【日本外交】現実となってしまった「テロの脅威」へ提言したい3つの論点

冷泉彰彦© yayoicho - Fotolia.com
 

日本にとって有効な「テロ対策」とは?

『冷泉彰彦のプリンストン通信』第49号より一部抜粋

1月30日(金)深夜、急遽出演することになってテレビ朝日系列の『朝まで生テレビ』に参加してきました。テーマは「『イスラム国』と日本外交」ということで、この時点では、日本人人質事件に関して、湯川氏は殺害された可能性が濃厚、後藤氏に関しては、ヨルダン人パイロットを含めて、ヨルダン政府による死刑囚との交換という条件が提示され、その期限である「29日の日没時」が過ぎたという状況でした。

討論は冷静で、有意義であったと思いますが、終始重苦しい雰囲気に包まれていました。放映を終えた後、私はNHKさんでもう一つ仕事をしてからアメリカに戻ってきましたが、途中、乗り継ぎのために立ち寄ったLAX(ロサンゼルス国際空港)で、事態が最悪の展開を遂げていることを知りました。

その後、日本では様々なリアクションが起きているようです。この問題に関しては、少し時間を置いて、より冷静になって論じたほうが良いと思いますが、同時にこうした事態の直後に書き留めておいた方が良いこともあると思いますので、今回は「かなり走り書き調」になるかもしれませんが、未整理なままお話をしておこうと思います。

というのは、今回の事件で日本もテロの脅威を実感したのは事実であるわけですが、実際にその脅威をどのように低減していったら良いのかという問題については、広範な議論をする必要があるからです。今回は、取り急ぎではありますが、3点を示しておきたいと思います。

1点目は、「舌戦」に巻き込まれないことです。今回の事件でも、挑発的な文言が飛んできたわけですが、そのような挑発に乗らないためにも、言葉に関する冷静さと注意を配って行くことは大切だと思います。

例えば、難民流出の問題は深刻であり、これに対する人道的な支援は急務であるわけです。ですから、日本が支援のために資金を出すのは正当であると思います。ですが、どうして「人道的な支援をするのか」という目的に関しては、もっと丁寧に表現するべきだと思うのです。

同じように人道的支援を行うのであれば「テロを許さない」とか「テロと戦う」という表現ではなく、「困窮している多くの難民を救済するため」という言い方をする方が効果的と思います。

それは「戦う」という言い方で相手を挑発するのが危険であり、「難民を救済する」という言い方の方が「ソフトで安全」だからだけではありません。そうではなくて、事実関係として「難民支援の人道援助」の目的としては「難民救済」のためだというのが正しいからです。

世界には様々な価値観を持つ人間がいます。その中で、ある種の人びとには「味方」だと思われ、ある人びとには「敵だ」と思われるような表現よりも、誰もが納得する「正確な表現」をしてゆくこと、それは回り回って、その国の姿勢の誠実であることがより強く伝わっていくことになります。そのような誠実さ、正確さということ、特に言葉において正確であることは、国の威信、あるいは国の安全に取って極めて重要だと思うのです。

言葉に関しては、例えば「有志連合(コアリション)」という言い方もそうです。これも世界を敵と味方に分ける種類の言葉です。そしてある種の人からは「有志連合」という言い方は「私兵であって普遍性はない」というニュアンスと共に敵視の対象になってしまうのです。

もっと言えばこの「有志連合」というのは不正確です。正確に言えば「国連安保理決議に基づく有志連合」であり、もっと言えば「国連安保理決議」だけでも良いのです。そのように、より正確で、より普遍性のある言い方をするように、常に注意するのとしないのでは、大きな差が生まれるように思います。

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