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なぜ京都のお雑煮は「白味噌に丸もち」か? その理由は神様にあった

2016年も残りあとわずか。大掃除やお正月の準備などで忙しい人も多いと思いますが、最近では昔から続く年末年始の習わしは簡略化されてしまっているのが現状です。そんな現代日本の中で、伝統的な行事や習慣が今も多く残る街・京都では、どのような準備が行われているのでしょうか? 今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、京都で受け継がれている年末年始のあらゆる習わしや行事などを一挙にご紹介。なぜ京都のお雑煮が白味噌に丸もちなのか、ご存知でしたか?

京都人の年末年始は大忙し

京都でお正月の買い物と言えば錦市場ですよね~。京都の市内中心部を東西に走る四条通りより一本北側に平行に走る約400メートルの商店街は錦小路通りと呼ばれ京都の台所です。江戸時代を代表する天才画家・伊藤若冲はこの商店街にあった八百屋が生家です。今では外国人観光客が多く地元の人が思うように歩けないぐらい賑ってますが、一度に全てのものが揃うのは錦市場ならではでしょう。

今はだいぶその姿は減りましたが、昔は野菜は賀茂から売りに来たり(振り売り)、白川から白川女が花を売りに来ていました。錦市場以外でもお正月の品を売りに来る行商が少なくなかったようです。

京都の正月に欠かせない「根引きの松」などは、最近はわざわざ花屋さんに行かないとないみたいですね。「根引きの松」は京都ならではの変わった門松ですよね。 根ごと引き抜いた細い松の木を白い半紙で巻いて紅白の水引を結っただけのものです。華美を好まない京都らしい質素なもので、「根がつきますように」との願いが込められています。

ちなみに注連縄(しめなわ)も玄関はもとより昔は各部屋、お風呂、トイレ、車、自転車など身近なものに取り付けていたようです。今でもたまに車などに飾られているのを目にしますよね。

お正月料理の食材で12月25日を過ぎないと手に入らないものもあります。お雑煮に入れる小さな細い大根でネズミ大根(祝い大根)です。

そしてお正月のおせちに欠かせない手間がかかる食材といえば頭芋です。家長や長男の椀には欠かせない食材ですが、皮を剥くのが一苦労です。棒鱈(ぼうだら)や数の子も早めに水に戻して皮をむく必要があります。今は戻した切り身が売られているので数の子などはそこまで手間のかかる食材ではなくなりましたかね。

さて、年越しに向けて準備を整えてようやく迎えた大晦日に向かう先は深夜の八坂神社です。八坂神社の大晦日の行事は「をけら詣り」です。商家などでおせちの準備で大忙しの主婦の方は行けませんかね。。。伝統的な商家であれば、おせちを詰めて、お雑煮を作って、年越し蕎麦も作らなければなりません。

「をけら詣り」は、吉兆縄にお雑煮を炊くための火種を頂きに参ります。縄の先に火を頂き、それを消えないようにぐるぐる回しながら家まで持って帰るのがしきたりです。その火をおくどさん(台所のかまど)の種火にして翌朝のお雑煮を作るのです。

年末の大掃除が終わると、お正月のお飾りを飾ります。京都の商家など伝統と格式を重んじる家では屏風やお軸も新年のしつらえにします。飾るのは26.27.28日辺りで29日は苦を避ける意味でも避けます。31日も一夜飾りとなってしまうので30日が最後でしょうか。

正月の食事に必要な器なども用意します。普通とは違う食器を使います。男性は朱塗り女性は黒塗りの家紋付きのお椀を出します。お膳の高さもあぐらをかく男性のものと、正座する女性のものとでは微妙に違います。男性のお膳の方が足が低いのです。このような品は元来、子供が生まれた時に誂えて一生使うものだといいます。

お正月は身の回りの色々なものをサラ(新)にします。大晦日には新しい下着を家族の枕元に置いて寝て新しい年を迎えます。

そして、いよいよ新しい年を迎えます。

年が明け元旦の朝は、家族で新年の挨拶をします。挨拶をすませた後は、前日から用意しておいたお雑煮やおせちを「お祝いやす」と手を合わせてみんなで頂きます。

京都のお雑煮は白味噌に丸もちです。歳神様にお供えするものでもあるので神様が好きな白色の味噌を使います。餅は伸びるので長寿を願う食べ物。それを丸い形にして円満への願いが込められています。そして、人の頭(かしら)になるようにと頭芋を切らずに一つずつ入れます。また子孫繁栄を願い小芋を、地に根が張るようにと大根の輪切り等全て丸い具を入れます。「今年一年人と争う事無く、何事も丸うおさめて暮らせますように」と願う気持ちが沢山込められているのです。エビイモや海老は背中が曲がってしまう歳になるまで元気で暮らせるようにとの思いを込めておせち料理には欠かせません。お雑煮は歳神様へお供えするものでもあるので、昆布のみで出汁を取り、食べる直前にかつお節をかけます。神様は生臭い匂いを嫌うのでお雑煮は魚で出汁はとりません

京都ではお正月の三が日に食事の度に毎回登場する鯛が用意されます。にらむだけで箸をつけないにらみ鯛」という変わった風習があります。今では一日だけという場合も多いようですが、少しおいた鯛は身がしまって美味しいといいます。

おせちはごまめ、数の子、叩き牛蒡(ごぼう)は「三種の神器」と呼ばれるほどおせちには欠かせない食材です。また、小梅と結び昆布が入った大福茶を三が日に頂きます。

迎春菓子としては宮中の包み雑煮から転じた花びら餅が老舗菓子匠などで販売されます。

元日の朝、おせち料理を並べ始めると家長である父親が、一人一人の柳箸(やなぎばし)・祝い箸の箸紙に家族の名前を書いていきます。お正月の3日間くらいはそのお箸で食事をします。柳箸は、お正月にお雑煮を頂く時に使われる太めに作った白木の両端が削られている箸です。

お正月には、どの家にも「歳神様(お正月様)」が幸行されています。歳神様と共にお雑煮やおせちを頂き、神様のご加護を受け、慶びを共にするのが日本の正月の食事のあり方です。そのため、柳箸の一方を自分が使いもう一方は神様が使用されるために両端が削られているのです。「取り箸」として重箱のご馳走を取り分けるために使うことは、決してしてはいけないことです。重箱用の取り箸には、「組重」と箸紙に書かれた重箱専用のお箸を用意して、それを使ってご馳走を取り分けるのがしきたりです。この辺りは日本が誇る伝統的な正月の風習の一つです。きちんと後世に伝えていきたい日本人の精神ですね。

三が日が過ぎると縁起物のにらみ鯛もお役目が終わります。焼き直したり蒸して食べたり、湯豆腐に入れたり、鯛そうめんにしたりして美味しく頂きます。余ったおせちは天ぷらにしたり、細かく切ってけんちん汁や茶碗蒸しの具材にして召し上がります。

7日には七草粥、15日には小豆粥で締めくくり、お飾りや注連縄をはずします。「おめでとうさん」と言っていた挨拶もこの頃から普通の挨拶に変わり日常の生活に戻っていきます。

日本人なら昔は誰でもお正月の用意をしたものだと思います。世の中便利になった割にはゆとりある生活にはなりません。ひとりひとりの心の問題だと思います。お正月の準備や用意も日常に忙殺され簡素化され省略されてしまいました。そのため「ハレ」と「の境がなくなってしまいましたね。

昔から日本人は、普段通りの生活を送る日を「)」と呼びました。これに対して神社の祭礼やお寺の法会、正月や節句、お盆などの年中行事、冠婚葬祭を行う特別な日を「ハレ晴れ)」と呼びました。単調になりがちな生活に変化とケジメをつける日本人の生活の知恵ではないでしょうか。

普通どおりの生活を送る「の生活が順調にいかなくなることを「気枯れ(けがれ)」といいます。「ケガレ」は特に死や病、血にまつわる斬り捨てや出産などと考えられてきました。日本人は昔からケガレを忌み嫌いました。お正月などは神に近づくのにふさわしい体になるために禊ぎを行いケガレを取り除きます。

※本文中に一部誤りがあり以下のように訂正させていただきました。「元旦の朝」→「元日の朝」 「ケ(裏)」→「ケ(褻)」

 

無料メルマガ『おもしろい京都案内』より一部抜粋
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