老舗にあって老舗にあらず。奇跡のかまぼこ「鈴廣」が起こす革命

 

伝統の職人芸×最新技術~小田原名産、極上かまぼこ

鈴廣の強さを支える本当の秘密は、鈴廣のかまぼこでも最高ランクの古今」にある。1本3888円とかなり高価だが、味の違いは「かまぼこバー」で体験が可能。「お試しセット」(500円)で他の商品と「古今」の食べ比べができる。

「古今」は他のかまぼことは全く違う独自の製法で作られている。それは大量生産からはほど遠い、伝統のかまぼこ作りだ。

相模湾で揚がる、その昔からおいしいかまぼこに欠かせないというオキギス。今や漁獲が少なくなり、貴重な魚だという。早朝の鈴廣では、そのオキギスが届けられるや、「古今」の製造が始まった。滑らかな身のオキギスを包丁で丁寧にかきとっていく。「古今」の原料にもう1つ必要な魚が、全く違う肉質のグチだ。

製造チームの神兼智は「グチは力強い弾力がある。オキギスはきめ細かくて口当たりがすごくいい。その力強さときめ細かさを合わせて古今が作られます」と言う。

このグチとオキギスの配合がポイントになる。まずグチをミンチ状にし、かまぼこ作りに適した硬度の高い小田原の地下水にさらす。これは「水さらし」という工程。どの程度さらすかは、不純物として浮き上がってきた油の状態を見ながら、熟練の職人が見極める。

しっかり不純物を取り除いた身は布の袋に移してしぼる。ここで厳密な量の水分を絞ることが、最も難しい職人技のひとつ。「担当する人間は0.1%単位の水分値をコントロールします。固く絞ると、後で水を加えてもしなやかさが戻ってこないんです」(神)と言う。絶妙な水分量に調整され、旨味だけとなったグチの白身が出来上がる。

これを大きな石臼に入れ、そこにオキギスを入れて、しっかり混ぜ合わせながら挽いていく。全ての工程を支えるのは職人の経験。それによって弾力が生みだされる。

だが職人技の本領はここから。まずは、かまぼこ板にミルフィーユ状に何層にも白身を重ねて食感をよくする「引き起こし」という工程。出来上がると、次の職人の手に渡り、「中掛け」という作業に。これでかまぼこに高さを出していく。最後が「上掛け」という工程。つやが出るよう卵白を混ぜた仕上げ用の白身に。一瞬の無駄もない職人の連携が、美しい小田原かまぼこを作り上げていく。

「古今」は古来から受け継がれた職人技で作られる唯一のかまぼこ。工業化されたかまぼこ作りの時代に、鈴廣が職人技を守り続けるのには理由がある。

「魚肉たんぱく研究所」は、鈴廣自慢のかまぼこ専門の研究所。「かまぼこの製造技術の研究など、基礎研究をやっています」(鈴木)と言う。

ここでは、守ってきた職人技を最新の機器で科学的に分析することで、おいしいかまぼこ作りのノウハウを蓄積している。例えば電子顕微鏡で見ていたのは、ある条件で作ったかまぼこの表面。蒸し時間を微妙に調整することで、繊維が太くなり、弾力が増す。データ化した職人技で食感を自在にコントロール。職人譲りの細かい時間や温度の管理で、おいしくてお値打ちなかまぼこの大量生産が可能になったのだ。

「伝統的な技術に科学的な裏付けをしていきます。最もおいしいと思ってもらえるのはどういうものか。それを安定的に作るには何がポイントか」(鈴木)

そんな鈴廣の財産とも言えるのが、水産練り製品製造1級技能士という国家資格を持つ職人の名前を記したプレート。それは練り物作りのあらゆる工程をマスターしなければならない、取得に最低10年はかかるという資格だ。

「これだけ資格を持っている社員がいるのは、全国にあまりないかもしれません」(鈴木)

伝統技と最新技術、それが鈴廣の強さの秘密だ。

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震災、空襲、消費離れ…~苦境に立つ小田原かまぼこの復活劇

浅草の細い路地にあるロシア料理店「ラルース」。この店では最近、珍しいメニューを始めたという。それが「蒲鉾とサーモンのタルタル セルクル仕立て」だ。

このメニューを仕掛けたのが鈴廣の営業マン、安居院正。浅草の様々なジャンルの名店を回り、合同でかまぼこフェアをやらないかと口説いている。「100店舗を回って、20店舗ぐらいに参加していただきます」と言う。各店が工夫して作ってくれた様々なかまぼこメニューで、新たな需要を掘り起こそうというのが狙いだ。

「ラルース」の髙間厚さんも、鈴廣からの依頼を受けて、かまぼこを使ったロシア風料理に挑戦した。「最初はすごく悩みました。うちの店でかまぼこをどうやって出せるか」と言う。

鈴廣の大胆な取り組みの裏には、ある危機感があった。それは年々減り続けるかまぼこの消費量。「外食に行っても出てくることはほとんどない。食べに行った時にしっかりかまぼこ料理が出てくれればと思います」と、安居院も言う。

小田原の海のほど近くにある「かまぼこ通り」も、今や閑散としている。廃業する店も少なくないという。

江戸時代、小田原はかまぼこのおかげで栄えた。第15代将軍・徳川慶喜は、わざわざ江戸から買いに行かせたほどだ。しかし1923年、小田原を震源とする関東大震災で壊滅的被害を受ける。立ち直ったかと思うと、今度は第二次世界大戦の空襲でまた小田原は焼け野原になった。

その危機を救うために走り回ったのが、鈴木の祖父で、かまぼこ職人だった7代目・鈴木廣吉だ。「祖父はいかにおいしいものを作るか、それだけ。かまぼこ作りに没頭してたんじゃないでしょうか」(鈴木)と言う。廣吉は戦後の原料不足の中、全国を回って魚を集めるなど、必死で頑張るが、経営は苦しかった。

ところがそんな鈴廣を、驚異的な成功に導く後継者が現れる。廣吉の長女・智恵子と婿養子の昭三だ。当時では珍しい、共に大卒の夫婦だった。

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