大統領就任前からウクライナ戦争の終結に絶対的な自信を見せていたものの、未だ何一つ状況を変えることができずにいるトランプ氏。そんなトランプ大統領はここに来て突如、プーチン大統領に対して「8月8日までの停戦合意受け入れ」を迫る意向を明かしましたが、その裏にはどのような事情があるのでしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、トランプ大統領が「8月」にこだわる理由を考察。さらに今年の8月に起こり得る「国際安保環境の大きな変化」について詳しく解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:国際情勢の熱い8月-分断の深化か?それとも解決に向けたプロローグか?
なぜトランプは「8月」にこだわるのか。国際社会が迎える2025年の“熱い”夏
「8月末までにイスラエルがガザにおける戦闘を停止し、ガザ市民に対する人道支援を全面的に実施しない場合は(誠意が感じられない場合には)9月の国連総会までにパレスチナを国家承認する」
7月24日にフランスのマクロン大統領が宣言し、29日には英国のスターマー首相、そして30日にはカナダのカーニー首相が相次いで宣言し、G7のうち、3か国が大きな外交的方針転換を明言しました。
英国とカナダについては、上記のような「~ならば」という“条件付き”とはいえ、確実にこれまでの対イスラエル方針を変える動きであり、それにはオーストラリアやニュージーランドも賛同する動きを見せています。
24日にマクロン大統領が無条件での国家承認を宣言した際には、トランプ大統領は「特に意味があるとは思わない」と述べたものの、28日に英国のスターマー首相と会談した際に「どのような意思表示をするのも各国の自由であり権利である」と発言したことを受け、29日に英国政府が方針転換に出て、30日にはカナダが追随したという流れになっています。
各国の方針転換の背後には、国際社会からの再三の激しい非難と停戦を求める声に加え、ガザで進む人道危機の深化に対する各国内外からの圧力も存在し、英国に至っては、議員の3分の2がパレスチナを国家承認するべきであるとの姿勢を示したこともあり、スターマー首相としては、28日のトランプ大統領との会談時にトランプ大統領が難色を示さなかったことから、立場表明に至ったのだと推測します。
カナダについても国内からの非難の声が多く、イスラエルに対して非難を行わないカーニー政権に対しての批判の高まりと、カーニー首相自身のスタンスから、カナダも英仏にジョインする形になったようです。
トランプ大統領がこれを気にすることはないかと思いますが、各国ともにアメリカとイスラエルから距離を置く姿勢を示し、「パレスチナ国家承認」というネタニエフ首相が最も嫌うカードを出し、かつ「9月の国連総会までに(または8月末までに)」という期限・猶予を与えることで、ネタニエフ首相にガザへの攻撃を止めさせ、人道的な危機の解消に尽力するように圧力をかけようとしています。
しかし、イスラエル国内では2023年10月7日の案件を受けて、「パレスチナとの共存」という選択肢が支持されることはなく、ネタニエフ政権が極右政党ユダヤの力を巻き込む連立政権であることや、ネタニエフ首相自身、二国家共存を馬鹿げたアイデアとこき下ろし、オスロ合意を無効にしていることからも、欧州およびカナダからの圧力に応えることはないと考えます。
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あらゆる公約が未解決のままで方向性を見失ったトランプ外交
また極右の筆頭ベングビール文化大臣は、最近、ネタニエフ首相が、国際的な圧力とトランプ大統領からの「ガザの人々が飢えていないというネタニエフのウソは信用しない」と発言し、即時に人道支援を強化するように命じたことを受けて行ったガザ地区への支援物資の空中投下や人道回廊の設置などに合意したことを激しく非難し、「これ以上の屈辱的な譲歩を行う場合には連立を離脱し、ネタニエフ首相を退陣に追い込む」と息巻いているため、ネタニエフ首相としてはこれ以上の軟化は不可能と思われ、ベングビール氏が推し進めるガザ全域とヨルダン川西岸地域のイスラエルへの編入とパレスチナ人の追放という、非常に危険な方向に進む可能性がまた高くなってきているように感じます。
さらに、イスラエルがシリアやレバノンに対しても、いろいろな理由をつけて攻撃を止めないことや、イランに対してサプライズ攻撃を仕掛け、執拗に核施設のみならず、政府機関や公共の施設などに攻撃を加えたことに対して、欧州各国は、国内からの強い非難を受けて、イスラエルを非難せざるを得ず、建前として「法による支配」の重要性や「武力によらない外交による紛争解決」の重要性を訴える手前、経済的な措置を含む非軍事的な手法を駆使してイスラエルに圧力を加え、イスラエルの後ろ盾となっているアメリカ政府、特にトランプ大統領に対して「これ以上、欧州はアメリカとは行動を共にできない」旨、伝えています。
このメルマガが皆さんのお手元に届くころ、国連安全保障理事会では「パレスチナの国家承認」について議論し、審査する緊急理事会が開かれていることと思いますが、その際、アメリカ政府はVeto(拒否権)を投じて反対の意を示すのか、それともAbstention(危険)して、反対はしつつもイスラエルに対する“怒り”を示すのか、とても見ものです。
現在、アメリカの外交フロントと言えば、トランプ関税を巡る各国との最終的なやり取りが真っ先に思い浮かぶかと思いますが、ロシア・ウクライナ戦争や中東危機の仲介および停戦といった、就任前から掲げる公約案件が未解決のまま、方向性を見いだせずにいます。
ロシア・ウクライナ戦争については、当初、プーチン大統領との個人的なつながりを重んじ、かつバイデン政権の方針を覆すために、誰の目から見てもロシア贔屓の内容をウクライナに押し付けようとしていましたが、プーチン大統領が一向に停戦のための真剣な話し合いに応じず、トルコの仲介でロシアとウクライナの直接協議を始めることに貢献したものの、ロシアもウクライナも相互に対する攻撃を止めず、ロシアはウクライナ全土への大規模攻撃を加えて、首都キーウをはじめ各都市に多大な被害を与えていることを受け、トランプ大統領はNATOに接近し、プーチン大統領に圧力を加えるべく、ウクライナが切望するパトリオットミサイルの追加供与を、NATOを経由する形ではあっても、約束するというスタンスを取りました。
ウクライナ軍もAI搭載の無人ドローン兵器などを大量投入してロシア国内のターゲットのみならず、ロシアの艦船の破壊を繰り返してロシアに損害は与えていますが、すでに戦死者が100万人に届きそうなほど犠牲を出しているにも関わらず、ロシアは一向に、ウクライナからの攻撃の激化も、トランプ大統領からの圧力・脅しも意に介さず、ウクライナへの攻撃を強めるのみならず、先週号でもお話ししたとおり、アゼルバイジャンとの対峙にも対応しようとしています(つまりまだ余剰戦力があるということを示しています)。
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失敗に終わったトランプの「ウクライナ戦争停戦」の試み
そのような状況を受け、トランプ氏は「ロシアは改心しない」と、当初9月2日まで猶予するとしていた対ロ100%関税とロシア支援国に対する二次関税の猶予を大きく前倒しして8月8日として、プーチン大統領に停戦に向けた具体的な行動をとるように求めていますが、これについても現時点ではロシアからの反応はありません。(カムチャツカ沖の大地震への対応でそれどころではないのかもしれませんが)。
対ロ制裁はすでに、グローバルサウス諸国を中心とした対ロ協力であまり効力がなくなっていますし、今回の2次関税の脅しについても、アメリカを外すための体制が構築されているようで、ロシアが意に介していないだけでなく、その直接的なターゲットになる中国やインド、ブラジルなども、トランプ大統領からの脅しを気にしていないようです。
とはいえ、米中間の第3回関税協議の場で中国の何氏から「ここで相互関税について話し合っている傍で、中国をターゲットにするような2次関税を議論するとは何事か」と不満が述べられ、関税交渉そのものも不発に終わったと聞いていますので、中国はそれなりには意識しているように見えます。
これまでのところ、ロシアとウクライナの直接協議を再開させることに貢献したというプラスはあるものの、アメリカによるロシアとウクライナ戦争の停戦に向けた試みは失敗に終わり、逆に戦争を激化させ、長引かせたように見えます。
では中東危機に対する仲介はどうでしょうか?こちらも八方塞がりと言えるでしょう。
仲介すると言ったものの、カタールやエジプトとは違い、あからさまにイスラエル寄りの立場を取り、イスラエルの行動を正当化するだけでなく、さらに増幅させているのが現実です。
特使に選んだウィトコフ氏もトランプ大統領ばりにイスラエル寄りの発言を繰り返し、「うまくいかないのはハマスのせいだ」と公言してしまうので、調停や仲介の任には向きません(それをネタニエフ首相もよく分かって利用していますし、ロシアのプーチン大統領も同じです)。
イスラエル軍の行き過ぎた攻撃に対してはトランプ大統領も非難するものの、対プーチン大統領と同じく非難と行動を徹底できていないため、ネタニエフ首相に付け込まれて利用されているように見えてきます。
一応、間接交渉とはいえ、ハマスとイスラエルの協議をsettingしつづけているのは評価できるところもありますが、今週に入り、ウィトコフ氏をはじめとする仲介チームをカタールから引き揚げさせて協議から距離を置かせたことに対しては、大きな懸念を抱きます。
そして今週、トランプ大統領はあからさまに「我慢の限界が来た。ハマスが話す気がないのであれば、ハマスを一掃するしかない」とイスラエルの残忍かつ圧倒的な武力行使を容認し、ゴーサインを出すようなイメージを与えてしまいました。
これを受けて「アメリカは頼りにならない」と踏んだのか、フランス、英国、カナダが相次いでアメリカと距離を置き、パレスチナを国家承認する旨、表明することになったのだと考えます。
ただこの「パレスチナを国家承認する」というのは、実は国連ではもう珍しいことではなく、確か現時点で171か国がパレスチナを国家承認しており、日本を含むG7諸国がマイノリティーで、G7内でも温度差があり、これまで国家承認を見送ってきたのは、“イスラエルを巡る複雑で困難極まる和平プロセスの最終局面でこそ使うべき重要かつ最後の外交カード”と見なしてきたことがあります。
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中国、トルコ、ロシアに接近する中東のアラブ諸国
ただイスラエルがガザおよびヨルダン川西岸地域の壊滅までも視野に入れ、これまで国際社会が描いてきた二国家解決のプロセスが不可能であることが明確になるにつれ、「諸々の和平条件の詳細に合意してから最後に国家承認する」というシナリオが崩れ、「まず国家承認し、イスラエルとパレスチナをequal standingにしたうえで(対等の立場に置いたうえで)諸々の共存条件を協議し合意する」シナリオに転換する方向に、欧州各国が舵を切りだしたと言えます。
恐らく近くイタリアも、レバノン絡みでイスラエルと対峙していることもあり、その輪に加わることになると思われますが、ドイツについては、ナチスドイツによるホロコーストを受けて対イスラエルでは非常に慎重なかじ取りをするため、期待できないのではないかと踏んでいます(それでもメルツ首相はもしかしたら大きな政策転換を行うかもしれません)。
G7の足並みが揃わなくなったことが鮮明になったわけですが、これで逆にイスラエルに対するG7の抑止力が削がれ、今後、中東地域の一強となったイスラエルが、その軍事力と経済力をベースに、これまで隠してきた野心を一気に爆発させるのではないかと、周辺のアラブ諸国が警戒を高めています。
そこで中東のアラブ諸国が接近するのが中国であり、トルコであり、そしてロシアであることは先週号でも触れました。
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ロシアのプーチン大統領はネタニエフ首相に電話し、首脳会談において「シリアの主権を尊重すべきであり、イスラエルによる一方的なシリアへの武力行使は看過できない」と伝えて、新生シリア(ロシアがこれまで支援してきたアサド政権とは敵)の側に付くことを明示していますし、中国は中東各国に特使を派遣して協議を重ね、表立っては先頭に立たないものの、アラブ諸国の対イスラエル包囲網を背後から支え、必要となる軍事支援と経済支援、技術的な支援を与える動きに出て居ます。
そして大のイスラエル嫌いを自称するエルドアン大統領は明確にイスラエルへの対決姿勢を強め、欧州を巻き込んでイスラエルに匹敵する空軍力と総合的な防空網を近々構築することで、新たな力の均衡を築くことになります。
広域中東地域において中ロを軸としたアラブ諸国の囲い込みが鮮明になるにつれ、トランプ大統領のイライラが募り、ロシアおよび中国に直接的に圧力をかけようとしていますが、その手法がどちらも軍事的なコンポーネントを含まず、関税の一辺倒ですので、現時点では全く効果がありません。
中国は3度目の関税協議をアメリカと行っていますが、軍事的なお話しとは完全に切り離し、ピュアに経済的な・通商に関わる協議に絞っていますし、ロシアは一方的に関税措置をかけられることを宣言されていますが、完全にスルーして相手にしていません。
トランプ大統領としてはいち早く成果を得たい事と、ウクライナと中東の2面において何らかの形での停戦を引き出すべく、中ロに8月を期限とした合意を要求していますが、今のところ反応がないのが現実と言えます(中国は次回の関税協議の予定は未定として、アメリカの思惑を挫いています)。
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トランプが「8月中の停戦合意」にこだわる理由
しかし、どうして8月に拘るのでしょうか?
それは9月3日に北京で開催される対日戦勝80周年の式典で、習近平国家主席とプーチン大統領が再び会い、そこに親中ロ陣営の国々を集めることで、欧米型の自由民主主義ブロックに対抗しうる勢力圏を強固なものにし、新世界秩序の構築に動き出すと言われているからだと思われます。
その内容がどのようなものかは9月になってみないと分かりませんが、9月3日までに停戦を成し遂げ、国際社会の目を再度アメリカに向けさせるために、8月は非常に激しい攻勢をアメリカがかけてくるのではないかと推察します。
ウクライナフロントでも、中東フロントでも、芳しい結果が実現できないのではないかと踏んだのか、アメリカ政府はタイとカンボジアの紛争がエスカレートしそうになった際、あえて停戦合意を導くために、両国に影響力を持つ中国に呼びかけて共同ファシリテーターを務め、ASEANの中で比較的中国と距離を置くマレーシア(中立的)に仲介を依頼するという離れ業をやってのけました。
7月29日には停戦合意が発効し、その署名式に米中共に駐マレーシア大使を証人として参加させて、和平に寄与したという成果を獲得しに行きました。
散発的な衝突がまだ起きているようですが、プロセスに日本を含む各国の駐在武官を引き込んで、まずひとつ成果を取りに行くという戦略を選んだように見えます。
この実施状況の検証を8月にマレーシア、米国、中国が音頭を取って実施し、そこに日本などの関心国が参加するというプロセスを作り出しましたが、両国民の感情が非常に悪化している中で非常にフラジャイルな停戦合意を継続できるかどうかは、米ロという2大国がいかに真剣にコミットし、実施を保証するのかにかかっていると考えます。この案件でも8月が非常に重要になってきます。
そして8月は、実はロシア・ウクライナ戦争の命運も決めかねない時期になると見ています。
トランプ大統領からの圧力はあるものの、ロシアとしてはあまり深刻に捉えていない半面、NATO経由で欧米の軍事支援がウクライナに届くまでの間に一気にウクライナに対する攻撃を強め、圧倒的に有利な状況を確定しようとしているようです。
これまでは8月は中休み的な性格があったように思いますが、今年の8月はどうもロシアは一気に攻勢をかけるつもりのようで、戦況が動く可能性があります。
さらにウクライナに追い打ちをかけることになりそうなのが、7月17日以降、ゼレンスキー大統領が大統領権限を一方的に強める大統領令を乱発していますが、それが身内(キーウ市長など)からも激しい非難が起き、国内各地でゼレンスキー大統領に反対するデモが多発しています。
これは恐らくロシアによる情報操作と工作も背後にあるのだと見ますが、着実にウクライナを内部から崩壊させるという動きが進んでいるのも事実です。
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EU諸国もウクライナの「様子見」を決め込む8月
ゼレンスキー大統領の大統領令の乱発は、EU入りを協議していたEU諸国にとっては目を瞑っておけるレベルの要素ではないらしく、“8月はバカンス”という点も利用して、加盟交渉についての協議をストップさせ、可能性が高まったと思われるウクライナの内部崩壊のネガティブな影響を避けるために、ウクライナと距離を取ることにしたようですが、その“様子見”が行われるのも、8月なのだそうです。
通常8月はOff monthのはずなのですが(国連事務総長年次レポートを執筆しなくてはならない国連事務局職員を除けば)、複数の紛争案件が並行してヒートアップしてきており、その趨勢が8月に見えてくるとの分析がなされたため、紛争まわりの専門家たち・実務家たちはいつでもon callの状態に置かれることになります。
私が携わるMultilateral Mediation Initiativeも同様で、休暇は取っても、有事の際には短時間でon dutyにできるようにしなくてはならないことになりました。
今年の夏は、日本はもちろん、欧州やアメリカでも酷暑となっておりますが、国際安全保障環境もどうも非常に“熱い”夏になりそうです。
取りとめのない内容になったかもしれませんが、以上、今週の国際情勢の裏側のコラムでした。
(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』2025年8月1日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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