ANAが悲願のJAL超え。元整備士の異端社長が変えた日本の空の旅

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今でも飛行機に「元気でやっとるか」と声をかけるというANAの篠辺修社長。飛行機への思いの深さは整備畑出身という、その異色の経歴にあるのかもしれません。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)では、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。整備士という仕事を通して「小さいことをやらないと、大きいことは決して上手くいかない」ということを悟った篠辺社長が、飛行機業界に起こした「変化」とは?

南の島の格安リゾート旅~実現したのは?

成田から飛行機で2時間半。鹿児島県・奄美大島の玄関口、奄美空港に続々と若者たちが到着してきた。多くは首都圏から。2年前から大幅に増えたという。

島全体が国定公園の奄美には、ここならではの遊びがいっぱい。中でも一番人気はカヌーツアー。10分ほどレクチャーを受ければ、体験料2000円で誰でも簡単に乗れる。マングローブの原生林の中を楽しそうに漕いでいく若者たちにはバニラ・エアに乗ってきたという共通点が。聞けば2泊3日のパッケージツアーが約5万円と、確かに安い。

激安旅を実現しているバニラ・エア。2013年に運航を開始したLCC、格安航空会社だ。成田-奄美間の運賃は、片道5840円から。出発地が羽田の、JALの最低運賃が13700円だから、なんと半額以下だ。

奄美大島にバニラ・エアが就航したのは今から2年前。以来、島に変化が起きているという。

島には17店、470台のレンタカーがあるという。その一つを訪ねると客がいっぱい。バニラ効果だという。「タイムズカーレンタル」奄美空港店の武元文笑店長によれば、「びっくりしますね。突然一気に増えました。客層変わりましたし、忙しさも変わりましたし、街に活気が出てきましたね」。

繁華街にある赤提灯。以前は地元の人相手の店だったが、今や3割が観光の若者たち。一番人気は「鶏飯」という奄美の郷土料理。蒸したトリ肉に鶏ガラのスープをかけて、お茶漬けのように食べる。店主は「毎日、結構忙しいです。バニラが一機飛んだら経済効果が3倍くらい。2倍じゃなくて」と言う。

バニラ・エアは奄美大島に年間10万人を送り込みその経済効果は42億円とも言われている(奄美市調べ)。飛行機は、地方を活性化する可能性を秘めているのだ。

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ヘリコプター2機から連結売上高1兆8000億円へ

バニラ・エアを生み出したのは全日空。バニラの好調も手伝い、連結売上高は1兆7911億円(2015年度)と、日本航空(1兆3366億円)を大きく引き離している。全日空が日本航空を抜き日本一のエアラインに。その立役者が、社長の篠辺修だ。

この日、篠辺は大阪へ。関西経済界の重鎮にトップセールス。お相手は「大和ハウス工業」の樋口武男会長だ。樋口会長は「私はほとんど全日空。(他が)いまいちやったから、どうしてもANAの方になっていったんですよね」と、言う。

今でこそ財界の有力者も全幅の信頼を寄せる全日空だが、もともとは小さな会社だった。その名残が、飛行機の発着を知らせるボードに残っている。アルファベット2文字で表記される航空会社名。全日空は「NH」だ。

実は全日空のルーツは、1953年に営業を開始した「日本ヘリコプター輸送」という会社。当初はヘリコプターで農薬散布や資材の輸送をしていた。だから「NH」なのだ。

1958年、極東航空と合併し、全日本空輸が誕生した。当時国際線を飛べたのは日本航空だけ。それを全日空は、羨望のまなざしで見ていた。全日空の社内には、初代社長が残した「現在窮乏 将来有望」という言葉がいまも掲げられている。

「我々は2機のヘリコプターたった30人からスタートした会社です。だから現在は窮乏だよと。お金もないし、人もいない。だけど将来、航空産業は有望なんだ、だから君たち頑張れと。給料の遅配の方便に使われてたんじゃないか(笑)」(篠辺)

そんな全日空に、篠辺は1976年、早稲田大学理工学部を卒業して入社した。

「航空会社は当時3社大手がありましたが、全日空しか募集がなかったんです。3社あったらどうしようかと迷ったかもしれません」

整備士としてキャリアをスタートさせた篠辺。整備の現場でも日本航空との格差を感じ続けてきたという。

「自分が作ったやつが故障しすぐ降りてきちゃう。ANAとJALさんと比べると、JALさんの方が信頼性が高いとなると、やはり悔しいじゃないですか。とりあえず日本航空に少しでも追いつけ追い越せと」

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ついにJALを超えた~ANA快進撃の秘密

1986年、規制緩和で全日空もいよいよ国際線に出られることになった。最初の就航地はグアム。ところが、「私ども国際線のことを知らなくて国際線に出て行きましたので、お客様から、『何だこのサービスは!』と言われ、客室乗務員が泣いて帰って来る時もあった。日本航空さんに教えてくださいというわけにもいかないですから」と、篠辺は当時を振り返る。

95年、篠辺は経営戦略を立てる企画室へ異動。そこで同僚とともに作った多くの改革案が全日空躍進の下地となった。

その一つが99年のスターアライアンス加盟だ。アライアンスとは海外の航空会社とグループを組むこと。同じ路線を2社が別々に運航した場合、客を獲り合い、採算が合わないことがある。だが共同運航すれば席が埋まり、十分採算が取れるというわけだ。

社内には赤字だった国際線廃止の声もあったが、篠辺はアライアンスの将来性を訴えた。

国際線で黒字を作れるような会社にしないと生き残れないんだということを繰り返し説明した。何を尻込みしてるんだ、と」

今や全日空が加盟するスターアライアンスはトップに成長。加盟社は28社。就航している国・地域の数は190と、最も多い。

2000年代になると、アジアでLCCが台頭。空の価格破壊が始まり、既存の航空会社はどこも危機感を抱いていた。しかし、当時アジア戦略を統括していた篠辺は、逆にチャンスだと考えた。

そして2011年、全日空自ら日本初のLCC、ピーチ・アビエーションを設立。篠辺は、日本のLCCの生みの親でもあるのだ。2013年にはバニラも就航。ともにリゾート路線に特化したため、新たな客の掘り起こしにつながった。

全日空は去年、ついに長年遅れを取っていた国際線でも日本航空を抜き去った。国際線旅客数は日本航空808万人に対して、全日空は816万人に。

国際線就航30周年を迎えた今年、篠辺はその先を見据えている。

「JALさんに勝つことが目標なんじゃなくて、世界を見渡して十分戦えて勝ち残って将来の成長戦略が取れるようになるのが目的です」

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空の旅が変わる~羽田・成田の新戦略

10月30日、羽田空港。この日、全日空は節目の日を迎えていた。

羽田からニューヨーク、シカゴ線を開設。アメリカ東海岸に乗り入れたことで、全日空の羽田国際化戦略が完成した。日本各地から羽田を経てそのまま海外22都市へ。国内の利用者にとって、ますます羽田が便利になる。

一方、成田では、海外の客を獲得するため、力を入れていることがある。

全日空と、アライアンスを組むユナイテッド航空を合わせた成田発着便の本数を見ると、出発便、到着便とも、14時から18時の時間帯に集中させている。この時間なら、朝のうちに北米を出発すれば、夜にはアジア各地につける。逆に朝、アジア各地を出発すれば、その日のうちに北米に到着できる。いわばゴールデンタイムに7割の便を集めて成田経由の利便性を高めているのだ。

それを可能にしているのが、ジョイントオペレーションセンター。運航状況や乗客、荷物など、全ての情報を一元管理している。

14時、定例の会議が始まった。この日、ロサンゼルスからの便は予定より30分遅れて到着は16時55分。一方、マニラ便の出発は17時20分。乗り継ぎは25分しかない。この便に乗り継ぐ乗客は5人、荷物も10個ある。ロス便が到着するスポット43からマニラ便が出発するスポット57Aまでは約500メートル。その間、手荷物検査がある。他の航空会社では、30分以下の乗り継ぎは次の便に振り替えることが多いと言う。

乗り継ぎの現場責任者、旅客サービス部の寺崎小百合は早速、係員1名をつけるよう指示。旅客担当の曲山伶奈がスポット43で、タブレットに「マニラ便」と表示して呼びかけ、合流した。一方、荷さばき場にはロス便の荷物を載せたカートが。この後、通常はレーンに流すが、今回、乗り継ぎ客の荷物は手押しの台車で。この方が確実で早い。こうして乗り継ぎ客が57Aに現れたのは、出発のわずか5分前だった。

「成田で足止めをしないように、最終目的地にきちんと送り届けられるように、みんなで力を合わせて頑張っています」(寺崎)

こうした努力により、全日空の成田乗り継ぎ客は3年前から8割も増えている

比内地鶏、ホルモン天ぷら……ANAが地方の魅力を発掘

うまいものの宝庫・秋田で、全日空が新たな取り組みを始めていた。

秋田支店長の片野篤が訪ねたのは、秋田を代表する酒蔵、「小玉醸造」。創業は明治12年、当時と変わらぬ酒造りを守り続けている。次に訪ねたのは養鶏場。ここにいるのは秋田名物の「比内地鶏」。「薩摩地鶏」や「名古屋コーチン」と並ぶ日本三大地鶏と言われ、歯ごたえと濃厚な旨味が特徴だ。この養鶏場は、全日空に大きな期待を寄せているという。

「私たち主に首都圏のお店などに営業していますが、なかなか価格的な問題もあり、思うようにいかない。それがANAさんの飛行機の中で宣伝していただける、そういう意味ではありがたい話だと思います」(「かづのわくわくファクトリー」藤盛彰子営業部長)

実は全日空、航空会社ならではの、地方活性化のプロジェクトを始めていた。3年前から、「Tastes of JAPAN」と銘打ち、地方の魅力ある食や文化を機内誌やビデオで紹介。また、名産品を使った機内食を国際線で提供しているのだ。

その機内食とは、たとえばビジネスクラスのメインは、比内地鶏とキリタンポを使って、鍋をイメージした郷土料理風。さらにファーストクラスでは、比内地鶏を使った玉子丼。これで日本に来る外国人に、秋田の魅力をアピールする。

一昨年、「Tastes of JAPAN」で取り上げられた広島には、その効果で盛り上がっているものがある。

「あきちゃん」の店内は昼間からにぎわっていた。客のお目当てはホルモンの天ぷら。牛のホルモンの天ぷらは、戦後の広島で始まった庶民の食べ物。だが、地元以外ではほとんど知られていなかった。それが2年前、全日空が機内誌で取り上げたところ、ブームに火がついたのだ。いまでは全国から、ホルモン天ぷらを求めて観光客が来るようになった。

「オーストラリアから家族で来ていただきびっくりした。ホルモン天ぷら美味しいと、食べて帰っていただいて」と、店長の谷中仁美さんは言う。

りんご王国・青森でもブームとなったものがある。今年4月、「Tastes of JAPAN」でりんごのスナック、「青森りんごっくる」を紹介したところ、「すごいことになっちゃいまして。去年1年間分が1ヶ月で売れちゃった感じですかね」(「ラグノオささき」の角田晃部長)。生産が追いつかないほどの大ヒットとなったのだ。

地方が活性化すれば飛行機の乗客も増える。息の長い全日空の取り組みだ。

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大企業病をどう防ぐか~篠辺流危機管理術とは

整備部門から初の社長となった篠辺。力を入れているのが、現場の社員たちとの話し合いだ。その理由は、巨大組織が避けて通れない大企業病に立ち向かうためだ。つい先日も、あわや定員オーバーで離陸というトラブルが発生したばかり。危機感を強めていた。

この日は、古巣の整備部門とミーティングだ。

「整備出身の社長ということで、整備でも社長になれるんだ、と思いまして」と、いきなりストレートな発言が飛んできた。「社長にはなりたいと思っていなかったというか、目標にしていなかったんだよ、そもそも……」と、篠辺が応じた。

「飛行機会社の中で装備品をバラバラにする世界を経験してきて、私のやり方はそこから出てきた。結局、小さいことをやらないと大きいことってうまくいかないんだよ、というのが私の考え方」

別の社員からは「マネジメントに求めるところ、ここだけは外せないところなど、メッセージがあればお願いします」というリクエストが。

これは変わっちゃいけないと決めた瞬間ダメだと思うんだよね。どれが変わらない方が良くて、どれが変わった方がいいというのは、いつも変わっていくと思うんだよ」

部下と腹を割って話し合うことも篠辺流、危機管理のひとつなのだ。

スタジオで篠辺は、あらためて話し合うことの重要性についてこう述べている。

「たとえばパイロットでいうと、正操縦士が社長で副操縦士が部下。そうすると『正操縦士、それは違いますよ』と言えない。『あとで自分が正操縦士になるとき、意地悪されないか』という気持ちが人間だからあるわけです。それと同じ構造はどこにでもある。だから安全に関する気づきは全く免責。言わないほうが問題だし、言われたほうも怒っちゃいけない。『よく言ってくれた』と。それをグループ全体、あらゆるところでやっていこう、と」

 

~村上龍の編集後記~

篠辺さんは、駐機中の飛行機を見つめ、「元気でやっとるか」と笑顔を見せていた。

生きものみたいですね、と聞くと、「本当です、同じ機種でも1機ずつ違うんです」、まるで我が子を語るようだった

技術系なんだなと実感した。曖昧さは、許さない。合理性と論理性を重視する。

全日空は、売上、旅客収入で日本航空を超えたが、国内トップの座は、ゴールではなく、変化する世界の航空業界を、見据えている。

大企業病は克服するのではなく危機感を持って日々立ち向かうべきもの

全日空は、挑戦者であり続ける。

 

<出演者略歴>

篠辺修(しのべ・おさむ)1952年、東京都生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、1976年、全日本空輸入社。1995年、企画室に配属。2013年、代表取締役社長に就任。

source:テレビ東京「カンブリア宮殿」

image by: Tupungato / Shutterstock.com

テレビ東京「カンブリア宮殿」

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