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下町の職人魂が世界を変えた。墨田区の金型職人・岡野雅行の執念

東京都墨田区にある従業員6人の小さな町工場。しかし、「誰にも真似できない技術」を求めて、世界中からひっきりなしに仕事の依頼が舞い込んでいます。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、世界一の技術を誇る「岡野工業株式会社」の経営者であり、金型プレス職人でもある岡野雅行社長の男気溢れる「職人魂」に迫ります。

ニッポンの明日を開く町工場

痛くない注射針を作った職人がいる。その職人は言う。

刺しても痛くない注射? そんな針なんてあるわけない…みんながそう思う。だけど、蚊に刺されたときのことを思い出してほしい。蚊に刺されたとき、気がつく人はほとんどいない。蚊が人を刺して血を吸うときの口針はごく細い。だから、刺された人は痛みを感じない。それなら、それと同じぐらい細くてなめらかな注射針ができれば、多くの人は痛みを感じないはずなんだ。

こう聞けば理屈は単純明快、誰にでもすぐ分かる。しかし、蚊の口針ほど細くてなめらかな注射針を作る事は誰にもできなかった。それをこの職人はやってしまった

痛くない注射針は薬液を流れやすくするために先細りの形状をしている。長さが20ミリの針の先端は外径が0.2ミリ。注射針だから当然、穴があいていて、その内径が0.06ミリ

医療用具の大手メーカー・テルモ株式会社と共同で世界中に特許を出した。当面年間10億本の生産を予定し、現在は生産設備一式を準備中だ。

今でも、やりきれないぐらい仕事があるんだ

この職人は岡野雅行さん70歳(2003年当時)。東京墨田区で従業員6人の「岡野工業株式会社」を経営している。筆者は岡野さんの講演を聴き、またその後の懇親会で挨拶したことがあるが、東京下町の典型的なべらんめい口調だ。筆者も同じ下町生まれなので、まさに近所の町工場の親父さんという感じで懐かしかった。

従業員6人とは、岡野さんと経理をしている奥さん、娘の亭主、それに3人の従業員。典型的な町工場である。経理は奥さんに任せっきりで、岡野さん自身は「どうやら年間売上げが6億円ぐらいあるらしいな」というほど。

6人で年6億の売上げと言えば一人年1億。「今でもやりきれないぐらい仕事があるんだ。ホントなんだから。仕事がない、ない、なんてウソ。うちはいっぱいあるもん。」

岡野さんの得意とするのは「深絞り」と呼ばれる伝統的なプレス加工技術だ。たとえばジッポーなどのライター・ケースは、一枚の平らな金属板を何回かに分けてプレスし、徐々に深い箱形を作っていく。岡野さんの親父さんはライターの鉄のケースを深絞りで加工するための金型づくりをやっていた。「痛くない注射針」で先細りの形状を作り出せたのも、この深絞りの応用である。

携帯電話の電池用ステンレス製ケースも、この技術で作った。携帯がここまで小型化できたのは電池が小さくなったお陰で、それには深絞り技術なしには不可能だったという事で、岡野さんは携帯電話普及の功労者の一人としてマスコミにも取り上げられた。

その他、アメリカのステルス戦闘機に使われるカーボン加工から、音声マイク先端の球状金属網まで、よそではできなかった仕事ばかりが岡野さんの所に持ち込まれる。

みんながやっているような仕事は絶対やらない

岡野さんは、みんながやっているような仕事は絶対やらない。人の仕事を盗るのはいやだし、そんな仕事は値段勝負で儲からない。やるのは、単価が安すぎてみんなが敬遠する仕事と、技術的に難しすぎて誰にもできない仕事だ。中間の仕事は今や、ほとんどが中国や東南アジアに移ってしまっている。

安い仕事の典型は、四角の筒の側面に穴をあけたコイルケース。他の会社が作っていて、一つづつ穴を開けるために4工程を要していたが、これでは儲からないと捨ててしまった仕事だった。岡野さんはこれを一回のプレスでできるようにして、1個80銭で作れるようにした。1万個作っても8,000円にしかならないが、自動化することで儲かるようになった。

こういう仕事をしながら、一枚の鉄板から鈴を作るような技術を磨いていった。この鈴はなんと中国に輸出しているそうな。とことん技術を極めれば、コストでも中国に負けないものができる。

誰にもできない仕事とは、冒頭で紹介した痛くない注射針のような仕事だ。

燃料電池のケースを作ったり、極細の注射針をつくったりするのはうちでしかできない。「岡野さんのところは高いからほかにもっていく」と言っても、かならず戻ってくる。「やっぱり、できませんでした。岡野さんじゃないとできないんです。お願いします。」と言ってやってくる。

安すぎて誰もやりたがらない仕事も、難しすぎて誰にもできない仕事でもこなしてしまうのは、岡野さんの群を抜いた技術力である。

技術というのは、失敗の連続から生まれるもの

岡野さんが誰にも負けない深絞りの技術を身につけたのは、30数年前にステンレス製のライターケースを作ってくれ、という仕事が舞い込んだ時からだった。当時、ステンレスを絞る仕事をやっている工場はほとんどなかった。

ステンレスを絞る仕事は、たしかに鉄を絞るより難しいけど、やればできないことはなかった。だが誰も手を出さなかった。なぜか? 当時は景気がよくて、あえて難しい仕事に挑戦しなくとも、十分儲かっていたからだ。それを岡野さんは「誰もやらない仕事をする」という信念から、あえて引き受けた。そして何度も失敗し試行錯誤を繰り返しながら技術を確立していった。

携帯電話用の電池で、ステンレスのケースが求められた時、ライターケースで悪戦苦闘した経験が役に立った。昔、ステンレスの加工を敬遠した同業者たちは、時代が新たに必要としている技術を持ち合わせていなかった。岡野さんは言う。

どうしてそれだけの技術が身に付いたのか。特別のことじゃない。それだけの失敗をしてきたからだよ。技術というのは、失敗の連続から生まれるものなんだ。挑戦しなければ失敗もないけど成功はもっとない。成功には失敗が必要なんだ。「失敗は成功のもと」といういい言葉があるのに、みんな忘れちゃてるんだよ。…

 

人が出来ない仕事は難しいから失敗もする。失敗の中から何年先か、何十年先になるかわからないが、その失敗が必ず生きてくる。未来に役立つノウハウが必ず生まれるんだ。

仕事を追えばお金は自然とあとからついてくる

難しい仕事への岡野さんの挑戦は半端ではない。エアコンの四方弁という部品を作る設備に取り組んだ時は、朝の8時から夜の11時、12時まで機械と格闘する日々が続いた。頭の中の設計図ではこう動くはずだと考えていても、なかなかそのとおりに動かない。手直しして動いたかと思うと、翌日には動かないので首をひねる、という毎日だった(ちなみに、岡野さんは図面を引かない。腕のいいピアニストが楽譜なしで即興でピアノを引くように、頭の中ですべて設計を考えてしまう)。

こんな日々が一年近く続いて、ある時、経理担当の奥さんに怒られた。「おとうさん、今年は3万5,000円しか収入がないわよ。あんた、毎日なにやってたの」年収が3万5,000円ではいけないな、と反省しつつも、「意地でもやらなきゃいけないことというものはあるんだ」。

職人はお金を追いかけてはだめだと、岡野さんは言う。儲かるものを見つけたらずっとそれでやっていこう、とか、500万円かかる仕事を手を抜いて300万円で済ませようとすると、いつか必ずどこかで破綻する

金のことなんか全然考えずに仕事ができるようになると、いい仕事ができるからよけいにお金が入ってくる。いい仕事をするからまた仕事も入ってくる。だけど、この好循環までもっていくのが大変なんだ。

 

仕事を追えばお金は自然とあとからついてくるのに、みんなお金を追いかけるから、お金が逃げてしまう。みんながみんな、お金、お金、利益、利益と念仏を唱えてやっている。俺の場合は、どこまでいっても仕事、仕事なんだ。みんな目先の10円を拾うばっかりで、もっと先にある大きなお金が見えないんだ。

大企業の下請けじゃない

岡野さんの会社は6人の小企業だが、決して大企業の下請けではないあくまで対等の関係だ。ある大企業の担当者が、難しい金型を必要としていて、あちこちに注文を出したが、どこにも作れない。困って岡野さんの所にやってきて「どうしてもこの金型を作ってくれ。だけど金型の予算をあちこち使っちゃってこれだけのお金しかないんだけど、足りない分は部品の価格に金型代を上乗せして払うから」と頼みこんだ。

岡野さんが金型を開発して、1年ほど部品を納めているうちに、担当者が替わった。新しい担当者は「部品の値段が高い。他でやらせるから金型を寄こせ」と要求した。金型代なんて3分の1しかもらってないから渡せない、と岡野さんが断ると、今度は金型代を払ってやるからもってこい、と言う。

岡野さんは頭に来て、「うちは金は余っているからもう金型代はいらない。その代わり、3分の1しか金型代もらってないんだから金型を半分に切っちゃうからね。それであんたに渡すよ」

ガタガタに切れた金型を見た担当者は「いや、困った、困った」と言ってたけれど、俺も「困ったって、俺は知らない。おまえの勝手にやればいいじゃないか!」と言ってやった。…この会社も2002年のはじめに倒産しちまったよ。

中小企業の経営者は「岡野さんみたいなことを言うと、うちみたいな会社は、生意気だって言われて干されてしまう」と言う。しかし岡野さんはよそではできない技術を持ってるから強い。「うちへの仕事、止めるなら止めてみろそっちのほうが先に仕事が止まるぞ」と言ってやるそうだ。

日本に生まれてよかった

岡野さんの会社は儲かっているから、社員旅行も25年前から家族連れの海外旅行だ。しかしハワイとかグアムのような観光地ではなく、ボルネオとかニューギニア、スリランカ、タイやフィリピンといった発展途上国に行く。

20数年前、フィリピンのミンダナオ島に行ったときのことである。従業員の家族を含めて総勢20人くらいで、ジープに分乗してバナナ農園に見学に行った。ゲリラが出没する土地で、危ないから現地の案内役をつけたほどだった。

バナナ農園で、ちょっと形の悪いバナナをたくさんもらって、またジープで戻ってきて、そこいらにいる漁村の子供たちに一房あげると、すぐに奪い合いのケンカを始めた。すると漁村の村長らしき人が出てきて、子供たちからバナナを取り上げ、並ばせて順に配り始めた。

現地の子供たちはバナナなんてたくさん食べていると思っていたのだが、彼らにとっては高級品で「バナナなんか食べたことがない」と言う。当時のミンダナオ島はそれくらい貧しかった。

泊まったホテルでも工場でも、フィリピンでは人が余っているから、みなクビにならないように本当に一生懸命働いている。こういう姿を見て、日本に帰ってくると皆「日本に生まれてよかった明日からまた頑張って仕事をしよう」と思う。

あきらめずに挑戦し続ければ最後にはできる

日本でも少し前までは、みな真面目に働いていた。

よく親父が俺に言っていた。「おまえらの時代は運がいいんだ。みんな不真面目なやつらばっかりだからちょっとやれば儲かる。俺たちの時代はみんな真面目だから儲かりゃしないんだ」と。今の時代もそうだと思う。

 

今の若い人たちに言いたいのは、何しろ「手に職をつけろ」ということ。何か一つ、得意なことがあればそれをずっと努力して練習して伸ばしていく。そうすれば絶対に食いっぱぐれない。

 

その「得意なこと」を伸ばしていくためには、目先の利益を考えたり、誰でもやれるような事をやっていたのではダメだ。誰もやらないような仕事に挑戦して、失敗を積み重ね、その中から自分だけの技術を生み出していく。

 

途中であきらめてしまうから本当の失敗になる。あきらめずに挑戦し続ければ最後にはできる。「もうダメだ。やめた」。これが本当の失敗。でも、やめないで続ける。いくつも材料を無駄にする。でも、そのうちできる。絶対できる。これは失敗ではない。

今、日本は我慢のしどころなんだ

バブル崩壊後の日本が元気を無くしたのは、安易な利益に溺れて、難しい仕事に挑戦する気風がなくなったからではないか。岡野さんのように、一途に自分の仕事に取り組む人がどれだけいるかで一国が元気かどうか決まる。岡野さんは言う。

中国だっていつまでも上り調子じゃないよ。日本も昔はいいときがあった。今、日本は我慢のしどころなんだ。失敗を繰り返すのを我慢するんだ。我慢していれば必ずまたきっと上り調子になる。…

 

上り調子になるまでの間は、技術を蓄積して、いつか来るチャンスに備えておくことだ。絶対にいいときがまたやってくる。

文責:伊勢雅臣

image by: Shutterstock

 

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣
購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
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