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アベの知らない物語~オバマ広島演説に垣間見たアメリカの「世界観」=不破利晴

オバマ大統領の広島演説は感動に満ち溢れていた。その表現はあたかも文学のようで、人々を魅了するに十分のものだった。ただし、彼が核兵器の発射ボタンを持ってあの場に立っていたという事実を除けば、である。(『インターネット政党が日本を変える!』不破利晴)

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オバマ大統領の核ボタンと「完璧な物語」に見たアメリカの正体

「壮大な物語」としてのオバマ大統領の所感

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past.

71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示しました。

私たちはなぜここ広島に来たのでしょうか。それほど遠くない過去に恐ろしい力が解き放たれたことを考えるために来ました。

出典:2016年5月27日 広島訪問におけるオバマ米大統領所感

文学や小説、そして論述においても、およそ人間が書く文章は「出だし」が最も重要である。出だしが全てである。

最初の1ページを読んだだけでその文章の良し悪しが分かる、優れた文章は必ず出だしが素晴らしい、出だしが悪くて後から良くなる文章など存在しない――そう豪語する編集者もいる。慧眼である。

この文章の基本法則は、演説やスピーチにも当てはまる。どちらも人間が生み出した「言葉」であることには変わりないからだ。その意味において、17分7秒に及んだ広島でのオバマ米大統領による“所感”表明は、それが公式演説といっても差し支えないほどの分量と質を誇っており、出だし(掴み)については100点満点と言っても過言ではあるまい。

最初のセンテンスに「changed」を配置するあたり、オバマの大統領選でのキャッチフレーズ「CHANGE!」を彷彿とさせる仕掛けとも言えるし、続く文面は天と地を分かつような筆舌し難い悲劇が起こったことを、我々に想起させるに十分である。これらはプロ中のプロによる構成であると推察する。

光るスピーチライターの技術

このように、アメリカ大統領を始めとする各国首脳はプロフェッショナル、すなわち「スピーチライター」に演説草稿を起案させている。そして当然、複数人存在するこの裏方には、国内外の政治を熟知し、何よりも大統領の嗜好をよく理解し、それを試案に落とし込む円熟の技が求められるため、ある程度の年齢に達したベテランが担当することが多い。

ただ、オバマ大統領の場合はこのスピーチライターに多様性を求めているようで、中には20代の若者もいると聞く。その若者は、例えばスターバックスコーヒーでノートパソコン相手に、大統領スピーチという「物語」を創造するのだろう。今回の所感の出だしなど、まさに物語性に溢れている。

これは多忙を極める一国のトップであれば当たり前のことだが、日本の首相の場合は「スピーチーライター」を抱えることは稀である。ちなみに安倍首相の場合、日本の首相にしては珍しくスピーチライターを抱えている。

ただし、今回の広島における安倍首相による所感、あれは一体何だったのだろうか?

安倍首相のスピーチライターである内閣官房参与・谷口智彦氏は、安倍首相とは違ってなかなか優秀だと聞いているが、今回の所感は谷口氏の手によるものではないことは明らかだ。

Next: 卑小な“官僚作文”でしかなかった安倍首相の所感



卑小な官僚作文でしかなかった安倍首相の所感

これは、アメリカ大統領の広島訪問という外交的偉業に対して、従来通り外務官僚に準備させたものと推察できる。事は外務省の大手柄でもあるから、外務省としても譲れない一線である。そして、この“官僚による作文”がこれまた従来通り、お粗末に尽きるのだ。

まず出だしである。

「昨年戦後70年の節目に当たり、私は米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において、内閣総理大臣としてスピーチを行いました。あの戦争によって、多くの米国の若者たちの夢が失われ、未来が失われました。その苛烈な歴史に改めて思いを致し、先の戦争で倒れた米国のすべての人の魂にとこしえの哀悼をささげました」

日米のあまりのレベルの違いに眩暈がするほどだ。

冒頭で文章は出だしが重要であると言った。出だしが全てであると言った。ところが安倍首相の所感のひどさは一体何だ。

冒頭のフレーズから「私」がアメリカを訪問し「スピーチ」を行った、と言っている。広島の、しかも死者を追悼する神聖なる場所において、いきなり私という「自分」に触れてどうする!

しかも、その私による米議会スピーチといった「手柄」に触れてどうするのだ?

やはり安倍首相は、自分が可愛くて可愛くて仕方のないナルシスト、あるいは、言いようのない深刻なコンプレックスを抱え、自分で自分の偉業を讃えることでしか自分の価値を見出せない承認欲求の塊なのだろう。こういった所感の端々にも、そんな倒錯した思いが見て取れる。

また、これまでの安倍首相による演説でも頻繁に出くわす言い回しなのだが、今回もそんな言い回しがあったので、ここに指摘したいと思う。

「とこしえの哀悼をささげる」
「心の紐帯(ちゅうたい)を結ぶ友となる」
「あまたの御霊(みたま)の思いに応える」

――といったフレーズがそれである。

この「とこしえの哀悼」や「こころの紐帯」、そして「あまたの御霊」といった言葉は、保守系とくに右翼と呼ばれる面々が多用するもので、日本独自の言葉、独自のニュアンスを秘めた言葉である。

そしてこれを書いたであろう官僚は、これらを採用することで多少は自分の知識に自画自賛しているかもしれない、そんな印象を抱かせる言葉群でもある。

英訳で消える日本語のニュアンス

しかしどうだろう。これらの言葉は、英訳するとき、どうしても一般的な表現にならざるを得ない致命的な問題を孕んでいる。言葉の持つオリジナリティに満ちた独自のニュアンスは間違いなく消滅するだろうことは避けられまい。

だったら、こんな言葉を使うのは間違いなのではないか?もっと一般的な表現に置き換わるような言葉を使って、なおかつ人々に訴えるフレーズを組み立てるべきではないのか?

そういった疑問、要望に応える方法はもちろんあるのだ。つまり、使うのは普通の辞書にも記載のあるようなありふれた単語であっても、それらを組み合わせることで「イメージを喚起する」ようにフレーズを構成してゆくのだ。

「イメージを喚起する」と言うと使い古され、曖昧模糊といった印象を持つ向きも多いかもしれないが、実際はそうとは言い切れない。

冒頭のオバマ所感をみると、最初のフレーズがまさに「イメージを喚起する」表現で構成されていることに気がつく。

「空から死が降ってきた」
「閃光と炎の壁が街を破壊した」
「自分自身を破壊する手段を手に入れた」

単語の一つひとつはごく一般的なものであっても、それらが組み合わさることで大きなイメージとなって我々の想像力を刺激してくるものだ。日米の言い回しを並べてみると、両者の個性がはっきりと浮かび上がる。

日本→「とこしえの哀悼」「心の紐帯を結ぶ」「あまたの御霊の思い」
米国→「空から死が降る」「閃光と炎の壁」「自分自身を破壊する手段」

それでも、やはり日本的な表現を好む方が多いと予想できるが、残念ながらこれらの言葉のテイストは英訳した時点で消滅するものだ。そして、日本のような先進国の一員は自国語の英訳表現に意識的でなければならない。

なぜなら、ドルが基軸通貨であるように、英語は共通言語であるからだ。だから、日本の閣僚は平易な言葉で人々のイメージに突き刺さる表現を構成する必要に迫られるのだ。

そして、この「人々のイメージに突き刺さる表現」を別の言葉で言い換えれば、それこそが「世界観」なのである。

Next: オバマ大統領の「壮大な作り話」に騙されるな



物語は作り話、現実は甘くない

オバマ大統領の所感は感動に満ち溢れている。その出だしの文章表現はあたかも文学・小説のようで、その後の大きな物語を人々に予感させるに十分だ。実際、所感の終盤でオバマ大統領はこう言っている。

「私の国には簡単な言葉で始まる物語がある。すべての人類は平等に創造され、創造主によって奪うことのできない権利を与えられている。それは生命、自由、幸福追求の権利である」

それでも、これらの理想を実現するのは簡単ではなく、だからこそ、この物語を追求することはすべての人類にとって価値あることだと、オバマは言う。そして、我々はこの物語を伝えてゆかねばならない義務があり、だからこそ「私たちは広島に来る」のであると、彼はそう我々に訴えるのだ。

初めに大きな物語があり、その物語を広島に結び付ける論の展開は見事と言う他なく、これをアメリカという固有名詞は伏せて、某国首脳の言葉として虚心坦懐に読んだならば、大多数の人々の魂は大いに揺さぶられるだろう。

それほどのスケール感、誠実さ、慈愛の精神を兼ね備えた、これぞ政治家冥利に尽きる金字塔的表明だ。そして、これこそがアメリカ合衆国に脈々と受け継がれている「世界観」であるとしたならば、我々はそんなアメリカと同盟関係を結んでいることに誇りすら感じるであろう。

しかし、現実はそう甘くはないと、オバマ大統領のこれまでの政治的姿勢の全てがそう我々に囁きかけている。

「CHANGE!」されなかった米国

「CHANGE!」を掲げ、颯爽とアメリカ政界に登場したオバマ大統領は、大いなる理想主義者であるかのように人々の眼には映った。アメリカ大統領といえども、本当の意味でアメリカ社会を変えるにはその力は限定的だ。それでも、オバマが自分の理想に忠実であればアメリカはもっと変わったに違いない。

現在進行形のアメリカ大統領選ではバーニー・サンダースが善戦し、ヒラリー・クリントンが彼を振り切れないでいる現実がそれを証明している。アメリカの若者たちの眼には、バーニー・サンダースが大いなる理想主義者(=アメリカを変える者)として映っているのだ。

核軍縮に関して言えば、例えば核弾頭の数一つとっても、その現実は目を覆うばかりだ。アメリカが7000発を保有し、さらにロシアのおいてはそれを上回る7300発を保有している現実が横たわる。この二国間だけで世界の核弾頭の実に92%を占めている。しかも、一国だけで世界の核弾頭の47%を保有するロシアが、先般のクリミア問題でアメリカと対立し、主にアメリカの意向によって先進国首脳会議から弾かれている。

端的に言って、ロシアのいない場での核軍縮表明とは、一体どれほどの意味を持つのだろうか。

世界の核を牛耳る米ロが対立し、ロシアをつまはじきにしたアメリカが、あれほどの核を持ちながら“したり顔”で核軍縮を謳い、広島平和記念資料館は10分程度の滞在でスルーし、原爆ドームに至っては遠巻きに見学するといった物見遊山な態度で、それでも被爆者の老人とは抱き合ったりしているわけだ。

そして、オバマ大統領訪日にまるで合わせたかのように、アメリカ軍属による邦人女性殺害が明らかとなり、日米地位協定の問題点が市民権を得たこの期に及んでも、安倍政権は沖縄に何の配慮をすることなく、アメリカに対しても日米地位協定の見直しを訴えるわけでもなく、むしろ他の各国首脳とは異なりオバマ大統領を明らかに優遇する措置をとっている。

茶番劇

しかも、ここが重要な点なのだが、広島を訪れたのはオバマ大統領だけであったという事実である。

安倍首相はなぜか伊勢神宮は各国首脳と参拝し、つまり、各国首脳に対して共に参拝することを要請し、にも拘らず肝心の広島についてはオバマ大統領のみの訪問で大いに満足している体たらくなのだ。

実に倒錯した状況である。ぼんやりテレビなどを眺めていると、あたかもオバマ大統領の広島訪問が歴史的偉業であるかのように洗脳されてしまうが、それこそ事実一つひとつを確認するだけで、今回の広島を巡る動向はそのすべてにおいて倒錯している様が見て取れるはずだ。

世間ではこういったことを「茶番劇」と呼んでいるはずだ。そして、日本を巻き込み、日本も自ら巻き込まれたがっている様相そのものが、アメリカの「世界観」なのである。

Next: テレビを見ているだけでも気づく「アメリカの世界観」とは



広島であらわになったアメリカの正体

そんなオバマ大統領に同行するのは「核ミサイル発射装置」を携帯した軍人である。この「核のフットボール」と呼ばれる装置は、アメリカ大統領が核攻撃を承認する際に使われる携帯型の認証装置である。

テレビを見ていれば気がつくことだが、アメリカ大統領には過剰なまでにSPが張り付いている。セキュリティ上それは仕方がないことだが、より本質的な理由として、アメリカ大統領は常に核兵器のスイッチと共に存在することが挙げられる。

「核のフットボール」はいつも大統領に寄り添い、それは24時間365日途切れることがない。夜になったらなったで大統領の寝室の横には「核のフットボール」の番をする担当官が寝ずに待機しているし、大統領の休暇中でさえ「核のフットボール」は付いてくる。実質上、アメリカ大統領にはプライベートなど存在せず、妻との夜の生活でさえこういった事情により好き勝手に楽しむことは制限されるはずだ。

このように「核」をどのように扱っているかがアメリカ国家を見事に体現しており、これこそが紛れもないアメリカの「世界観」なのである。

話を整理すると、伊勢志摩サミットに出席したオバマ大統領はそこで「世界経済・貿易」「政治・外交問題」「気候変動」「エネルギー」等々の諸問題について話し合い、さらに場所を広島に移し、そこでは世界に向けあたかも核廃絶は皆の責任であるかのような所感を述べ、平和記念資料館と原爆ドームを見学し、平和記念公園では戦争犠牲者に手向ける献花をし、そこで被爆者老人と抱擁した――「核ミサイル発射装置」を持ちながらだ!

これがオバマ大統領広島訪問の本質だ。

大きな物語と世界観を持つアメリカは、極めて立派な所感を広島と世界に向け発信したわけだが、果たしてそんなアメリカに核軍縮をしようとする意思はあるのか?オバマ大統領の一連の行動により、答えは既に出ているように思われる。

さすがはアメリカである。やることなすことすべてのスケールが桁違いであり、アメリカの弄する詭弁もまたワールドワイドなのである。そして、そんなアメリカに寄り添う安倍首相の見識を疑っている。

【関連】頭が悪いのに勉強しない。“アベ化”する世界と日本人の行く先=不破利晴

本記事は『マネーボイス』のための書き下ろしです(2016年5月31日)

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「あなたにとってハッピーな世の中とは、どのようなものですか?」驚かせてすみません。私は不破利晴と申します。私は、元駐レバノン特命全権大使・天木直人氏と共に、「インターネット政党」の成功に向けて活動しています。インターネット政党『新党憲法9条』のWebサイトをつくり、日々の運用管理をしています。想像して欲しいことがあります。→「毎日働き詰めで辛くありませんか?」→「生きることに目的を見失って辛くありませんか?」→「あなたにとってハッピーな世の中とは、どのようなものですか?」インターネット政党の主役は「あなた」です。

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