優しい神は3年前のあの日、喧嘩別れをしなかった形でリセットしてくれました。
デザイアは地元で結婚し2人の子供をもうけ、慣れない家事に日々奮闘してます。リタは今も都会で夢を追い掛け、チャンスをつかもうと日々貪欲に頑張ってます。当然2人は神との契約・やり取りした記憶はあるものの、新たな周りの人も含め、現在与えられている人生に辻褄の合う記憶を埋められ、生活に支障はありません。
—————-さて。そこからさらに3年。
デザイアは毎日家事に子育てに忙しくしつつも、刺激のない毎日に苛立ってます。こんなハズじゃない。ここは私の居場所じゃない。この子たちさえいなければ…!リタのことを考えると、自分だけが置いてかれた気持ちになって惨めな気分です。電話で話せば、「結局ね、女の幸せはやっぱり家庭を持つことよ」と強がります。
リタは仕事に忙殺されつつも、仕事もプライベートも形にならずに焦っています。こんなハズじゃない。仕事で成功して、女としての幸せも掴むハズだったのに…!デザイアのことを考えると、女として終わってるような気がして不安になります。電話で話せば、「でも夢を追い続けるほど幸せな人生って無いよ」と強がります。
電話を切った2人の下へ3年前の神が訪れ、「 あの日の選択はどうじゃった? 」
デ・リ「 あの選択は間違ってました。もう一度前の私に戻ってやり直させて! 」
いかがでしたでしょうか?
お互いがお互いを羨み、また蔑み、自分がより良い人生を歩んでいると思いたい。
あなたはこの話を読んで、「なんて愚かな女たち」と一笑に付すかも知れません。ですがこれはたった2人の対比話であり、これを“ 自分と他人 ”に拡大すると、ほとんどの人が当てはまる精神作用、『人は比較の生き物』の証明となります。人類の進歩と発展の歴史は、この“誰かよりも良くありたい”が素地ですから。
結局この2人は『比較』をやめられない以上、同じ迷路に迷い込む事でしょう。更に時間を費やしたというサンクコストの効果から、益々諦め切れなくなります。
サンクコスト=既につぎ込んで返ってこないコストのせいで、非合理的な判断をしてしまう事。例えばゲーセンのクレーンゲームで、つぎ込んだ1000円が勿体ないからと、更に3000円つっ込んで損失を拡大させたり、ガチャで引き返せなくなる等。
おまけに「自分は成功するハズ」がうまくいかないことで認知的不協和に陥って、自分と異なる選択肢を選んだ相手を徹底的に否定することで自分の心を守ります。これを拗らせている限りは、彼女たちはきっと心から満足することはありません。
いつも不安と不満が先立ち、どこかにいる“理想的な生き方をしてる人”を思い、勝手に比較して落ち込み、大きな「不幸感」を抱いて生きていくことでしょう。『恵まれている自分』に目を向けることなく、いつも足りないから、ずっと不幸…
これは向上心とは異なり、見えない敵と戦っているようなものなので出口はありません。虚栄心に打ち克ち、妥協ではない“自分の幸せ”を掴む努力をする事が大切で、比較するとしたらどこかの誰かではなく、『過去の自分』だけだと理解すべき。
幸せというのは結局「心のありよう」ということに気付かなくてはなりません。









