老舗にあって老舗にあらず。奇跡のかまぼこ「鈴廣」が起こす革命

 

「老舗にあって老舗にあらず」~夫婦二人三脚の大改革

改革の発端は、昭三が初めて見るかまぼこ作りの現場に驚いたことだった。手作業で行われる重労働の水さらし。魚の脂が混ざって水は悪臭を放っていた。現在88歳になる鈴廣蒲鉾本店会長の智恵子も、家業のかまぼこ作りが嫌でしょうがなかったという。

「バケツで水をたるに何杯も入れる。びしょびしょだからみんな水虫。油煙が出るじゃないですか。それが方々に散っちゃって、近所にもかまぼこにも」(智恵子)

そこで活躍したのが、横浜国大で応用工学を専攻した昭三だ。昭三と智恵子は、かまぼこ作りの現場を変えるため機械化に着手する。

まず、水さらしは桶に支柱をつけ、簡単に水を流せる器具を昭三が考案する。そして重労働だった水分を絞るローラーもローラー式脱水機で自動化。さらに職人技だったミルフィーユ状の成形も、内部を何層にも区切った筒から押し出す方式を考案してみせた。

当時の昭三を知るかまぼこ職人の佐賀勝男は「業界を知らないだけに第三者的な発想、別の角度から意見をいただきました。我々が『どうしてそういうことができるかな』と思うことでも『やってみよう』と」と言う。

ところが、そんな娘夫婦の改革に、職人肌の廣吉は「手で作らなきゃ、うまいかまぼこなんかできるわけない」と、否定的だった。智恵子は当時の廣吉について「自分はそういう育ちだったから、近代化するのは好まなかったのでは」と、振り返る。

しかし、昭三と智恵子はひるまず、さらに大胆な行動に打って出る。それは手狭になったかまぼこ通りの本社の移転。衛生的で大規模な工場にドライブインを併設するという壮大な計画だった。移転先となったのが、小田原市の郊外にある、現在、鈴廣が本拠地を構える風祭だった。当時そこは、国道が1本通るだけの一面の田んぼだった。

廣吉はこの計画にも、「小田原の地下水が出ない場所でうまいかまぼこが作れると思っているのか」と言って反対した。問題としたのは、硬度が高く、水さらしの工程にもってこいの小田原特有の地下水だった。

しかし、昭三と智恵子は、もし水質が同じなら廣吉も納得するだろうと考えた。そして風祭でボーリング調査を実施。湧き出したのは、以前の場所と全く同じ水質の水だった。

1962年、ついに風祭に巨大な鈴廣のドライブインがオープン。昭三と智恵子の狙いは当たり、モータリゼーションの流れとともにバスが押し寄せた。

その後 鈴廣は機械化で生み出せるようになった大量の商品で、デパートなどへも販路を広げ、爆発的に業績を伸ばしていった。

大胆な挑戦でかまぼこ通りの老舗を進化させた智恵子は、父・廣吉が亡くなった時、その思いを知って驚いたという。

「父が亡くなって引き出しを開けたら、『老舗にあって老舗にあらず』と書いたメモがあったんです。新しいこともやらなきゃいけないし、古いことも守らなきゃいけない。これはすごいことだと思いました」

老舗にあって老舗にあらず。廣吉が残したその言葉は今も鈴廣の中で生き続けている

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