糸井重里のNHK3.11特集の苦言に納得。あまりにも違う米国9.11との差

 

ニューヨークの場合

近年、ここニューヨークでも、何も罪のない多くの人々の人命が失われる悲しい出来事があった。「もうこの街は終わりかも?」という不安や絶望に突き落された悲劇である。しかも、地震や津波のような自然災害ではない。そう、2001年9月11日に起こった米国同時多発テロ

ニューヨークを代表する巨大な超高層ビル、ワールド・トレード・センターの2つのビルに、民間旅客機が2機突っ込み、一部周辺のビルも巻き添えにして崩落。2,749人の方々が死亡し、さらに多くの方々が負傷した。死者の中には、みんなの命を救うために駆けつけた消防や警察の方々も含まれていた。

ニューヨークでは、消防隊員は、たった一人でも消火活動中に亡くなれば、追悼のためのパレードが大々的に催され、地元メディアで大きく報じられるみんなのヒーロー。そんなヒーローたちが、一度に何百人も亡くなった。もし悲しみをクローズアップしようと思ったらいくらでもできる。

でも、あの9・11から5年を迎えたとき、ニューヨークで報じられていたのは、悲しみを煽るより、不安や絶望のどん底から這い上がってきたニューヨーカーの姿だった。

いや、5年を迎えたときだけじゃない。

実は、ワールド・トレード・センターが崩落した直後ですら、アメリカの報道機関がより多くの時間を使って報じていたのは、人々の不安や絶望、あるいは悲しみなどではなく、希望や勇気だった。

当時、日本のマスコミは、「大変ダー、大変ダー!!!ワールド・トレード・センターが崩落した。日本人も犠牲に!!!」と不安を煽る報道に終始していたがアメリカの報道はぜんぜん違っていた。

そりゃ、そうだ。そもそも、ニューヨークは世界のメディアの首都などとも呼ばれ、アメリカの主要メディアの記者たちの多くも、この街に住んでいる住民なのだから、「大変ダー、大変ダー!!!」などと他人事のように騒ぎ、不安を煽るバカが、そんなにいるわけがない。

それに、伝えるべき情報は山ほどあった。なにしろ、あの9・11直後から、周辺エリアは交通封鎖され、その後も数週間にわたって、なんと、14丁目のユニオン・スクエア以南の車道はすべて通行禁止に。さらに南のキャナル・ストリート以南については、9・11から約一ヶ月後の10月13日までその状況が続いていた。

当時の様子を知る友人から今でもよく聞かせて頂く話だが、当時、ニューヨークで報じられていたのは、現場から生きて逃れた人々の生の声だったそうだ。

それは、自らの命を犠牲にしてまで助けてくれた職場の同僚たちや、駆けつけた消防隊員たちへの感謝の言葉…。亡くなられた方々が一番最後に残しいていった、いわゆる遺言のようなもの…。

例えば、

『私は他のみんなを助けにいく。』

というような言葉や、

『もし自分が戻れず、君が無事にここから逃げ出し、私の妻や子ども達と会う機会があったら、「永遠に心から愛している」と私が言っていたと伝えてくれ・・・』

のようなメッセージだ。

ご遺族の方々の声を報じた報道も多々あったという。

若くして亡くなった消防士さんなどの場合、その活動実績に加え、ご両親や奥さんや幼いお子さんなどのご家族が登場して、今の思いをインタビューで語る、というような内容。もともと、いつ死んでもおかしくない消防士の妻になる道を選んだ奥さんたちの多くが、幼い子ども達を抱えながら、

『一人でも多くの方々の命を救うために亡くなった主人を誇りに思う。』

などと気丈に語っていた。

当時の様子をよく知る友人は、今でもそうした報道をハッキリ鮮明に覚えてるという。まるで映画のようなエピソードも報じられていた。

ブルックリンの消防署(Brooklyn’s Squad 1)で、勤務シフトをちょうど終えて、兄弟たちとのゴルフに向かう途中だった消防士のStephen Sillerさんは、最初の旅客機がツイン・タワーに突撃した一報を聞きつけ、すぐに奥さんに「休暇がなくなった」と電話を入れると、至急、消防署に戻り、防火服や消火装備などを身につけて、消防車でブルックリン・バッテリー・トンネルへ。

そう、ブルックリンからマンハッタンへ向かうには、途中でイースト・リバーをこえる必要があるのだ。

ところが、セキュリティ上の理由からトンネルの車両通行は完全閉鎖。援護のための消防車ですら通してもらえない緊急警戒態勢になっていた。普通の人なら、それじゃ仕方ないなって思って諦めるところがだ、Stephenさんは、真のヒーローだった。

誰かの命を救うため、一人でも多くの人々を救うために、なんと約30キロある重い装備を背負って、そこから走ってそのトンネルを抜け、ワールド・トレード・センターの現場へと駆けつけた。そして、現場で犠牲になられた

なお、Stephen Sillerさんの遺志を受けて、彼が走ったのと同じ距離を走るマラソン大会などを開催したり、各種社会貢献活動に寄付を行うファンド(Stephen Siller Tunnel To Towers Foundation)も作られた。

〔ご参考〕
●Stephen Siller Tunnel To Towers Foundation
http://tunnel2towers.org/

要するに、あの9・11直後、突然、不安や絶望に突き落とされたこの街の人々に、ニューヨークのメディアが伝えていたのは、希望や勇気だった。

それは例えば、「亡くなった方々のためにも、生き残った我々が、今、下を向いている暇などない。今を生きろ!!!」という強烈なメッセージだった。

そして、そんなメッセージは、その後のニューヨークを、本当に大きく変えることになった

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