「とんでもないことを言い出すのではないか」などと直前まで日本国民の多くが気をもんだ、安倍総理の米議会での演説。ところが蓋を開けてみれば、演説中に10回以上のスタンディングオベーションが起きるなど、「成功を収めた」と言ってもいい出来でした。ジャーナリストの柴山哲也は今回の演説を評価する一方で、首相がアメリカに入れ込むあまりに訪れるかもしれない「近未来の出来事」に懸念を示しています。
米国議会演説 安倍総理アイデンティティの謎
安倍総理のアイデンティティはいったい何処にあるか。
気難しい米国両院議員総会の場で、米国政治家たちに概ね好感で迎えられたことは、安倍に批判的な日本の識者は意外に思っていることだろう。かなり致命的な失敗を冒すに違いない、歴史修正主義者丸出しのナショナリズムを発揮するのではないか、と多くの人が危ぶんでいた。
しかし事態は違った。安倍氏が日本の国会にまだ提出もされていない集団的自衛権をめぐる日米安保法制を夏までに成立させて見せると英語で見えを張ったことを除けば、日本人にとって違和感のある発言は少なかったに違いない。
まるでハリウッド映画に出た日本人役者が、結構、達者に芸を披露して、アメリカ議会の喝采を浴びる雰囲気がそこにあったからだ。
日頃、日本の国会中継テレビでは、不景気で陰気な顔をして、何やら野党議員に毒づく安倍首相を見慣れた日本人には、甚だ居心地が悪い米国演説だった。英語がわかりにくいというだけでなく、何より安倍氏の顔が陽気で晴れやかであり、ヤンキーの一員であるかのように闊達に振る舞い、ジョークやユーモアを連発し、米国の歌を披露して、しきりに日米は切っても切れないお友達関係にあることを力説いていたからだ。日米同盟の本来の軍事的な側面が演説のテクニックによって、希薄化される効果があった。
一所懸命にアメリカへラブコールを送り、相手を口説いているように見えた。
安倍演説の草稿は誰が書いたんだろうか。こういう安倍氏の演技を演出した知恵者は誰なのかを、いろいろ頭を巡らしてみたが、思い浮かばない。ユーモアや才気にあふれたこの草稿を平凡な日本の役人や偏差値秀才の外務省の官僚が書けるはずはない。
ホワイトハウスは最大の広告代理店という話があるが、恐らく、アメリカの有力シンクタンクか巨大広告代理店が、安倍氏の演説草稿を書き、演技指導したものだろう。
それにしても、首相が外国でいつもこのレベルの演説をこなしていれば、国益を損なうだとか、戦争に至るなどのリスクはなくなる。
首相のイスラエル演説がイスラム国人質の後藤健二さんの殺害に結びついたとの見方があるが、イスラエル演説でもこの手の草稿を使えば、ひょっとすると後藤さんは殺されずに帰還したかもしれない。
それはさておき、安倍氏はひょっとするとアメリカ的価値観を普通の日本人以上に過剰に持っている人間ではないか。日本の総理大臣が日本の魂とか日本人的なアイデンティティを過剰に持っている必要はないが、安倍氏はあまりに親米なのである。
かつて知米派の元総理宮沢喜一氏の話しを聴いたとき、アメリカと付き合うほどにアメリカが嫌になると話していたことがある。戦前、戦後を通じて外交交渉で米国と付き合うほどに、嫌米意識が強まっていたようだった。
安倍氏はもともと堅固な歴史修正主義者、戦前回帰のナショナリストであると見られていた。私は直接、安倍氏を知らないから、メディアや報道によってそう思っていた。しかし今度の安倍演説をテレビ中継で聴いて、安倍氏のアイデンティティは日本人以上に米国的ではないかと感じたものだ。
安倍氏が自由と民主主義を本心からの価値観として偽りなく信奉しているならば、軍国主義者などとは正反対のメンタリティの持ち主のはずだから、辺野古も近隣諸国との関係改善も話し合いも難しい話ではない。
首相があまりにアメリカに入れ込むあまり、日本の面倒な国会論議を飛び越して、日本政府の決定を米国議会に依存する癖がつかないように監視が必要だが、これが行き過ぎると、安倍氏だけは一人USAの人になり、ある日突然、日本州知事に収まって星条旗のもとで英語演説を始めたみたいな近未来が訪れることがないように願いたい。
『ニュースの点と線 柴山哲也の論説コラム』
著者/柴山哲也
国際関係を軸にした内外のニュースの背景と分析に重点をおいたコラムです。マスコミのニュースではわからない情報を多面的に吟味し、現代世界を読み解くキーワードを発見します。
≪登録はこちら≫