「強い経済」という言葉を5回も口にし、経済重視の姿勢を強調した高市首相の所信表明演説。第2次政権発足時における安倍晋三氏の所信表明と通ずるものがあるとの声も多数ありますが、識者はどう見たのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』ではジャーナリストの高野孟さんが、新首相の演説に“アベノミクスの影”が潜んでいると指摘。その上で、高市政権は「安倍氏の亡霊に見送られて船出したも同然」と結論づけています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:“脱安倍化”が時代の緊急課題なのに、それに一番向かない人が指導者になってしまった/高市所信表明の「ここ」が気になる!
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
語られた「安倍政治の焼き直し」。気になる箇所だらけの高市首相「所信表明演説」
高市早苗首相が24日の所信表明演説で、自維連立の政策合意は「『日本再起』を目指す」【1-はじめに】ものだと言ったのに、私は耳を疑った。
高市首相は「再起」の意味をご存知か
だって、「再起」とは辞書的には、「悪い状態から立ち直ること。失敗した者がまた勇気を出して立ち上がること。一度没落したものが、再び復権を目指すこと」でしょう。
だとすると、まず現状認識として、日本は「失敗」して「没落」と言えるほど「悪い状態」にあるということになる。そしてそこから再起しようとすれば、日本をそこまで追い込んだ張本人は誰かを明らかにし、その所業の数々を徹底的に分析し批判することから始まらなければならない。
では、その張本人は誰かと言えば安倍晋三元首相に決まっていて、彼の2012年12月から7年8カ月、プラスその追随者2人の4年1カ月を合わせると11年9カ月に及ぶ「安倍政治」という名の悪政の結果として、確かに日本は「没落」状態に陥った。
24年10月に政権についた石破茂は、その政治姿勢からして“脱安倍化”の先鞭くらいつけてくれるだろうと期待されたが、そうはならず、結果的に“脱安倍化”に最も相応しくないと言うか、それに逆行する人物を後継者に据えてしまった。
その石破の責任は、「未必の故意」ではないにせよ、極めて重い。「お前がだらしなかったからこんなことになったんだよ」と叫びたいほどである。
【1-はじめに】でもう1つ気になる点を付け加えておくと、ここで高市が「政権の基本方針と矛盾しない限り、各党からの政策提案をお受けし、柔軟に真摯に議論してまいります」と言っているのは一種の失言である。
公明党の斉藤鉄夫代表がこれについて「独裁ではないか。政権の方針と矛盾すれば、はじめから議論に応じないと解釈できる」「普通はそんなことない。政権の方針とは違う角度から議論するのは当然ではないか」「ものすごく危ういものを感じた」と噛みついたのは当然で、政権の基本方針とは異なる政策を各党が持っているからこそ議論が始まるのである。
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「聞いたことがあるようなロジック」と「支離滅裂」
高市首相は「強い経済」という言葉がことのほかお好きで、【1-はじめに】で「強い経済をつくる」「日本列島を強く豊かに」「力強い経済政策」と繰り返し、さらに【2-経済財政政策の基本方針】では、「強い経済をつくる」ことの中身についてこう述べている。
「強い経済」を構築するため、「責任ある積極財政」の考え方の下、戦略的に財政出動を行います。これにより、所得を増やし、消費マインドを改善し、事業収益が上がり、税率を上げずとも税収を増加させることを目指します。この好循環を実現することによって、国民の皆様に景気回復の果実を実感していただき、不安を希望に変えていきます。
こうした道筋を通じ、成長率の範囲内に債務残高の伸び率を抑え、政府債務残高の対GDP比を引き下げていくことで、財政の持続可能性を実現し…
聞いたことがあるようなロジックだなあと思えばそれもそのはず、これは2013年の「アベノミクス3本の矢」の2本目そのものなんですね。アベノミクスの3本の矢は、
- 大胆な(異次元の)金融政策、
- 機動的な財政政策、
- 民間投資を喚起する成長戦略
で、その2.は「デフレ脱却を実現するため、財政出動によって有効需要を創出し、持続的成長に貢献する分野に重点を置くことで、経済再生と財政健全化の両立を目指す」と謳っていた。
しかし、経済学の常識に従うと、公共事業はじめ財政政策だけで総需要不足を補おうとしても無理で、必ず金融政策と組み合わせる必要があるとされる。そうでないと、景気浮揚の効果はほとんど上がらないのに財政破綻のリスクが増大することになりかねない。
さて、アベノミクスの1本目はまさに金融政策で、異次元金融緩和でデフレに素早くストップをかけておいて、すかさず財政出動で需要を掻き立て、そうしているうちに本命の第3の矢=民間の成長戦略が動き出して日本経済は成長軌道に乗る――というような話になっていたのだが、高市所信表明には第1の矢の話は出てこない。
ただ彼女は総裁選直後の会見で「日本経済がデフレでなくなったと安心するのは早い」と、デフレ脱却はまだ達成されていないという認識を示していて、その点では日銀が、2%超の物価上昇が3年5カ月も続いているというのに「基調的な物価上昇はいまだに目標に達しているのかどうか不確実である」という、事実上の景況判断不可知論を垂れ流しているのと軌を一にしている。
そうだとすると、やはり第1の矢でデフレ脱却を進めながら第2、第3の矢に進んでいくという、アベノミクスと同様の短・中期展望を――私はそれは全部間違っていると思うが、彼女なりに整合性を保とうとすれば――語らなければならないはずだが、第1の矢の話は出てこない。
ところがそこで突然の飛躍が現れる。日本は依然としてデフレを脱却できていないはずなのに、次の【3-物価対策】で「この内閣が最優先で取り組むことは、物価高への対応です」という話になるのはどういう訳なのか。物価高が続くというのはインフレということでしょうに。支離滅裂としか言いようがない。
そして【4-大胆な「危機管理投資」による力強い経済成長】というのが、アベノミクスの第3の矢に当たるものとして登場する。「危機管理投資」とは聞きなれないが高市流の新語なのだろう。
「経済安全保障、食料安全保障、エネルギー安全保障、健康医療安全保障、国土強靭化対策」などのリスクや課題に官民が先手を打って行う戦略的投資のことで、これが「この内閣における成長戦略の肝」だと位置付けられる。これを軸に「日本経済の強い成長の実現」を目指して「日本成長戦略会議」を立ち上げる。
まあねえ、同じことを言うのでも、「食料や医療・介護などで誰もが安心できる暮らしを実現する」と平たく言うこともできるだろうに、それをみな「安全保障」に絡めて「危機管理投資」と括って見せるところがトゲトゲしい。
その戦略分野としては、「AI・半導体、造船、量子、バイオ、航空・宇宙、サイバーセキュリティ」など、背伸びをしなければならないような最先端分野が列記される。それはそれで結構なことではあるけれども、私は違っていて、地面にしゃがみ込んで育てるべき超精密な職人技的なモノづくり能力という世界で多分誰も真似できないであろうものを重視すべきだと思うが、これはまた別の機会に詳しく論じることとする。
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繰り返された「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」の惹句
外交・安保分野となると、もっと直裁に安倍路線の真似事になる。まずはイメージ作戦として、安倍が何度も使っていた自慢のフレーズ「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」のスローガンが掲げられるが、どうでしょう、世界から見ても、日本人が自分で顧みても、日本が「世界の真ん中」に居ると思っている人が一体何人いるか。ましてやその日本が「咲き誇る」花のように輝きと香りを放っていると感じる人が何人いるか。
明らかにこのイメージ作戦は過剰というか誇大妄想的で、これからの日本は何も世界の中心にしゃしゃり出ようとするのではなく、もっと慎ましく、アジアの端っことは言わないがその一角にそれなりの存在感を持って居場所を定め、周りから尊敬を集め時には色々な相談に乗ってあげるような、ほどほどの国柄となるのが望ましいのではないか。世界の真ん中……少なくとも私は、そんなところへ行きたくない。
その上で、またも掲げられるのは「『自由で開かれたインド・太平洋』を外交の柱として引き続き力強く推進」するという勇ましい宣言である【10-外交・安全保障】。
これは安倍時代からの言い古されたセリフだが、「自由で開かれた」というのは、例えば南シナ海を想定するとわかりやすいが、「中国によって支配されたり他国の航行が妨害されたりすることのない」という意味である。次の「インド・太平洋」というのは、表面的には「インド洋から太平洋まで」という地理的表現に過ぎないが、前半の暗喩と抱き合わせると、「その中国排除・包囲網にインドを引き込むことが大事」という戦略判断が塗り込められているのである。
【10-外交・安全保障】は冒頭近くで「我が国周辺では、いずれも隣国である中国、北朝鮮、ロシアの軍事的動向等が深刻な懸念となっています」と言い、それに対しては「日米同盟を基軸として抑止力・対処力を高めていきます」としている。細かいことだが、近年は対処力に触れる時には必ず「抑止力・対処力」と言うようになっているが、これは単に受け身に「抑止」するだけでなく「敵基地攻撃能力」を備え必要に応じては「先制攻撃」も辞さずに積極的に「対処」するという意味であることに注意しておきたい。
私が思うに、この辺りの話は全部逆さまで、日本が米国と一体になって中国はじめ北朝鮮やロシアを含む現及び旧共産国を「共産圏」と一括りにして敵と定め、その進出に対して米国を先頭に「自由」の旗を押し立てて「インド・太平洋」を1つの面として対抗していこうという、まるっきり冷戦時代と変わらぬ敵対姿勢をとるからこそ「中国、北朝鮮、ロシアの軍事的動向等が深刻な懸念」となるのではないか。
防衛費の「対GDP比2%」の本年度中の繰上げ達成【10-外交・安全保障】にしても、誰がどのように日本にとっての脅威であり、それを抑止し対処するにはどういう装備が足りないのかも明らかにせずに、「中国が怖い」「北朝鮮が危ない」といった恐怖感を煽るだけで予算を膨らませ、米国の言うなりに最新兵器を爆買いするといった「没戦略思考」に陥っているのが心配である。
こうして、安倍の亡霊に見送られて高市丸は船出した。しかし維新の半分腰が引けた「閣外協力」姿勢のお陰で船は最初から傾いた状態でしか運航することが出来ず、例えば「憲法改正」については「私が総理として在任している間に発議を実現していただく」と言っている【11-憲法改正等】が、誰もが「まさか改憲案が党内及び各党間でまとまるほど長く在任しているわけがないじゃないか」と見切っているのが現状である。
(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2025年10月20号より一部抜粋・文中敬称略。ご興味をお持ちの方はご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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