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鵜呑みにできない!現代日本のリフレ派経済学=経済学者・青木泰樹

「経済論理は、特殊な前提条件の下で成り立つ理屈にすぎない」が経済学者・青木泰樹さんの持論。現代日本における「経済学」と「現実経済」の乖離は深刻であり、リフレ派経済学者が主張する「政府がお金を発行しすぎると物価は上がる」を鵜呑みにはできない状況にあると指摘します。

記事提供:『三橋貴明の「新」日本経済新聞』2015年11月7日号より
※本記事のタイトル・リード文・本文見出し・太字はMONEY VOICE編集部によるものです

経済学(土俵の中の理屈)で、現実経済(土俵の外)を論じる危険性

「経済学」は万能ではない。広がる「現実経済」とのズレ

「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためです」と経済学者ジョーン・ロビンソンは警句を発したと言われています。経済論理は、特殊な前提条件の下で成り立つ理屈にすぎません。いわば「狭い土俵の中」での話であることを忘れてはならないのです(学説ごとに土俵の広さは異なりますが)。

しかし、世間には経済学の原理原則を現実経済の分析に直接適用しようとする経済学者やエコノミストが後を絶ちません。彼らは、経済学という土俵の中の理屈で、現実経済という土俵の外の話を論じるという過ちを犯しています。

言うまでもなく、現実経済は経済学の要求する前提条件を満たしておりません。それゆえ現実経済を論じる(土俵の中に入れる)ためには、前提条件を緩める(土俵を拡げる)ことが必要です。さしずめ私の指向する経済社会学はこれにあたります。

しかし、現在の主流派経済学(新古典派経済学の後継の諸学説)は、土俵を狭くすることに専心していきました。その結果、経済学と現実経済の距離はますます開いていったのです。

経済学者の経済認識と現実経済のズレが拡大している以上、もはや経済学者の言をそのまま信じては現実経済の動向を見誤ることになります。彼らの提言通りに経済政策が実施されたら、国民経済はたいへんな災厄(人災)を被ることになってしまうのです。

本日は、経済学の原理原則を絶対視すること、もしくはそれに基づき現実経済を認識することの危険性について具体的にお話ししたいと思います。

経済学の原理原則の具体的な題材として、著名なニュー・ケインジアンの学者であるグレゴリー・マンキューの提示する「経済学の10大原理」のうちマクロ経済に直接関わる原理を取り上げます。

今回取り上げるのは、「政府がお金を発行しすぎると物価は上がる」という貨幣に関する原理です。リフレ派の経済学者の依拠する理論的基盤ですね。これらの原理(いわば経済学者の経済観)で現実経済を認識するのは不適切であることを説明します。

ちなみに10大原理は、マンキューの世界的なベストセラーである著書『経済学原理』に示されているもので、その邦訳書『マンキュー経済学』は経済学の教科書として有名ですので、ご存知の方も多いと思います。

岩田規久男氏と三橋貴明氏の興味深いやりとり

以前、三橋貴明さんが貨幣の定義についての話をされていました。

その記事の中で興味深かったのは、貨幣(この場合は通貨)の定義をめぐる岩田規久男氏(現日銀副総裁)と三橋さんのやり取りです。岩田氏は「貨幣はマネタリーベース(現金)」と考え、三橋さんは「貨幣はマネーストック(現金プラス預金)」と考えておりました。

実は、このやり取りの中に「経済学における貨幣の定義」と「現実経済における貨幣の定義」の相違が潜んでいるのです。もちろん、岩田氏は前者の立場、三橋さんは後者の立場です。

この貨幣の定義の違いを理解するためには、国民経済の基本構造を知る必要がありますので、簡単なイメージを示しておきます。

国民経済は「政府ムラ」と「民間(経済)ムラ」から成り立っており、それぞれのムラには2軒の家が建っていると考えてください。政府ムラの2軒は、「親(政府)」の家と、「子(日銀)」の家です。民間ムラの2軒は、「銀行」の家と個人と企業が暮らす「実体経済(民間非金融部門)」の家です。

経済学の支配的な貨幣観は、「貨幣は民間経済の外で造られる」と考える外生的貨幣供給論です。

この点に関してはケインズ経済学もマネタリズム(新貨幣数量説)も同じです。すなわち、貨幣は政府ムラの造る現金(マネタリーベースもしくはベースマネー)と定義されます。民間ムラで現金を保有しているのは、銀行と実体経済に住む個人と企業ですから、その合計額を貨幣量と考えているのです。ちなみに銀行は保有する現金を「準備」として日銀に預けております(日銀当座預金)。

他方、マネーストックは「実体経済内で保有されている現金と預金の合計額」として定義されます。そこには現金に加えて、民間内部で銀行によって造られる「預金通貨」も含まれています。

言うまでもなく、マネーストックの動向、特に国内の財サービスの購入に使われるカネの量(アクティブマネー)の動向が景気動向(実体経済の規模の変動)に直接関係しています。

逆に、銀行の現金保有量の変動は景気に直接関係するものではありません。超過準備が発生しようと、融資が増えるか否かは景気に依存するからです。それゆえ、実体経済の動向を見る指標としてベースマネーよりマネーストックを重視するのは自然なことです。

Next: 主流派経済学の貨幣の定義に預金通貨が含まれないのはなぜか?


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主流派経済学の貨幣の定義には預金通貨が含まれていない

それではなぜ支配的な経済学の貨幣の定義には、預金通貨が含まれていないのでしょう。先に示した国民経済の簡略イメージを思い出してください。個人や企業(実体経済)の保有する預金とは、「預け入れ」という名称がついておりますが、実際は銀行への「貸し付け」のことです。

すなわち実体経済の預金(資産)は、銀行にとっての同額の負債であり、民間経済内で合計すると純額としてゼロになってしまうのです。その場合、民間ムラで資産(購買力)として残るのは現金だけとなります。

このように経済学の基本的な考え方は、単純に「政府」と「民間」を対峙させるだけで、各部門の内部(2軒の家の存在)にまで洞察を加えないために、どうしても現実経済を考える場合に齟齬が出てしまうのです。

しかし、経済学の貨幣の定義と現実のそれが異なっていようと、両者を関連づける概念があります。それがマネーストック(M)とベースマネー(H)の比率として定義される「貨幣乗数(M/H)」です。

この貨幣乗数の値が一定の値として安定しているならば、「貨幣とは現金のことだ」とする経済学の定義を現実に適用しても問題はなくなります。その場合、ベースマネーとマネーストックの間に一定の比例関係が常に維持されます(貨幣乗数の定義式を因果式と解釈すれば)。

例えば、貨幣乗数が7で安定していれば、ベースマネーを1兆円増やした時、マネーストックは7兆円増えることになり、政府はベースマネーの量を操作することでマネーストックを制御することが可能になるからです。

実際、岩田氏は、かねてからベースマネーによるマネーストックの制御は可能とする学問的立場を取っておりました(経済学の教科書の立場)。ベースマネーによる制御が可能か否かに関して、以前、彼は当時日銀に所属していた翁邦雄氏と「岩田・翁論争」を起こしたくらいです。それゆえ、岩田氏が、三橋さんに問われた時、「貨幣の定義はマネタリーベース」と答えたのは当然でしょう。

しかし、岩田氏の強弁は、現実経済を前提とすれば成り立ちません。貨幣乗数は、(金融政策の結果として)「事後的に算出されるHとMの比率」に過ぎないのです。事前に決まっている数値(パラメーター)ではありません。そのことは、政府から民間へ現金を注入する経路を考えれば容易にわかります。

日銀の量的緩和策では実体経済に現金が回らず、景気は浮揚しない

日銀の量的緩和策を考えてみましょう。日銀は民間ムラの銀行の保有する国債を買い取り、現金を渡します。しかし、実体経済に現金を渡しているわけではありませんから、マネーストックは増えません。

なぜなら、「ベースマネーとして定義される現金(民間保有の現金)」と「マネーストックを構成する現金(実体経済保有の現金)」は、同一ではないからです。先述したように、マネーストックの定義の中の現金に銀行保有分は含まれないのです。

このことさえ認識されれば、需給ギャップを解消し2%インフレを目指すとする量的緩和策の限界はおのずから明らかでしょう。確かにベースマネーを増やすことは出来ます(量的緩和策とは、銀行保有の現金を増やす政策ですから)。しかし、マネーストックを増やすには銀行による実体経済への融資が必要なのです。もちろん、融資の前提は実体経済の資金需要です。

それも不動産投資向けやM&A資金向けではなく、(景気浮揚のためには)国内の実物投資への融資の増加が必要なのです。

今後も量的緩和は継続されますから、貨幣乗数は下がり続けることになります。それはベースマネーによるマネーストックの制御が不可能なことの端的な証なのです。

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理屈優先の荒唐無稽。「ヘリコプター・マネー」は本当に有効か?

政府から民間へ現金が流れる現実的経路を考慮しないどころか、融資自体を無視するのがマネタリズムです。実は、銀行融資を考慮すると、「貨幣的要因は実物的要因に影響しない」、簡単に言えば、「価格が変化しても取引量は変化しない」とするマネタリズムの理屈(「貨幣の中立性」)が破綻するのです。

融資を受けた投資家は、自分の必要なものしか買いません。それによって追加需要の生じた特定の財の価格は上昇しますから、相対価格体系(諸財の交換比率)は変化してしまうのです。その結果、取引量も変化します(貨幣が非中立的となる)。

マネタリズムは、融資の代わりに、実体経済へ直接現金を渡す荒唐無稽な経路を考えました。それが「ヘリコプター・マネー」です。ヘリコプターで現金を実体経済へばらまくのです。

これは例え話と言われていますが、民間への貨幣の注入経路を持たないマネタリズムにとっては極めて重要な前提なのです。

さらに現金を拾う側にも厳しい条件が課されます。例えば、10%の物価上昇を目指す政府が当該額の現金を民間にばらまくとします。このとき拾う側は、現在保有している現金の10%だけ拾わなければなりません(それ以上でも以下でもいけません)。そして拾った人達が、拾う前と同じ嗜好(消費パターン)を維持していたとすると、その時初めて、物価が10%上がり、かつ取引量は不変という状況が現れるのです。

経済学を学ぶこと=経済学の限界を知ること

いかがですか。経済学の理屈は、厳しい前提条件を受け容れれば成立する真理であることに疑いはありません。しかし、その条件が現実にどの程度妥当するかを考えずに、結論をそのまま受け容れてはなりません。

政府がお金を発行しすぎても、それを使わなければ物価は上がりません。銀行へお金をたくさん渡しても、実体経済の人々がそれを借りて使わなければ物価は上がりません。民間が使わない状況であるなら、政府が使う(公共投資)しか物価は上がりようがないのです。

冒頭で「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためです」の警句をご紹介したジョーン・ロビンソン女史は、「経済学を学ぶことは、同時に経済学の限界(適用範囲)を知ることでもある。それを理解した上で、経済学の原理原則に盲従するのではなく、現実経済の分析に適した方法を選択せねばならない」と言いたかったのかもしれません。

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