「雷親父」という言葉がありますが、ロシア史に名を刻んだ“雷帝”イワン四世は、その比ではありません。時代小説の名手として知られる作家の早見俊さんが今回、自身のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』の中で紹介するのは、ロシア初の皇帝として恐怖政治を敷いた彼の狂気的な人生です。
雷親父を超越したイワン雷帝
イワン雷帝ことイワン四世はその通称が示すように恐怖政治をもってロシアを支配しました。サデイステイックな性格で、大量虐殺、戦争を繰り返した治世は暴君の典型です。
彼は三歳でモスクワ大公に即位しました。当然ながら彼に政治の実権はありませんでした。周囲を固める貴族たちが政治を動かしたのです。貴族たちは権力闘争に明け暮れていて、幼いイワン四世のことなど眼中になく、少年ゆえに侮ってもいました。
そんな環境下、イワン四世は恐るべき成長を見せ始めます。執務を終えると犬や猫を宮殿の塔の上から放り投げる遊びに高じたのです。更に口の利き方がなっていないという理由で、家臣の舌を切り取らせたことも。
残忍な性格を形成しつつ、十六歳でロシア史上初の皇帝(ツア─リ)として戴冠しました。
そんなイワン四世は私生活も破天荒、生涯で七人の妻と結婚しました。七人の内、彼が最も愛したのが最初の妻、アナスタシアです。皇帝に即位して間もなく結婚しました。
彼女とは政略結婚ではなく、イワン四世が家臣に命じて花嫁候補となる女性を探させた結果でした。家臣たちはロシア各地から花嫁候補となる女性を千人余りを選抜し、ふるいにかけて数十人にまで厳選し、宮殿近くの館に住まわせました。
そこをイワン四世が何度も訪れ、選りすぐりの美女の中からアナスタシアを選んだのでした。
夫婦の間には三男三女が誕生しました。しかし幸福な夫婦生活はアナスタシアの死により、十三年で終わります。最愛の妻を亡くしたイワン四世は残忍で狂暴な性格をむき出しにしてその後の人生を歩みます。
難癖をつけて次々と貴族たちを処刑、ついには実の息子イワンまでも殴り殺してしまいました。殴った理由もひどいものです。息子の妻が宮殿内で部屋着一枚で過ごしていたのを、ふしだらだと暴力をふるっている最中、仲裁に入ってきた息子に立腹したのです。
激怒の余り、杖で殴打し続け、遂には死に至らしめたのでした。アナスタシアはイワン四世の怒りを静められる唯一人の人間だったそうです。彼女の死をイワン四世以上に悲しむ人間が大勢いたというのもうなずけますね。
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