多くの批判の声が上がっている、立憲民主党泉健太代表の乃木神社への初詣。まさに「大炎上」の様相を呈していますが、そもそもここまで問題視される理由はどこにあるのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、同神社の祭神である乃木希典が残した「4つの謎」を取り上げ解説。さらに乃木死後の神格化について、その問題点を考察しています。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2023年1月10日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
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乃木神社は近所の氏神なのか?立憲民主党 泉代表の無知無関心
立憲民主党の代表である泉健太議員が、明治期の陸軍大将であった乃木希典を祀る神社に初詣に行ったそうで、これに対する批判が殺到して「炎上」状態になっています。確かに、昭和後期の世相の中では、他でもない軍人乃木希典を神格化するなどというのは、タブー中のタブーであり、左派政党の党首が、乃木神社にお参りしたなどというようなことは、例えば日本の右翼が突然反戦反核のデモに参加するのと同じぐらいのミスマッチ感があるわけです。
ただ、泉議員はこうした批判に屈服することはなく、「近所の神社で国家繁栄、家内安全を祈ることが『軍人を神と崇める行為』とされるとは…」などと批判に対する反論を行っていました。ただ、この反論が行われたのが、CXのBSでやっている反町さんの「プライムニュース」での発言だったり、これと前後して「維新との連携」を匂わせるなど、政治的に計算された言動という気配もあります。
それはともかく、乃木神社に関しては、やはり「近所の氏神」だとか、議員宿舎の近所にも、京都の選挙区にもあるから「親しみがある」、という認識ではどうにも不安があります。
泉氏は面倒と思ったのか、これまで確認してきていないと思いますが、乃木神社なるものに関しては、色々な論点があるのは事実です。
まず、乃木希典本人に関しては、4点ほど挙げておきたいと思います。
1つ目は、萩の乱への不参加です。乃木は幼少時に実父同然に面倒を見てもらい、また思想上も深く影響を受けた伯父が思想上のリーダー格であり、また実弟が乱に加わっています。その一方で乃木は、これとは一線を画して曖昧な態度を取っています。この点に関する歴史的評価は定まっていません。不平士族の思いに共感していたのか、それとも明治政府を100%支持していたのか曖昧なのです。
2点目は、その後の西南戦争で西郷と戦った際に、軍旗を奪われていることです。軍旗を奪われたので責任を取って死のうとしたというのが俗説ですが、ここでも不平士族に共感して戦い方が甘かったのか、それとも萩の乱での疑惑を払拭するために全力で戦ったが旗を取られたのか判然としません。
3点目は、その後の「放蕩」です。陸軍軍人でありながら、その後の乃木は遊郭に入り浸ったり、遊興にのめり込んだ時期があります。これが、萩の乱、西南戦争の心の傷を癒やすためなのか、それとも明治政府への一種の抵抗なのかも、これもよく分かりません。
4点目は、日露戦争における第三軍司令官としての指揮についてです。前半戦である旅順要塞の正面作戦については、多くの兵士を死なせた「凡将」だという評価がある一方で、一戸兵衛が一定の戦果を挙げたり作戦として合理性があったという議論もあります。また後半戦で203高地にターゲットを移して戦うという合理的な判断に転じた功績についても、乃木の発案なのか判然としません。
まずこのように乃木希典に関しては歴史的評価が定まっていません。そんな中で、戦役後の乃木は「多大な犠牲への責任」を取るという意味なのか、全国を頭を下げて回り、それゆえに聖人君子として神格化がされていったのでした。2人の息子を戦死させたことも、神格化を加速させたのでした。
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