ほんまでっか?池田教授「人類の未来は人工知能とともにある」

 

ところで、かつてAIブームは2回あって、今が3回目のブームである。最初は1950年代から60年代で、コンピュータに推論と探索をさせて正解に辿り着かせるものであった。厳密なルールとゴールが決まっており、ルールにのっとって正解を導くことがこの時代のAIだった。AIが迷路をうまく抜け出したり、数学の定理を証明したり、ジグソーパズルを解いたりできるのは、コンピュータを単なる計算機だと思っていた当時の人々には驚きであったろう。

第2次ブームは1980年代に起きた。専門家の思考をシミュレーションする所謂「エキスパートシステム」を開発して、AIに人間の思考を真似させようとのアイデアだ。日本でも結構なブームになって1985年の12月には「AIジャーナル」なる雑誌も刊行された。私はAIの専門家でも何でもないが、この雑誌に「構造主義生物学はなぜそう呼ばれるのか」と題する論文を寄稿し2回に分けて掲載された。いかなる理由で「AIジャーナル」から構造主義生物学の論文の依頼が来たかはよく知らないが、懐かしい思い出である。しかしこのブームはあっという間に過ぎて「AIジャーナル」も1987年の12月の第12号をもって廃刊になってしまった。

その大きな理由は、AIはフレーム問題を解決できないからだ。フレーム問題とは、有限の処理能力しかないAIはすべての事態に対応した解を導くことができない、という考えてみれば当たり前の問題のことだ。例えば、児童生徒の模範になるような学習ロボットを造ることを考えてみよう。授業のある日は遅刻せずに学校に来て、先生の講義を聞き、先生に教わったことを完璧に覚えるロボットを造ることは可能だろう。テストの問題も模範解答もロボットに作らせれば、先生の手間が省ける。

時間を守ることと講義の学習能力は完璧だが、プログラム以外のことはできない。登校時に川でおぼれている人がいても助けない。緊急事態が発生したときは、学校に来ることや学習を放棄してもいいよという普通の人間なら当たり前のことを覚えさせようとしても、緊急時とは何かというあいまいな命令は理解できない。緊急時に相当することは無数にあって、そのすべてをプログラムに組み込むことは不可能だからだ。おぼれている人は助けなさいという命令一つをとっても、これをプログラムに組み込むことは結構難題だ。川で水浴びしている人を、片っ端から引きずり上げないとも限らない。

そこで、おぼれている人だけ助けて、泳いでいる人は助けないでよい、といった指示を組み込んだロボットを作ると、川でバシャバシャしている人に向かって、あなたは泳いでいるんですか、おぼれているんですかと聞きまわり、泳いでいる人からは「バカ野郎、見りゃわかるだろう」と怒られ、その間に本当におぼれている人は溺死してしまうという事態になりかねない。(メルマガより一部抜粋)

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