【家系図作り】プロが語る苦心談・・・武士の家系でも調査が困難を極めるケースとは

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行政書士として活動する傍らで、家系図の作成業務にも積極的に取り組み、テレビ・新聞などのメディアに多く取り上げられたことのある丸山学さん。そんな丸山さんによる『自分のルーツ(祖先)を1000年たどる技術』は、家系図作りに関する興味深いエピソードが数々紹介され、歴史好きならハマること間違いなしのメルマガだ。今回はそのバックナンバーから、調査が困難に陥りやすいケースについて書かれた記事をチラみせ!

明治時代に本籍地を移動するのは武士が多い

これまで何百という数の戸籍の範囲を超える先祖探しを行ってきましたが、調査が困難に陥るパターンというのはある程度傾向があります。その傾向とは・・・「明治時代初期に本籍地を移動している」というものです。

通常は、まず戸籍で明治初期のその家の本籍地をきちんと確認します。そして、ほとんどは江戸時代から同じ場所に居住されていますので、その本籍地のその地域の古文書を探し戸籍以上の調査を進めていきます。

・・・が、調査を進めると明らかにその家は江戸時代にはその場所に居住していなかったであろうという事が分かってくる時があります。つまり、明治時代初期にどこか別の場所から移住してきたという事です。

これが調査における地獄の始まりです(笑)。

もちろん、どこから移住してきたのかが分かれば問題ありませんが、それも分からないと「日本中のどこかから」という漠然とした答えしかないのです。こうしたケースというのは数少ないのですが、20件に一つくらいはあります。

そして、結論から言ってしまいますと、こうした場合の多くは「江戸時代中に武士の家だった」という結論が待っています。もちろん違う結論もありますので100%ではありませんが、農民や商人というのは明治時代になったからといって土地を移動する必要性は基本的にはありません。時代が代わっても田畑のある場所、あるいは顧客のいる場所に住み続けるほうが良いのは当然です。

しかし、武士だけは事情が異なります。武士だけは明治4年の廃藩を以て失業です(その後もしばらくは禄が支給はされましたが)。上手く県庁などに仕官できた家はいいのですが、そうでなければ新たな生活の糧を探さなければなりません。その為には土地の移動も仕方なしです。

いえ、正確にいえば武士の家(明治時代の士族)でも本家はそのままの土地に残るケースは多いです。しかし、その二男・三男はやはり新天地を求めて移住をすることが多かったというのが、私のこれまでの経験での実感です。

こうしたケースでも明治19年式の最古の戸籍まで取得できていると、大体はどこから移住してきたかが分かります。しかし、古い戸籍が廃棄されていて大正期からの戸籍しかないという場合に特に、「日本のどこか別の場所から移住してきたらしい」という漠然とした状態に陥ります。

では、そんな時にどうするか?

日本中の全ての藩の幕末~明治初期の藩士名を探すというのが一つの方法なのですが、まあ、三百藩近くもあり全ての藩の明治期の士族の記録まで見ていくというのはあまり現実的ではありません。ウチの事務所でも出来るだけデータベース化はしていますが、まだまだ完璧ではないので氏名から全藩の藩士の検索で探し出すのは困難といえます。

こんな場合でも何藩かだけでも分かれば、後はその藩の記録を探せばよいので解決がつきます。では、どうやって何藩の武士だったか推測するのか? という事ですが、これはその後の戸籍をよく見返すことです。たとえば、大正時代に全く異なる地域から妻を迎えている、あるいは養子を迎えているという記載が見つかることがあります。それであれば、実はその土地こそ元々居住していた場所であり、その辺りの藩の武士であったのだろうと推測がつきます。

何藩かさえ分かれば、後はその藩の幕末の分限帳や明治初期の士族の記録などを探せれば戸籍で分かる古いご先祖様名と照合できる事が多々あります。

明治初期にどこか別の土地から移住してきたらしいが、その元の土地が分からないという場合には「武士の二男・三男の系統かもしれない」という推測のもと、戸籍の記載を目を皿のようにして追っていき、遠隔地に何らかの縁がないかを探す~という事で突破口が開けるかもしれないと覚えておくとよいと思います。
information:
『自分のルーツ(祖先)を1000年たどる技術』
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