伊賀焼の窯元 長谷園
伊賀焼は「陶器」です。古琵琶湖の湖底の有機物を含む粘土を焼くことで多く気泡をもつ吸水性が特徴の焼き物です。
長谷園は老舗でその創業は江戸末期に遡り、現在は商品開発が得意な7代目と経営センスのある8代目の親子の両翼で経営を行っています。伊賀焼の歴史は小さな集積地であったので、江戸時代からずっと周辺の焼き物の産地信楽焼などの下請けの仕事をしていました。下請けでは将来の発展が見込めないので、6代目が建材タイルに目をつけて進出したことで業容を一気に伸ばしました。
ところが好事魔多しで、1995年に発生した阪神淡路大震災で建材タイルの剥がれた建物の光景がテレビで映し出されると注文がバッタリ止まってしまいました。ここで通常であれば建材タイルに見切りをつけるのですが、発明好きな7代目は従業員を解雇せずになおもつくり続けました。その結果、16億円の借金をつくってしまうことになります。
そんな時に、会社の窮状を見かねて8代目が、務めていた会社を辞めて経営に参加しました。すぐにしたことが、建材タイルからの撤退でした。そして、次に目指したのは新たな主力商品の模索でした。財産を取り崩しながら、探し求めたときにふと目についたのは発明家の7代目の「土鍋釜」のアイディア・スケッチでした。保温性抜群の土鍋でつくった「ごはん」がおいしいのは経験済みのことで、3年の年月と1,000個の試作品の結果生まれたのが『かまどさん』です。
販売の当初はまったく反応がありませんでした。ところが、料理研究家が雑誌で紹介したところ「おいしさ」と「手ごろさ」が折り紙付であり瞬く間に口コミで評判を生み、75万個の「大ヒット商品」になってしましました。
ちなみに本格的な「かまど風の炊飯器」が10万円以上のものがあるなかで、風味においてそれを凌駕しているのに価格は5分の1以下であれば、そんな人気を呼び起こしたのも頷けることです。その後も、燻製鍋「いぶしぎん」など200種類の多様な機能の陶器鍋を製作し続けています。
7代目は「作り手は、真の使い手であれ!」と「顧客目線」の新商品づくりを核心に据え、娘さんの辛辣なアドバイスを真摯に参考にしています。「『伝統だから』と同じものを続けても誰も相手にしてくれない。求められるものでなければ『民具』にならない」と今の気持ちを述懐しています。









