我が国における終戦記念日といえば「8月15日」。しかし中国やロシアでは昨今、「9月3日」を戦勝記念日として祝す動きが強まり、今年も北京で「抗日戦争勝利80年」の軍事パレードが大々的に開催されます。なぜ彼らは「9月3日」にこだわりを見せるのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、その背景を詳しく解説。さらに日本の議員たちによる靖国神社への参拝が「日本の孤立化」を深めかねない可能性を指摘しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:戦後80年と「9月3日問題」を考える
日本の「降伏の日」はいつなのか。戦後80年と「9月3日問題」を考える
第二次大戦における日本の降伏は「いつか?」という問題には2つの答えがあります。日本国内では一般的に、1945年8月15日という理解があります。これはポツダム宣言による陸海軍の無条件降伏の日であり、この日に昭和天皇の肉声録音による「玉音放送」があって国内的には敗戦が周知されました。またアジア圏に展開していた陸海軍には武装解除の命令が出されています。
どうして日本として「8月15日」が降伏の日とされたのかということについては、考えてみればさまざまな指摘ができます。例えば、昭和天皇と鈴木貫太郎内閣により「軍民の戦没者を追悼するには盂蘭盆会の日が相応しい」という判断があったことと、他ならない昭和天皇の肉声による周知が大きな効果を持ったことが挙げられます。
それよりも何よりも、米軍が実際にこの日を境にして、本土空襲を停止したことにより本土の国民には「生き延びた」という安堵感が広がったことも大きいのだと思います。いずれにしても、以来80年にわたって日本では8月15日を終戦記念日として戦没者の追悼をするということになっています。
その一方で、9月3日という日付もあります。こちらは、日本と連合国との間で交わされた停戦協定の調印日です。調印式は、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの甲板上において行われました。この協定調印によりポツダム宣言の受諾は文書上確定されたことになります。
ということで、降伏の日としては2つあるわけですが、日本だけでなく米英では一般的に8月15日の重みというのは歴史に残っています。直接の戦闘が停止した日という意味合いは当事国のもう一方としても大きいのです。例えばNYのタイムズスクエアで、水兵が女性とキスをしている「戦勝の歓喜」を表現した写真は歴史的に有名ですが、これは現地8月14日に撮影されたもののようです。
ただ、そこは文書への調印で契約を確定することの重みを重視する文化もあるわけで、アメリカでは9月2日(3日)も正式な日付としてVJデー(対日戦勝記念日)ということになっています。
例えば南北韓国の場合は、日本の植民地統治が事実上終了した日ということで、8月15日を「光復節」として盛大に祝います。こちらも、契約調印より実質の方を取っていることになります。
そんな中、近年はロシアと中国が組むことで、9月2日(もしくは時差の関係で3日など)を対日戦勝記念日として祝う動きが強まっています。例えば今から10年前の2015年には、9月3日に「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典」というのが天安門前広場で行われています。
これは大変に盛大なもので、上海機構の参加国だけでなく西側からも日本を除くG7も外交官が出席するなど大きな式典でした。本来でしたら安倍総理(当時)は強行出席するぐらいの構えでいて欲しかったのですが、同氏の支持層のカルチャーにはそうした気骨は少なく、日本としてはスルーした格好となりました。結果的に日本では記憶されていないのですが、この件が様々な伏線として機能しているのは否定できません。
この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ
どうして「8月15日」ではなく「9月3日」なのか
この2015年の式典は、2年前に主席になった習近平の権威を誇示するという政治的な意味合いが強かったわけですが、この頃から9月2日(または3日)という日を中国とロシアが重視するようになったのは重要です。
では、どうして8月15日ではなく9月3日なのかということですが、大きく2つの理由があると思います。1つは、両国は全く当事国ではないということです。第二次世界大戦で日本が戦った相手は、中華民国とソビエト連邦であり、中華人民共和国やロシア連邦というのは、当時は影も形もありませんでした。どうしてこの二国が戦勝国の側で政治的示威ができるかというと、ただ一つ前の国家から地位を法的に継承しているという理解があるからです。
戦争当事国でなく、戦闘の当事者でもない中では法的な勝利を法的に継承したということにしか正当性はありません。ですから、事実上の意味のある8月15日よりも形式的な意味のある9月3日を戦勝記念日にしたがるのだと思います。
もう1つは、これがいちばん重要なのですが、8月15日から9月3日に至るソ連の侵攻、つまり戦闘行為の正当性です。ソ連は日ソ中立条約のために、第二次大戦における太平洋側の戦線の当事国ではありませんでした。ですが、8月9日にこの中立条約を一方的に破棄して、満州と千島、樺太から一斉に対日攻撃を開始したのでした。
この攻撃は本来であれば、ポツダム宣言が受諾された8月15日で停止されるべきものです。何故ならば、ソ連の攻撃の根拠がヤルタ秘密協定という第二次大戦終結のためのスターリンとFDRの個人的合意に基づくにしても、それが第二次大戦終結のためであるのならば、ポツダム宣言に上書きされるからです。
ポツダム宣言を日本が受諾した以上は、連合国は戦闘行為を停止する必要があり、そうなると8月15日以降のソ連の侵略行為は正当性を喪失します。と言いますか、本来は正当性などないのですが、そこを一種の詭弁、つまり正式な戦争の終結は9月3日だということにして、以降の侵略について「一種の」正当化する、これが近年のロシアの姿勢です。
もっと厳密に言えば、ポツダム宣言というのは連合国の中の対日戦闘当事国である米英中の3カ国の首脳(トルーマン、アチソン、蒋介石)の名前で出されていますから、スターリンは関係ないという言い方も可能です。ですが、戦闘当事国でないので名前を出していないくせに、一方的にその後で戦闘を仕掛けているのですから、それで8月15日以降の攻撃も合法というのは自己矛盾もいいところです。
日本の立場としては、満州から朝鮮半島に関しては方面軍がそれこそ8月15日以前に逃亡を開始するなど、一部の正当防衛的な交戦を除くと、何もしなかった以上は問題は残らなかったということになります。ですが、樺太、千島については何よりも「日ソ中立条約の効力を信じていた」ことと、「ヤルタ秘密協定を知らなかった」こと、また「樺太と千島は植民地ではなく日本固有の領土」という認識もあり、一部の気骨のある司令官が応戦しました。
この1945年8月の日ソ間での戦闘については、特に8月15日から9月5日に至る3週間の状況については、第5方面軍の樋口季一郎司令官(陸軍中将)が、あくまで徹底抗戦を行ったことで北海道の防衛ができたという考え方ができます。樋口中将は「ヤルタ秘密協定」を知らず、ソ連が全くの火事場泥棒的に南樺太と千島を取りに来たとして、徹底抗戦したわけですが、仮にポツダム宣言どおりに武装解除していたら、釧路=旭川の東はどうなっていたかわかりません。
様々な場面で主張してゆく必要がある「重要な認識」
いずれにしても、このソ連による一方的な南樺太、千島の強奪については、日本側としては当時も現在も認めることはできないわけです。また、日ソ中立条約に加えて、当時の日本は「ソ連の仲介による連合国との和平」を模索していたという問題がありました。
これは、この近衛文麿が非常に前のめりになっており、近衛としてはもはや元総理というだけでなく、五摂家の一人として天皇家をどうしても守りたいという一心からの行動であったのかもしれません。この「ソ連の仲介による和平」というのは、ソ連側も一つのチャネルとして活用しようとしていたフシがあります。
近衛自身はGHQによる逮捕の直前に自決していますが、長男の文隆が、ソ連によって満州で拘束の後に抑留されており、日ソ国交回復後の56年まで収容所に入れられて最後は不審死しています。文隆に関するソ連の扱いには、近衛文麿の和平工作の重みを感じます。最後まで文隆を人質にするメリットがあったのか、あるいはどうしても口封じをしたい動機があったのか、解明が待たれます。
さて、戦争末期における日本の判断ミスとしては、とにかく「ヤルタ秘密協定」の問題があります。これは先ほども申し上げたように、スターリンとFDRの個人的な秘密の合意で、ヒトラー降伏の正確に2ヶ月後にソ連は対日宣戦するほか、南樺太と千島の領有を許す内容になっています。
この協定ですが、後のアメリカ政府は「FDRの判断ミスによる個人的な譲歩」であり、合衆国の公式な合意ではないとしています。ですが、合意は合意であり、日本の全く知らないところで、とんでもない話がされていたわけです。
ですが、実際は日本は知らなかったわけではありません。北欧を舞台に高度な諜報活動をしていた陸軍の小野寺信中将が、この情報をいち早く把握して、東京に打電していたのです。ですが、それこそ「ソ連の仲介」に前のめりになっていた東京はその情報を「握りつぶす」という判断ミスをしていたのでした。
従いまして、整理をすると日本側の認識としては、
1)第二次大戦の太平洋戦線においては、ソ連は敵国ではない。何故ならば日ソ中立条約が効力を有していたから
2)日ソ中立条約に関しては、1945年4月の時点でソ連側から破棄の通告があったが、通告後1年は有効なので8月の時点でも有効。従ってソ連の日本侵攻は条約違反
3)近衛工作によるソ連の仲介による和平を模索していたので、その「対ソ連の油断」を突いた侵攻は信義違反
4)したがって、8月9日から9月5日に至るソ連の攻撃は条約違反であるし、また第二次大戦の一部を構成しない。であるから、8月15日を過ぎた時点での第5方面軍の反撃はポツダム宣言に違反しない
ということになります。こうした認識は非常に重要であり、様々な場面で主張してゆく必要があると思います。主張ということでは「一貫性があること」「妥協しないこと」「論理矛盾のないこと」が必要です。
どうしてこの「ソ連参戦の違法性」という問題が重要なのかというと、これは南千島の返還問題について、日本の立場を堅持する上で必要です。そればかりか、近年のロシアが主張している「アイヌはロシアの先住民族」というデタラメで、同時に危険な主張を封じることと相まって、北海道の恒久的な安全確保という意味でも必要だからです。
ちょうど、本稿の現在では集中豪雨に被災したことで、北海道最北端を走る宗谷本線の「幌延駅=豊富駅」の区間が運休に追い込まれています。一部には、このまま路線の廃止が検討されるのではという噂もありますが、冗談ではありません。稚内という都市を守り人口と産業を維持することは安全保障上も重要です。全額国費で、路線復旧だけでなく、路線の安全な位置への移設と設備の強靭化が必要と思います。
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ネガティブな効果が消せない若い世代の政治家の靖国参拝
さて、今回の「9.3サミット」ですが、このような「対日勝利」を取り上げた示威行動では、ロシアなどから「日本の軍国主義復活」という、これまたデタラメなコメントが流れるようになっています。これも非常に問題で、一つ一つ潰していかないと、いつの間にか大きな流れになったりする危険があります。スルーするだけでは安全は確保できません。
この問題に関しては、具体的に心配なのが靖国問題です。この問題には非常な危機感を抱く必要があります。現在のアメリカはトランプ政権で、人権外交にも西側同盟の結束にも興味がありません。また国連イコール連合国の正当性にも興味がありません。そんな中で、日本の閣僚などが靖国参拝することへの関心も薄くなっています。これを良いことに、また改革ができない中でイデオロギーを求心力にする際の安易な方法として、靖国参拝を行う政治家が後を絶ちません。
これは非常に危険な兆候です。例えば靖国問題については、歴史学者の與那覇潤氏がサンフランシスコ講和に関係のない中華人民共和国が東京裁判の結果を認めてくれることは、単純化であり「譲歩」だという説を立てています。
しかしながら、これは甘い見方です。今回の「9.3サミット」が象徴するように、上海機構の世界観としては、自分たちが本当は関係のない「連合国の正統性」を自分たちで独占するように動いています。戦争の手打ちを「東京裁判の結果」を踏襲して単純化してくれるのは譲歩ではなく、サンフランシスコ体制の横取りになっていると見るべきです。
その上で、戦犯合祀のされている靖国に参拝することは、「連合国との講和への侮辱」だというようなロジックで攻めて来られるのは、これは非常に悪質だと思います。だからこそ、靖国問題には慎重になるべきです。多くの若い世代の政治家は、戦犯合祀は問題ではなく、戦没者への追悼のために参拝するとしていますが、それでも参拝をすることは日本孤立化の陰謀に間接的に加担することになるという点ではネガティブな効果は消せません。
この問題に関しては、改めて昭和天皇と戦犯とその家族との間に交わされたであろう、黙契の問題を問いたいと思います。A級戦犯として絞首刑となった人々については、昭和天皇は自身の身代わりに犠牲になったという意識を持っていたと思います。また戦犯個々人は(獄死した白鳥、松岡というナチ内通者を除く)自分たちの死が平和の礎(いしずえ)となることを密かな自負として去っていったのです。
更に遺族は戦犯個々人の名誉回復を公的には求めないことで、連合国と日本の「停戦の手打ち」とすること、その責任、つまり沈黙を貫く責任を意識したのだと思います。
この全体、つまり昭和天皇は自分の身代わりにA級戦犯が処刑されたという事実を背負う、戦犯は平和の礎として無言の死を受け入れ、遺族もその名誉回復を求めず、昭和天皇の弔意については感じつつ一切口にしない、という黙契があった、そのように拝察がされます。
戦前の国のかたちは否定されるべきものですが、その中で昭和天皇が体現されていた帝王学、また武官文官の高位にあった人物において、自身の生死にかかわる出処進退はそうしたクオリティのものであったことは疑い得ないからです。
戦犯の一人ひとりは何も言わずに去ったのは事実ですが、自身の死が政治利用されることで他ならぬ日本国が孤立と危険へと追いやられることは、全くもって潔しとはしないと思います。
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勝たねばならない「9月3日問題」という正当性の争い
改めて思うのですが、靖国参拝を強行するのが保守だというような種のイデオロギーというのは、どう考えても敵方の調略が入っていると考えざるを得ません。それも含めて、戦後日本の国体=国のかたちにおける、この「黙契」の問題は、国家の深いところで意識していかねばならないと考えています。
いずれにしても、この「9月3日問題」というのは、警戒すべき問題です。一つには、北方の国境に関する悪しき現状の改善どころか、更に中長期的には南進の野望も見え隠れする中での、勝たねばならない正当性の争いだからです。そして、もう一つは、北方問題だけでなく、サンフランシスコの平和を、そのまま横取りする策謀だからです。
他でもないアメリカが、サンフランシスコの平和に興味を失っている現在、日本はあらゆる孤立化の陰謀を跳ね返しながら、サンフランシスコの平和を守り、その正統性を守っていかねばなりません。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2025年9月2日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今週の論点「連銀理事への辞職勧告、3つの問題点」「起業家や政治家へのセクハラとストーカー問題」「混乱する伊東市政への解決策」や人気連載「フラッシュバック80」もすぐに読めます。
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- 【Vol.602】冷泉彰彦のプリンストン通信 『戦後80年と「9月3日問題」』(9/2)
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