いつの時代も「新しい技術」が誕生するたびに、その功罪について「私」たちは懸念し、議論し、警告してきました。
スイッチポン!でブラックボックス化すると人はバカになる、と憂いた、グループ一九八四年の論考『日本の自殺』は、現代にも通じる貴重な視点を提供してくれましたし、古くはソクラテスが「文字を書き記す技術は、人間の記憶力を衰えさせ、真の知恵ではなく知恵の錯覚を生む」と文字の発明を警戒したのも、まったく同じ議論でした。
しかし一方で、知能と発想という「人間だけの聖域」にAIがいとも簡単に入り込んできた事実は、過去のどの技術革新とも異なる、底知れぬ恐怖を人間に突きつけています。
でも、思うのです。どんなにAIが知能を高めても、手に入らないものがある、と。
愛です。愛! 「愛」らしきものをAIにプログラムすることはできるかもしれません。しかし、AIの技術が進化すればするほど。人間だけが持つ「愛」=Compassionを、AIが持つのは不可能だと痛感するのです。
「アルゴリズムには人間ならではの輝きがない」ーー。
ローマ教皇のこの言葉の真意は、「愛」という人間だけに与えられた本性を大切にせよ。ということではないでしょうか。
AI=Artificial Intelligence であって AI=アイではないですしね。
「愛」とは何か? そこに「愛」はあるか?「私」は愛をケチってないか?
デジタルのない世界で、思考を巡らせてみようと思います。
みなさんのご意見、お聞かせください。
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