先人たちの尋常ならざる努力により、我が国の成人国民すべてが獲得した選挙権。しかし昨今の国政選挙の投票率に目をやると、決して高いとは言えないのが現状です。何がこのような状況を招いたのでしょうか。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では生物学者でCX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの池田教授が、国民の経済的なボリュームゾーンに着目しその原因を考察。さらに「何をしても報われない人々」の怨念の行き場に対する懸念を記しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:民主主義はバカの壁に当たって敗れるのか
事態は深刻。民主主義は「バカの壁」に当たって敗れるのか
『バカの壁』(新潮新書)は養老孟司のベストセラーだが、もとは「数学はバカの壁に当たって敗れた」との養老さんの著書(どの本だかは忘れた。調べればわかると思うが面倒くさい)の中の文言を、編集者が借用して新書の題にしたものだ。数学は万人に対して開かれているので、間違いのない客観的なものだが、バカには理解できないので、大半の人がバカである共同体では、敗れるほかはないという話だ。
さて民主主義であるが、民主主義の基本はすべての国民が平等な参政権を持つことだ。参政権の中で最も重要なのは選挙権と被選挙権であろう。日本では、衆議院議員の選挙は1889(明治22)年に始まったが、選挙権は一定の税金を納める(最初は直接国税年に15円以上)25歳以上の男子、被選挙権は納税の要件は同じで、満30歳以上の男子であった。女子には選挙権、被選挙権が共に与えられていなかった。
今から考えるとひどく差別的な制度であるが、当時はある程度の資産と教養がない人は、政治家になったり政治家を選んだりする資格がないと思われていたわけだ。女子に参政権が与えられなかったのは、女には男と同等の能力はないとハナから決めつけられていたからだ。日本で、女子に参政権が与えられたのは、太平洋戦争敗北後の1947(昭和22)年で、ここから男女平等の普通選挙が始まった。
すべての国民に等しく参政権が与えられる理念上の背景は、すべての国民はそれなりの教養と判断力を持っているという前提である。子供は判断力がないということになっているので、参政権がない(日本では18歳未満)。もちろんこれはフィクションであって、呆けた人には判断力はないし、15歳くらいでも大人以上に的確な判断ができる人もいる。しかし民主主義は個々人の能力や人間性はそれぞれ異なるという事実に目を瞑り、政治的な権利は平等であるというフィクションに固執する。
プラトンは、真理と善を認識して、これを現実世界に適用する知識と知恵を持つ「哲人」が政治を行うのが理想だと考えた。しかし、何が「真理」で、何が「善」かを、人間が判断する以上、神ならぬ生身の「哲人」が判断して実行した「真理」と「善」が人々を幸福に導く保証はない。むしろ、「哲人」のふりをした独裁者が、「真理」と「善」を行うと称して、住民の多くを不幸のどん底に陥れた例は20世紀以降でもヒトラー、スターリン、金正恩など、枚挙に暇はない。
この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ
貧困に喘ぐ働き手の約4割を占める非正規労働者
民主主義は独裁と違ってほぼすべての国民が参政権を持っているが、有権者の教養や知識や倫理性はピンキリで、むしろこれらの属性が劣っている人の方が優れている人よりも多いだろう。それでも、そういった集団の判断の方が、一人の「哲人」の判断より、決定的な間違いを犯す確率は少ない。それはなぜかというと、ほとんどの人は、自分にとって何が得かという健全な利己的な基準で投票行動をするが、利害は人によって異なるので、政策が極端に偏らず中途半端になり、最適にはならずとも最悪にもならないことが多いからだ。
イギリスの元首相のチャーチルは「民主主義は最悪の政治形態だ。但し、その他のすべての政治形態を除けば」との名言を吐いているが、民主主義は効率が悪く最適には程遠い政治形態だが、最悪になることを止める点に関しては、他の政治形態よりも優れていることは確かだと思う。
極少数の聖人を除いては、人は基本的には利己的にふるまう。それは選挙の時の投票にも反映されて、誰に投票すれば、自分にとって最も得になるかを考えるのが普通だ。単純に言うと、自分の収入が増える施策を遂行してくれる(くれそうな)政党や政治家に投票しようとするのが、真っ当な選挙権者だろう。
経済が右肩上がりの時は、国民の平均的な収入も徐々に増加するので、日本では、長い間、現政権に任せておけば、さして問題はないと多くの国民は思っていたようだ。1990年代初頭にバブル経済が崩壊するまで、政権を握っていた自民党の支持率はほぼ40%台をキープしていた。バブルが崩壊した後も、1997年まで、国民の平均年収は多少伸びたが、その後は伸び悩み、現在まで、450~460万円前後で推移している。
株価は1989年に最高値を付けた。しかし、1990年代に入ると、バブルが崩壊して株価や地価が暴落し、企業倒産が相次ぎ、日本はデフレスパイラルに陥った。2001年に発足した小泉内閣は、不況に苦しむ企業を助けるために、労働者派遣法を改悪し、企業に手厚く、派遣労働者に惨い制度を推進した。それで企業の業績は回復基調になったが、正規労働者以外の派遣労働者を含む非正規労働者は年収が増えず、貧困に喘いでいる。ちなみに労働者の約4割は非正規労働者だと言われている。
バブルが崩壊した後の1990年代半ばから2000年代前半にかけて、企業は新規社員の採用を控えたため、この年代に就職活動をした人々(現在の年齢で41歳から55歳くらいまで)は就職氷河期世代と呼ばれ、今も正規労働者の割合が他の年代に比べて少ない。毎年昇給する正規労働者と違って、非正規は身分の保証がなく、昇給も望めないため、未来への希望がなく、半ばやけくそになっているか諦めている人も多いに違いない。
本来であれば、選挙権者は自分の収入を少しでも上げてくれる政治家や政党に投票するに違いなく、そうなれば、国民の平均年収は徐々に底上げされてくるはずである。かつて、日本は総中流と言われ、極端な金持ちも極端な貧乏人も少なかった。経済的に中流の人たちは下流の人たちよりも政治的関心が強く、中流が大多数を占める国では、政権はこの人たちの上昇志向に応える必要があった。日本の衆議院議員総選挙の投票率は1946年の第22回から1990年の第39回まで、60%台後半から70%台半ばを推移して、60%を切ることはなかった。
この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ
何をしても報われない人たちが溜め込むルサンチマン
ところが、バブルが弾けて企業が新規採用を控えだし不況が深刻化し始めた、1996年の第41回の総選挙では、戦後初めて投票率が60%を切った。2005年の44回と2009年の45回の総選挙では、投票率は60%台後半まで伸びたが、2012年の第46回総選挙では60%を切り、2014年の第47回以降は50%台の前半で低迷している。
不況にもかかわらず、企業の内部留保金(企業の儲けを現金や金融資産や不動産として蓄えておくこと)は増え続けた(現時点で600兆円を超えている)。儲けたお金を従業員の昇給に使わずに、内部留保金として、金融商品や不動産などに投資して運用すれば、総体として株価は上がり、お金持ちの投資家の資産は増える。一方、給料が上がらない低収入の国民の資産は一向に増えない。こうして、一部の富裕層と大多数の中~下層の国民という2極化が進んだわけである。
経済的なボリュームゾーンが中流から徐々に下流の方に移ってきたわけだ。収入もみんなで落ちれば怖くない、とばかりに、多くの人は自分の生活は人並みだと思っていて、いまだ中流だと錯覚している人が多いようだが、他の先進国と比較すれば明らかなように、日本のボリュームゾーンは下流に傾いてきた。
かつて、ほとんどの人が中流だった頃、多くの人は政治を動かせば、収入が増えると考えていた。それは投票率の高さに反映されていた。池田勇人内閣が1960年に唱えた所得倍増計画に代表されるように、多くの人は政治に期待して、多かれ少なかれ、それは実現した。しかし、ここまで、経済的な分断が進むと、中流より下の人々の中には、政権が変わっても収入は増えないので、投票しても無駄だという気分が蔓延してきた。
自分の経済的状況に不満な人たちの投票率が下がるのは政権にとって有利で、かつては、投票率の高い経済的なボリュームゾーン(中流)の経済状況を改善することが、政権の維持にとって重要だったのと反対に、経済的な分断を進めて、無関心層を増やす方がむしろ政権の維持に有利になってきたのである。
そうは言っても、経済的にあるいは社会的に、何をしても思うように報われない人たちのルサンチマンは溜まってくる。この人たちの怨念はどこに向かうのか――(『池田清彦のやせ我慢日記』2025年8月22日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ
image by: yoshi0511 / Shutterstock.com