タカタは悪事を働いたのか? 自動車評論家が振り返る日本クルマ史

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1960年代以降、日本の家庭になくてはならない存在のひとつとなった自動車。時代の流れとともに、売れる自動車の形や性能も変化してきました。今回のメルマガ『クルマの心』では、著者で日本のクルマ産業を知り尽した自動車ジャーナリストの伏木悦郎さんが、自身の「クルマ遍歴」とともに自動車の登場からタカタのリコール問題まで、日本の自動車産業の歴史を総括します。

ライフステージの終盤に差し掛かったから分かる過去現在未来

クルマはライフステージで語られる必要がある。ライフステージが人間の一生における幼年期・児童期・青年期・壮年期・老年期などのそれぞれの段階を指すのは言うまでもないことだろう。人は年齢に伴って変化する生活段階を生きる。

ライフステージを家族構成でみると、家族形成期(結婚、出産、育児の時期)、家族成長期(子供の成長期)、成熟期(子供の独立後、夫婦だけの生活)などに区分することができる。社会的な動物たる人間は、有史以来基本的にそうして生きてきた。

人の歴史は不可逆的に進み、近代の科学や技術の進歩に伴う世相の変化は時々刻々という表現が的確なほど急激な変化をもたらした。クルマの発明が1886年ドイツのC.ベンツとG.ダイムラーによってなされたことは周知のとおりだが、自動車化を意味するモータリゼーションは1908年にH.フォードによって流れ作業のT型フォードが産み出されたことに始まる

1910Ford-T copy

1910年式モデルT・ツーリング(Wikipedia

その背景には、アメリカが世界で初めて石油の機械掘りが行われ(ペンシルバニア州タイタスビルのドレーク油田:エドウィン・ドレークによって開発されたことでその名がある)、20世紀に入ってすぐにテキサス州で大規模油田が発見された(スピンドルトップ、1901年)ことがT型フォードの大ヒット(1908~1927年間に1500万台以上を販売)に繋がった。

クルマはガソリンで走るのです……モービル石油の懐かしいTVコマーシャルを覚えている人は間違いなく『アラ還』以上の世代だが、潤沢なエネルギーの存在なしにクルマが爆発的な普及をすることなどあり得ない。

実はアメリカ以外の欧州にしても日本にしても自動車の大衆化は第2次世界大戦以後であり、1950年代から英国や仏独伊、日本ではモータリゼーション元年として知られる1966年から。その背景として中東の大規模油田の発掘と商業化が分けがたくあったことを忘れるわけには行かない。

1950年代から東京オリンピックの1964年頃まで、TVから流れてくるアメリカのホームドラマの大きなアメリカ車と豊かな暮らしぶりに溜め息をつき、まだ未舗装路の多い川崎市中部の多摩丘陵の外れの野山を駆け巡っていた。

東京オリンピックから次回1968年のメキシコ五輪、1970年大阪万博と続く”いざなぎ景気”(最長57ヶ月)の高度経済成長にちょうど運転免許取得のタイミングが重なり自動車人としてのキャリアを始めた。

以来47年、激変する時代の荒波とライフステージの重なりの掛け合わせで厳しくも楽しい自動車人生を過ごしてきた。人は、生きている今の状況をベースに過去を振り返ったり、未来を想像したりしがちなものである。

原体験を持たない新しい世代は、あたかも昔も今とそれほど大きく変わらなかったのでは?と思いたがるものだが、当然のことながら過去は技術的にも未熟であり、性能として評価されるすべての事柄は現在と比べるべくもない。

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