先日掲載の記事「なぜ新しい制服の女子高生は出身中学の前で虚ろな目をしていたか」では、実際に子どもや保護者たちから寄せられた「学校でのストレス」を紹介し、そのケアのひとつとして「ストレス・マネジメント」という方法があることに触れました。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では、前回に続きソーシャルワーカーの村崎京子さんが、「子供が学校でのストレスを感じている場合、どのようにケアすれば良いのか?」という難しい問題に回答しています。
ストレス・マネジメント解決法
「ストレス・マネジメント」という言葉を前回のメルマガで使いました。主に精神医学的、臨床心理学的見地からの解説は、文部科学省ホームページ「心のケア」に詳しく掲載されていますから、興味のある方はご覧になってください。震災やテロなどのストレスや子どもが受けるPTSDなど専門的な用語での説明があります。
● 心のケア
実際に、学校で使われるストレス・マネジメント教材のチェックリストでは、
「今の自分の心身の状態を知りましょう」
「いつどのようにストレスが起こるか知り、これからに備えましょう」
「セルフケアできるようになりましょう」
といったものになっています。呼吸法やリラクゼーションの活用もあります。休息したり、開放感を味わったり、神経を伸ばすことを意識することは一定の効果があります。
子どもや保護者から実際のヘルプ・シグナルが寄せられた場合の「ストレス・マネジメント」の効果についてですが、深い悩みには対応できていません。ストレス・マネジメントにも段階があるというのが現実です。
私は、人間の心は、動物の反応や認知とは全く異なると思っています。そのため私は、文部科学省主導のストレス・マネジメントの方法をツールの一つとして捉えることはあっても、あまりお勧めしてはいません。なぜなら、人間には知性や理性のほかにも感性や悟性というものが備わっているからです。
ここでは、読者層の中心である保護者、教員、支援者向けを意識して、わかりやすく、やさしく書いてみます。直球ストレートで、より現実的な救済に的をしぼって述べたいと思います。
まず、学校という組織、集団の中でのストレスをどう乗り越えるか、といった視点です。児童、生徒たちにとっては、成績上の問題などの悩みもありますが、大きなストレスとして、同級生や先輩、後輩との人間関係、先生との関係などなどの、「人間関係のストレス」を抱えています。この人間関係ストレスを解決する心のマネジメントを考えてみましょう。
思春期の子ども達は、「人からどう見られているか」にとても敏感です。自我の確立の時期であり、だれしも対人関係で不安を抱えます。全員がだれともフランクに話せて、社交的であり、お友達を巻き込んで楽しい集団を作り出せるとしたら、どんなにか良いでしょう。
しかし、実際には、緘黙(かんもく)の子ども、「ひとりぼっち」を好む子どももいます。最近の報道で、ある動物園で集団に馴染めず、壁をむいて一日中、立っているペンギンに共感を示す若者のコメントが話題になっていました。
学校の中にいると、登校しても、だれとも話さず、挨拶も交わさず、だまったまま帰宅する子どもをよく目にします。こんな子が増えてきているように思われます。下校途中に小学時代の親友をみつけて走り寄り、「今日初めて口をきいたぁ」と会話しているのを見ると驚かされます。
「傷つきたくないから」、「自己防衛なのだから」、と言ってしまえばそれまでですが、他人の言動に傷ついた子、人と人との間の距離感をつかめないでいる子、人間関係の保ち方で困っている子、助けを必要としている子、そんな子たちが今ここに存在しているのです。助けなければなりません。
そのためには、子どものありのままを受け入れ、自己肯定できるよう支えることが大切です。これが前提です。保護者は、「誰が何と言おうとも、あなたはあなたらしく生きていけばいい」、と全てを受け入れ、安心できる空間や居場所を提供することが大切です。
そのうえで、徐々に教えていかねばならないことがあります。人間関係に悩んでいる子ども達に、直接、話す際に、最初に言うべきことは「ものの見方、とらえ方」についてです。「物事を見るときの見方や感じ方は本当に人それぞれであり、誰もがまったく同じではない、ということを知りましょう」ということを教えるということです。
保護者や教師が、同じ事実に対しても、いろいろな見方があることを教え、他人に対する寛容さや包容力を伸ばす教育が、未熟な思春期の子どもたちには必要です。
卑近な例ですが、小学4年生のときの印象に残っているエピソードを紹介します。昔の田舎の小学校のことです。障がいのある同級生の子がいました。授業中、立ち歩く、先生のいうことを聞けない、ルールも守らない、当然、集団行動はとれません。クラスのみんなは迷惑をかけられ、彼を嫌がっていました。
秋のある日、電車に乗って郊外へ遠足に出かけました。障がいのある彼は、停車する駅名すべてを止まる前に答え、その先の沿線上の駅名もスラスラと全部暗記していたのです。クラスメートたちは「すっげえ」と感心しきりでした。
翌日、彼は疲れか休んだのですが、担任の先生はクラス全員を前にして、「ほんとうは頭がいいんだよ」と彼の能力の高さをほめて、ほかにも動植物への優しい気持ち、純粋な心をたたえました。
先生はお別れが近いこともわかっていたのでしょう。彼は5年生になると、他の小学校の特別支援学級に移り、その後、二度と会えませんでしたが、人間としてとても大事なことを教えてくれました。担任の先生からは、思いやり、という言葉を示されましたが、今で言えば、ソーシャル・インクルージョン教育(注)だったと思います。子どもから見れば、ルールを守れない困った子ですが、先生は全く違う、慈愛の目で見ていたのです。
このように、子ども達にとって大切なことは、基本的に「他の人の長所やよいところを見る努力をすること」を示していくことが大切です。
だれしも自分の長所を見てくれる人に対しては、「いい人だ」「良い友達だ」と思いますし、「付き合いたい」と思うことでしょう。ところが、他人の欠点ばかりをあげつらってくる人に対しては、自然とその人からは足が遠のいてしまいます。
優等生と見える子にも落とし穴があります。先生から見ると、成績スポーツともに優秀で性格も良く、先生の手足となって助けてくれ、学級委員として活躍してくれる女子生徒が、意外にも女子仲間から仲間外れにされ、イジメを受けていることがあるのです。
頭の良い子は細かいことがよく目につき、同時に他人のアラや欠点がよく見えるようになるのですが、クラスをまとめようとして、さらっと言ってしまった言葉で相手が傷つき、人間としては嫌われることもあります。そういった頭の良い子には、「あなたにも間違ったり、失敗したりすることがあります。相手も同じです。お互いに許したり、受け入れたりすることが、人間として尊いことなのです」ということを教え、人間としての「徳」を教育していくことです。
将来のリーダーには、「自分のことよりも、より多くの他人の幸福のために考えをめぐらす人こそが徳ある人なのだ、人間として大きな器なのだ」、ということを教えましょう。いつの日か、日本や世界のリーダーになる人物かもしれません。
※ 注
「ソーシャル・インクルージョン教育」は、教育段階において、障がいを持った子供が大半の時間を通常学級で学ぶ教育。「社会の構成員として包み支え合う」という理念のもとで、障がいのある子もない子も同じ場で学ぶ教育。
スクールソーシャルワーカー 村崎京子
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