小田原かまぼこを後世に~職人の技を若手に継承
桜が咲き誇る3月下旬。小田原城のもとでちょっと変わった祭りが開かれた。
客を集めていたのは、かまぼこ板を積みあげて高さを競うイベント。さらに始まったのは、選りすぐりの職人が腕を競い合うかまぼこ細工。鈴廣の職人、前出の神兼智が披露していたのは、かまぼこの断面に模様を描く細工かまぼこ。出来上がったのは見事なまでの鶴の模様。
この日開かれていたのは「小田原かまぼこ桜まつり」。小田原に伝わる恒例の祭りだ。祭りを運営するのは小田原にある12軒のかまぼこ屋。ライバル同士が垣根を越え、小田原かまぼこを盛り上げるために開催している。
「淡々とコツコツやっているだけでは将来はないとみんな感じている。みんなで一緒にやろうぜ、と」(鈴木)
鈴木廣吉の時代から、小田原のかまぼこ店は手を取り合って生きてきた。廣吉は鈴廣の職人たちに、よく「鈴廣じゃなく、小田原のかまぼこを作れ」と言っていたという。自分だけのためではない、皆で生き残るためのかまぼこ作りだ。
「小田原蒲鉾会館」に小田原かまぼこの若手が集まっていた。同業の若手から信頼を集めている鈴廣の神が、「鈴廣の持っているノウハウは、見せられるものはオープンにしていきたい。何でも吸収してください」と、切り出した。
この日開かれたのは、腕自慢の職人が若手に技を教える技術研修会。店の垣根を越えて小田原かまぼこの競争力を高めるためだ。
職人たちに生き続けるかまぼこ屋の心意気が、今も小田原かまぼこを支えている。
~村上龍の編集後記~
蒲鉾はおそらく日本最古の加工食品だろう。非常になじみ深いが、今、多くの人がおせちの一品だと思っている。だが、製法は精緻で、奥深い。
「鈴廣」は、消費量が減り続ける中、売り上げを伸ばしてきた。代々、食感を追求し、蒲鉾の美味しさを伝えるために、できることはすべてやってきた結果だ。
ていねいに作られた蒲鉾の味わいはデリケートで、他に比べるものがない。私見だが、日本酒のつまみとしては刺身より上だ。奥ゆかしくて美しい、日本女性のようだと思う。
確固たる自立があるが、余計な自己主張がない。
<出演者略歴>
鈴木博晶(すずき・ひろあき)1954年、神奈川県生まれ。1977年、東京工業大学卒業後、北洋水産入社。1996年、鈴廣蒲鉾社長就任。
source:テレビ東京「カンブリア宮殿」