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京都・寺町通りのナゾ。なぜ秀吉は、京の東部に寺を並べたのか?

京都に観光名所は数あれど、修学旅行生や観光客の人気を集める小路といえば「寺町通(てらまちどおり)」ではないでしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、この通りの平安時代からの歴史とその変遷、さらに「京都の達人」ことメルマガ著者の英 学(はなぶさ がく)さんオススメの「寺町通の歩き方」が紹介されています。

若者に人気の繁華街・寺町通を散策

京都に行ったことがある方ならこの通りを知らない人はいないと思います。南北に走る河原町通より一本西側に平行に走る通りです。四条通りと交差する辺りは四条寺町といい、八坂神社のお神輿が渡御(とぎょ)する場所・御旅所があります。特にアーケードで覆われた四条通りから御池通までの間はいつも修学旅行生や外国人観光客などで大賑わいですよね。今回はこの寺町通の歴史や移り変わり、名所や見どころをご案内します。

平安時代、寺町通りは平安京の最東の通りで、「東京極大路」と呼ばれていました。大路なので幅32メートルもある都のメインストリートの一つでした。すぐ東側に鴨川が南北に流れているので、この通りが京の都の東の極みだったので「東京極」という名がついたのですね。ちなみに西京極は先日雪降る中で行われた全日本女子駅伝の会場にもなっていた西京極運動公園の辺りなのでしょう。今でもその地名が使われています。

応仁の乱で荒れ果てたこの通りを再興したのは秀吉でした。1590年、荒廃した都を整備するために秀吉は街中に点在していた寺院をこの通りに集めました。我々が良く知っている寺町は北は今出川通から南は四条通りぐらいまででしょうか? それとも最も栄えている三条通から四条通までの数百メートルぐらいでしょうか?

秀吉が寺町通りに寺院を集め都市の整備をした頃は北は鞍馬通から南は五条通までの間にお寺が集められたといいます。その数なんと80以上の寺院が寺町通に立ち並んでいたと伝えられています。

元々平安時代後期頃は貴族の邸宅などが建てられていたので寺町通沿いは高級住宅街だったようです。寺町通に寺院が集められてからは、寺社にお参りにくる参拝者相手に数珠屋などの仏具関係の店が軒を連ねるようになりました。

秀吉が寺院を都の東部に並べた理由は東から攻め込められた時に盾代わりにするためだったとも伝えられています。東側から都に攻め入ってもお寺が横一列に並んでいたらそれを破壊して都に進撃しづらいですよね。

江戸時代の間は寺町の街並みは秀吉が整備した当時のままの状態だったようですが、幕末以降様変わりしていきます。寺町通は御所沿いの通りであることもあり幕末の争乱で多くの寺院が焼失してしまいました。さらに明治初期に南北に平行に走る新京極通を作るときに、京都府が寺院の敷地を縮小したことも寺社の数を減少させてしまいました。

近年までは京都人の間では寺町通と言えば電気店街といったイメージだったといいます。四条通より南側ではそのような面影が少しだけ残っていますが、今もなおお寺の数の方が圧倒的に多くあります。現在は寺町通、その隣の新京極通と言えば地元の若者や修学旅行生、外国人観光客で賑わうとても賑やかな通りとなりました。

寺町通りの散策

寺町を一番賑やかな寺町四条から北に向かって歩いてみましょう。この辺りから少し南側にはかつて電気街だったようですが、最近は大型電気店に押されて多くは店じまいしてしまったようです。今では数店舗だけしか残っていません。

四条通を過ぎると寺町通は大きなショッピングアーケードに覆われます。隣の通りに平行に走る新京極アーケードと連日多くの人で賑わっています。強いて言えば新京極アーケードが若者向けの店が多いのに対しして、寺町通の店はもう少し対象年齢が高いようです。両脇には色々なお店が立ち並んでいます。

突き当りまで行くとそこは東西に走る三条通にでます。正面に見えるのは「かに道楽」京都本店です。寺町通はこの突き当りを右斜めに少しだけ折れて北に延びています。この辺りは高級すき焼き店で有名な「三嶋亭」があります。明治6年に開業し、京都で初めて牛鍋を出したお店です。

ここから先の寺町通には、古本屋、古美術店、純喫茶などレトロな雰囲気が漂います。和紙などの専門店で今では東京の銀座四丁目にあるお店の方が有名になった「鳩居堂」もこの辺りにあります。江戸時代にこの地に薬種商として創業したのが始まりですが、前身は平安時代までさかのぼる老舗中の老舗です。「鳩居堂」はこちらが本店で、東京銀座にあるのは東京本店です。

三条通りより北に続く寺町通沿いには「迎え鐘」で有名な矢田寺や御池通りの手前には織田信長が焼け打ちとなった本能寺があります。本能寺に関しては、「本能寺の変」の時とは場所が変わっています

御池通りを過ぎると、極上ほうじ茶で有名な一保堂や和紙の紙司・柿本や書道具の専門店・古梅園などが立ち並びます。右側には、革堂の呼び名で親しまれている行願寺下御霊神社などがあります。

丸太町通を過ぎると、通りの西側は今出川通までは御所になります。丸太町から北に進むと、右側に同志社の創始者・新島襄が八重夫人と暮らした邸宅が見えてきます。

その先には紫式部が源氏物語を書いた場所と伝わる廬山寺や浄土宗の清浄華院、西側には萩で有名な梨木なしのき神社などがあります。今出川通りにぶつかると左側には同志社大学の赤レンガの建物が沢山見えてきます。

 

今出川通を過ぎると寺町通沿いには多くの寺が林立しています。特に東側にはいくつもの寺院が隣り合って並んでいる場所もあります。中でも注目したいのが阿弥陀寺です。ここには織田信長の墓があります。阿弥陀寺は信長の他に、側近の森蘭丸などの遺骨を清玉(せいぎょく)和尚が阿弥陀寺に持ち帰り、弔ったとされています。信長の墓は大徳寺の総見院にもありますが、ここは秀吉が信長の菩提を弔うために建立した寺院です。

四条通から御池通まで、御池通から丸太町通までは色々なお店などもあり商業的な通りでもあります。丸太町通から今出川通まで、今出川通から北大路通(紫明通)までは文化的、歴史的であり、北に行くほど住宅地といった感じです。

私などは観光客と住民の間のような過ごし方をするので一つの通りを時間をかけてゆっくり歩いたりしています。観光寺院にはない落ち着いた雰囲気や静かな佇まいに穏やかな時の流れを感じることが出来ます。観光に出かけて時間が余ったりしたときには是非そのような散策をしてみることをお勧めします。

なかなか京都に行けない時などはネットで地図を見ながら散策している時もあります。是非、皆さんも地図を片手に京都の道を碁盤の目に沿って散策してみて下さい。沢山の発見があり、時間がいくらあっても飽きないですよ。

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

 
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毎年5,000万人以上の観光客が訪れる京都の魅力を紹介。特にガイドブックには載っていない京都の意外な素顔、魅力を発信しています。京都検定合格を目指している方、京都ファン必見! 京都人も知らない京都の魅力を沢山お伝えしていきます。

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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