あたしは今でもハッキリと覚えていますが、2014年4月に消費税を5%から8%に引き上げた直後、安倍首相と当時の麻生太郎財務相は口をそろえて「一時的に消費が冷え込むが、3カ月ほどでV字回復する」と断言したのです。
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