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愛ゆえに声を失う。本当にあったパリ・オペラ座史上「最大の悲劇」

オペラをもっと身近に感じられる、無料メルマガ『0からのオペラつーしん!』を発行する、田実志大さん。オペラの奥深さを知るために、多くの人にオペラの魅力について知ることができる、世界でも珍しいマガジンです。今回のメルマガでは、「パリ・オペラ座、最大の悲劇」と呼ばれた、その真実について紹介しています。

 本当にあった悲劇(パリ・オペラ座最大の悲劇)

パリ・オペラ座。現代まで続く豪華絢爛なオペラの殿堂、その舞台で声を失い、泣き崩れたソプラノ歌手がいた。

これはパリ・オペラ座史上、最も悲しい出来事であったと言い伝えられている。

1839年3月8日、フランス人テノール、アドルフ・ヌーリがナポリで投身自殺をした。1830年代当時、彼はフランスを代表するテノール歌手だった。

ロッシーニという作曲家の「ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)」の初演を行うなど、パリ・オペラ座で活躍していた。当時、ロッシーニは非常に人気のあるオペラ作曲家で彼のオペラを初演することは大変な名誉であった。

彼の発声は残っている文献によれば、現代のテノールと異なる発声法ではあったがフランスで人気のある歌手であり、コルネリ・ファルコンという若いソプラノ歌手に発声の指導を行っていた。そしてヌーリとファルコンは師弟関係であると同時に恋愛関係でもあった。

ファルコンも素晴らしい才能をもった歌手であったが、若いうちに声を酷使し過ぎてしまったため、24歳の時には歌手活動を一旦やめ、ヌーリのもとから去ってしまっていた。

時を同じくして、フランスにはジルベール・ルイ・デュプレというテノール歌手が名をあげはじめていた。彼の発声は現代のテノールと近いものとされ、その祖という一説もある歌手であり、力強い高音を発することが出来たと言われている。

そんなデュプレの歌声は次第に人気を集め、ヌーリの地位を脅かした。

当時、新しいオペラの初演というのは話題性の高い出来事であり、歌手にとっては、人気のある作曲家のオペラの初演を演じるということ、作曲家にとっては、人気のある歌手初演に抜擢することはお互いにとって大きな意義があることだった。

「ポリウト」の初演がなくなったこと、タイトルが変わったとはいえほとんど同じ内容の作品をあのデュプレに奪われる。ヌーリを絶望へと突き落とすには十分だった。

1839年3月8日、それは現実のものとなった。

かつてヌーリの教えを受け、恋人でもあったソプラノのファルコンは彼の死を嘆いたが、療養を終え、再び歌手として活躍し始めておりパリ・オペラ座の舞台に返り咲くほどであった。

だが、あるオペラの恋人同士という役の二重唱を歌う時に悲劇は訪れた。

オペラの中での彼女の恋人役として演じる二重唱の相手、それはデュプレであった。ファルコンはヌーリがデュプレに対してどのような想いを抱いていたか知っていた。最愛の人を華々しい舞台から奈落へ突き落とした男を前に、彼女の歌声は次第にかすれていき、ついには声が出なくなってしまっていた。

無声状態、今まであったものがなくなってしまった世界。彼女はその場で泣き崩れ、気を失ってしまった。

ファルコンはそれ以降、歌声を発することなく残りの人生を過ごした。

ヌーリとの思い出を胸に秘めながら…。

image by:Shutterstock

 

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