トランプ大統領の「焦り」を表すかのように、中東とウクライナで同時に動き始めた「和平」のシナリオ。しかしその内容や調整プロセスは、粗さが否めないものとなっているのも事実です。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の「無敵の交渉・コミュニケーション術」』では元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、ガザ停戦案とウクライナ和平案に共通する「中身なき合意」の構造を分析。さらに中国との間に軋轢をもたらした高市首相の「台湾有事は日本の存立危機」発言が、なぜ安全保障上「必然」であるのかについても解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:トランプ大統領が急ぐ和平-中身なきWish Listがもたらすさらなる混乱と悲劇
「中身なき停戦案」に各国が抱く危険な疑念。トランプ大統領が急ぐ和平がもたらすさらなる混乱と悲劇
「和平“合意”」という表現がいろいろな形で飛び交った今週。その和平の場には、必ずトランプ大統領とアメリカの影があります。
イスラエルとハマスの間で成立しているとされる停戦合意は、アメリカ政府が国連安保理を通じて提出し、13カ国の合意(中ロは棄権)で採決された国連安保理決議により、ハマスの武装解除とガザ地区の復興と治安維持を担うISF(International Stabilization Force)の派遣を含む第2段階に移ることになりました。
一様にアラブ諸国も歓迎の意を示していますが、「ガザにおける散発的な武力衝突が止まないこと」や、「人道支援の実施が安定軌道に乗っていないこと」、そしてアラブ諸国が求める“二国家共存”に結びつく見通しが見えないことなどを理由に、UAEやサウジアラビア王国、カタール、そして非アラブのイスラム教国家であるマレーシアやアゼルバイジャンなどは、ISFへの参加を今のところは見送る旨を表明し、早くもISFの実効性に疑問符が付きつけられています。
イスラエルと国交のないインドネシアは人道的な目的に限ったインドネシア軍の参加を表明し、イスラエル批判の急先鋒で、アラブの父とさえ言われるトルコは“参加”を表明するものの、肝心のイスラエルは、トルコの反イスラエル姿勢とハマスとの距離感、そしてトルコの地域における影響力の拡大に懸念を示しているため、“アラブ主導でのガザ復興”という目論見は出だしで躓いていることになります。
提言したアメリカはトランプ大統領を議長とした国際暫定統治機構(平和評議会)を通じてコミットするもののISFにアメリカ軍を派遣することは無く、統治機構の任期もまた2027年末までの期限となっているため、先行きはあまり芳しくないと思われます。
すでに当事者であるハマスは18日に安保理決議を拒否すると声明を出し、武装解除も全面的に拒絶する旨発表し、それを受けてイスラエルのネタニエフ首相は「やはりハマスは根から腐っており、壊滅させることが世界の、中東地域の平和のために必要」と不穏なコメントを残しており、ハマスによるイスラエルへの襲撃の再発防止のためとして、ガザ地区への大規模な空爆を行っており、いつ停戦が破棄され、再び終わりなき地獄が始まるかは時間の問題ではないかと懸念しています。
ただ、多少強引でも和平実現に向けたプロセスが前に進んでいる感は大事だと考えますが、今後、長年ミッションインポッシブルとされ続けてきたパレスチナ問題に解決が訪れるか否かは、アメリカ政府がどこまでイスラエルに圧力をかけ続けられるかどうかという点と、アブラハム合意を通じたアラブ諸国とイスラエルの緊張緩和の行方・成否にかかっていますが、そのカギを握るのは、イスラエルの姿勢と、サウジアラビア王国の出方、そしてこの問題の解決を非常に困難にし続けている「二国家解決」に対する落としどころだと考えます。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
ウクライナにとって受け入れ難い戦闘終結の新たな計画案
10月10日に合意後、履行されているトランプの20項目を軸に和平協議が進められており、今回の米国提案での安保理決議では、イスラエルの激しい反対を想定しつつも、ガザ復興と地域の恒久的な平和を目指すために必要なイスラム諸国の賛同を引き出すために、平和評議会の下にパレスチナ人主体の統治機構を設け、それが行政の実務を行うことに加え、将来的なパレスチナ国家樹立の可能性にも踏み込むという思い切った転換を行っているのは注目に値すると考えます(一応、アメリカ政府からイスラエル政府への“説明”では「平和評議会の議長はトランプ大統領が勤めるのだから、イスラエルにとってさほど悪いことにはならない」となだめようとしているようですが)。
しかし、賛同している国々の間でその細部についての認識と理解にはズレがあり、正直、体裁だけ整えた中身のない合意であるという印象が否めず、さらにはイスラエルがすでに激しい非難を行っていることから、今後、ガザ市民を再び人質にとるような非人道的な行為の横行と、中東地域に起こり得るさらなる混乱の引金になるような気がして懸念しています。
ではもう一つの“和平”案件であるロシア・ウクライナ戦争はどうでしょうか?
こちらについては、詳細は未だ不明ですが、米ロが直接に協議し(ウクライナ抜きで)、28項目からなる戦闘終結に向けた新たな計画案を作成し、18日頃から欧州各国とウクライナに対して説明を始めたという情報が入ってきました。
その内容の主だったものとしては【ウクライナでの和平の実現】、【ウクライナに対する安全の保証】、【欧州地域における安全の保証(アメリカが同盟国の安全の確保にコミットする)】という、一見、ウクライナと欧州が米ロ首脳会談後にトランプ大統領に伝えた要望が含まれているように見えますが、この和平案では【ウクライナに東部ドンバス地方(ドネツク、ルハンスク両州)の割譲を求め】、【ウクライナ軍の規模を今の50%未満に削減すること】、【ウクライナに長距離射程の兵器の製造を停止させる】、そして【米国の軍事支援を停止または著しく削減する】という項目が含まれていると言われており、一言でいえば“ウクライナに主権放棄”を求めるような内容に等しく、とても受け入れられないと考えられます(そして実際にゼレンスキー大統領にとってこの内容を呑むことは、自国の憲法の規定に反することとなり、ウクライナと言う国家の未来を売り渡すことになるため、彼としては拒否するしか選択肢はない)。
米国側はウィトコフ特使が協議を担当していますが、これまでの中東での和平協議の“失敗”からも明らかなように、このような紛争を仲介する能力が著しく欠けていると思われ、明らかにロシア側の要望をコピペしてロシア側に寄り添うことで戦闘を停止することに重点を置き、その後の懸念に対しては一切考慮していないのではないかと感じます。
実際に彼と行動を共にしている補佐官的な人物からは「これは戦争終結に重きを置いたトランプ大統領の意向であり、もしウクライナおよび欧州各国が、トランプ政権がロシア政府とまとめた案を一蹴するようなことがあれば、アメリカ政府はこの紛争の仲介から一切手を退き、この今後、ウクライナの安全の保証に加わるつもりはないし、欧州各国はアメリカによる安全の保証を拒絶するからには、有事の際にアメリカに助けを求めるべきではない」といかにもtake it or leave itの姿勢を取っている様子が覗え、非常に難しい判断をウクライナおよび欧州各国に迫っている様子が分かります。
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トルコの復権を巧みに演出するエルドアンの思惑
11月20日にウィトコフ特使とゼレンスキー大統領が直接会い、本提案の詳細について協議する予定だったようですが、ゼレンスキー大統領は代わりにトルコに赴き、エルドアン大統領に対して、停戦交渉再開のお膳立てをしてくれるように依頼しているようですが、エルドアン大統領は「ロシアと話し合う用意は常にあるが、停戦交渉を軌道に乗せ、受け入れ可能な解決策を見出すには、アメリカの関与は必須である」と述べ、ウクライナからの要請に100%応えることはせず、少しプロセスから距離を置きつつ、トルコ政府と自身の立ち位置を慎重に見極めようとしているように見えます。
エルドアン大統領がゼレンスキー大統領からの要請に100%乗っからなかったのには、最近、トランプ大統領との間で関係を修復したことと、トルコの復権のために、アメリカに恩を売るための材料を探そうとしていることが背後にあったものと考えられます。
その恩の内容は、中東和平協議におけるトルコの影響力の拡大であり、トランプ大統領が描くガザの復興案と、中東和平の実現において、トルコが大規模な支援とバックアップを行うためのwindowを確保すべく、トランプ大統領にネタニエフ首相を説得させ、実質的に中東におけるパワーバランスの核を担いたいという思惑が見え隠れしています。
そのために米ロ案を蹴ってアンカラにやってきたゼレンスキー大統領を歓迎しつつも、ゼレンスキー大統領に対してアメリカの意向を無碍に断るべきではないという助言を行い、かつロシアの“前向きの姿勢”を無駄にすべきでないという考えも添えて、トランプ大統領をロシア・ウクライナ戦争の終結に向けたプロセスに縛り付けておく術を説き、ここではゼレンスキー大統領からトランプ大統領に対して「和平プロセスの実施をトルコの仲介で行いたい」という依頼をさせることで、ロシア・ウクライナ戦争への影響力と共に、中東和平プロセスを主導する中心円にトルコを置くことを画策しているのだと読んでいます。
トルコはこのところ、イランとの関係修復にも励んでいますし、ロシア・中国との関係も良好で、かつウクライナとも直接話すことができるという稀有な立ち位置にいますが、今後、トランプ大統領のアメリカが和平実現という難題を解決するための様々な糸をトルコが一手に握り、かつアラブ諸国との関係強化を通じて、イスラエルとのパワーバランスを均衡化させ、中東地域におけるイスラエルの一強化に一石を投じようとしています。
イスラエルの企みを挫くには、核兵器の保有・実戦配備さえ選択肢に入れているようですが、その実現のためには、トルコがNATOの一員であることも原因としてありますが、アメリカの支持が不可欠で、その引き換えにイランに核開発を諦めさせ、サウジアラビア王国やUAEの原子力への傾倒を平和利用に限定させる代わりに、NATO加盟国としてのトルコが中東地域における核兵器のバランサーとして中東・アラブ側に立ち、イスラエルの暴発を抑え、かつアメリカと密接に協力しつつ、イランに対する懸念も払しょくするというグランドデザインを描いているように思われます(私なりの勝手な分析ですが)。
このどっちつかずで、大所高所から動くエルドアン大統領の流儀は、とてもウィトコフ特使にはできない芸当で、明らかにロシア寄り・イスラエル寄りの印象をつけてしまったウィトコフ特使とは違って、トルコ(エルドアン大統領)は、イスラエルは許さないという姿勢以外は、みんなの味方というイメージ戦略を推し進め、巧みにトルコの復権を演出しています。
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ついにアメリカと直接的に対峙せざるを得なくなる中国
ただこのエルドアン大統領の演出を成功させるためには、アメリカとの強いパイプが必要で、かつトランプ大統領に「トルコはアメリカの味方」というイメージを植え付け、かつプーチン大統領にも、ゼレンスキー大統領にも「いざとなったらトルコを間に立てるべき」というイメージを持たせることが必要で、かつあまり積極的に動くことができないサウジアラビア王国やUAEの意を汲む配慮も見せながらアラブ諸国とイスラム教国の意向を“代表する”立ち位置と信頼を得る必要があります。
イランとの良好な関係、アゼルバイジャンの後ろ盾としての地位の確立、スタン系の国々に広がるトルコ系の影響力、中ロとトルコで形成する中央アジアにおける力のトライアングルを通じた安定の確保など、様々な側面に対して気配りが必要ですが、これまでのところ、優秀なスタッフ・人材にも恵まれて、トルコは着実に、自国の影響力を高めつつ、難解な国際情勢を左右できる立ち位置を確保しようとしているように見えます(そしてそれに気づいているイスラエルのネタニエフ首相は、自身への激しい非難も理由としてはあるものの、エルドアン大統領を警戒し、中東地域におけるトルコの影響力の拡大を嫌い、アメリカからの叱責を覚悟の上、アメリカ提出の安保理決議を事実上、拒絶する賭けに出ているように思われます)。
今、進んでいる様々なシナリオはこのように描くことができるのではないかと考えます。
ロシアは取引に見せかけて領土と影響力の固定化を狙うことで、ウクライナ戦争における負けを無くし、多くの犠牲を払ってでもウクライナによる挑戦を退け、ウクライナの力を削ぐことで、ロシアの国家安全保障を守り抜いたという成果を得ようとしている。
アメリカは取引に見せかけてウクライナにおける負担の軽減、さらには排除を図りつつ、ロシアに恩を売っておくことで影響力は確保し、その間に国内に集中する時間とエネルギーを獲得する。
そのために、まずロシアと露骨なディール・メイキングを行っているように見せかけて、トルコを通じて“アメリカの影響力が及ぶ”停戦協議のプロセスを走らせつつ、なかなか言うことを聞かないネタニエフ首相への圧力として、エルドアン大統領とトルコを用いて、イスラエルの暴走を止めつつ、アラブ諸国の懸念を勘案しているように見せて、アメリカを再度、中東地域の泥沼から救い出し、比較的成果を見せやすい中国との対峙にシフトする土台をつくる。
ここで損をするのは、傷つき血を流して国家主権の防衛のために約4年間戦ってきたにも関わらず突如既成事実化された降伏を強いられるウクライナと、国際情勢におけるパワーゲームの舞台から蚊帳の外に置かれ、ウクライナの戦後復興の重荷を担わされる欧州各国ということになるのではないかと考えます。
そして、場合によっては、ついにアメリカと直接的に対峙せざるを得ない中国も割を食うことになるのだと考えます。
本気度合いは分かりませんが、トランプ大統領は自らの任期中に中国との対峙にピリオドを打ちたいと考えているようで、その場合、台湾および東シナ海における中国の行いにケチをつけて、限定的だと思われますが、何らかの行動を、中国を相手に始めることが予想されます。
特に2026年にはアジア太平洋地域における軍事力では米国の軍事力を凌駕すると言われている中国の伸長を食い止めるために、何らかの口実をつけて中国軍の伸長を止めるべく介入してくる可能性が高まっているように見えます。
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至極当然なものである高市の「存立危機事態」発言
これは実はアメリカのプライドの問題ではなく、実情として仮に中国が台湾を手中に収めるようなことになった場合、東シナ海におけるシーレーンをことごとく中国に握られることになるばかりか、日本や韓国も中東やアフリカとの交易に不可欠な“安全な海上物流ルート”を即刻脅かされることになり、同時に台湾が中国の影響下に陥った場合には、米軍の沖縄における駐留も直接的に中国のsphere of influenceの侵害と言う認識がまかり通ることになる可能性が高まり、領海侵犯として中国人民解放軍から攻撃対象にされる事態も想定され、その場合、米軍のアジア太平洋最前線がハワイやグアムまで後退することを意味するため、それは直接的に日本の国家安全保障に影響・脅威を与えることになります(ゆえに、今、巷で燃えている高市総理の存立危機事態発言は至極当然なものであることがお分かりになるかと思います)。
いろいろな紛争案件が現在の国際情勢には存在し、報道ではそれぞれが別の案件であるかのような描き方がされていますが、ロシア・ウクライナ戦争とイスラエル絡みの中東案件は直接的につながっていますし、アゼルバイジャンとアルメニアの間で燻る緊張も、アフリカ大陸を舞台に繰り広げられている内戦と大国間の代理戦争も、そしてミャンマーやタイ、カンボジアなどを舞台に起きているきな臭い対立も、その背後には国際社会における主導権を維持し、かつパワーハウスとして君臨したい大国の思惑が複雑に絡み合い、衝突しているものと考えられます。
トランプ大統領の登場により、乱立する紛争間のバランスの上に成り立ってきた非常にデリケートかつ負の安定が崩れ出し、それぞれの解決が見えてきたことはいいことだと考えることはできますが、同時に一つハンドリングを間違えたら一気にバランスが崩れ、一気に紛争間で飛び火・延焼が起きて、世界的な戦争の時代に突入することになります。
紛争調停においては当事者それぞれのWish Listの提示と明確化は必要で、そのwish lists間のデリケートなすり合わせが調停人の腕の見せ所なのですが、紛争の解決とは名ばかりの見せかけだけの調停が、各国の政治的な思惑をベースに横行する現状下では、戦争を止め、再度、破壊されたコミュニティーを再建し、人々の相互信頼を再醸成するという調停および復興のためのプロセスを、どこからいかにしてはじめればいいのか、非常に見えづらい難しい状況になっていると日々感じます。
これまで長年トルコと密接に仕事をしてきたご縁もあり、いろいろな側面で協力することになりそうですし、また世界中を飛び回る日々が訪れそうですが、何かしらポジティブな成果を収めるには、アメリカのトランプ大統領および政権との協力は必須で、今、アメリカ・ファーストどころか、アメリカ・オンリーの姿勢に変わってきているようにさえ見えるアメリカをいかに国際協調の輪の中に引き戻し、複雑に絡み合う紛争の連鎖を止めるための術を見出すことができるかという難題に向き合うことになりそうです。
何かよいお考えがありましたら、ぜひご助言抱ければ嬉しいです。
以上、今週の国際情勢の裏側のコラムでした。
(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』2025年11月21日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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