日本企業の多くが自社のITシステム構築をITベンダーにまかせ、特注のウェブサイトを数十万から数百万をかけ制作していますが、そこに起因する問題も多々あるのも事実です。なぜこのような構造は変わらないのでしょうか。今回のメルマガ『週刊 Life is beautiful』では著者で世界的エンジニアの中島聡さんが、急激に伸びているスラックやドキュサインといった企業向けSaaS型ビジネスを引き合いに出し、「SaaS型で提供されるサービスを組み合わせて業務に使うことが中長期的には良い企業戦略では」としてその根拠を記しています。
※ 本記事は有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』2018年10月23日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:中島聡(なかじま・さとし)
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。
受託ビジネス vs. SaaSビジネス
日本行きの飛行機の中で日経新聞(10月14日付け)を読んだところ、1面トップは「日本のIT投資 不足深刻」という見出しで、日本企業のIT投資は8割以上が既存のシステムの保守コストであり、新規投資は2割以下だと指摘しています。このままでは、積極的なIT投資を行う米国の企業との差が開くばかりで、日本企業の国際競争力は落ちるばかりだ、という記事です。
記事は、日本企業もシステムの刷新を先送りせず、もっと積極的なIT投資をすべきだという論調で書かれていますが、私には少し疑問に思えました。
日本の場合、多くの企業のITシステムがITベンダー(=ITゼネコン)により作られています。人月工数で儲けるビジネスモデルである日本のITベンダーは、しばしば、(競争入札で戦わなければならない)新規システムの受注の時点では赤字覚悟で安く請け負っておき、(随意契約となる)その後のメンテナンスで儲けるという手段に出るため、そこで「新規投資」と「保守コスト」の比率に歪みが生じてしまいます。
当然ながら、それはシステム設計にも反映され、本来ならば選ばれるべき「保守コストの安い設計」や「システムの更新がしやすい設計」が選ばれることはなく、「とにかく人月工数が稼げる設計」が選ばれてしまうのです。
少し前に、私がお手伝いをしている企業のウェブサイトに、ユーザー体験的に悪い部分があったため(単にサイトの構成が悪く、メニューが分かりにくかっただけです)指摘したところ、「現在、ウェブサイトを一新しているところだから少し待ってほしい」という返事が返ってきました。そして、その変更には結局3ヶ月以上もかかってしまいました。外部のウェブエンジニアを雇い、ゼロから作り直したからそうなったのです。
出来上がったウェブサイトを見ると、別の小さな問題があったので指摘すると、「それは次のアップデートで行います」という返事が返って来て、それにも結局3週間以上かかかりました。簡単な変更だったのですが、どんな変更でも、その外部のウェブエンジニアによる作業が必要な仕組みになっており(外注されたエンジニアとしては、そんな仕組みにすることが理にかなっています)、「仕様書を書いて発注する」という手続きが必要なので、そのくらいかかるのです。
色々と事情があるのでしょうが、私には我慢ができないペースだし、設計です。
シンギュラリティ・ソサエティのウェブサイトを立ち上げる時に、その苦い経験を思い出し、「とにかく簡単にアップデート出来ること」を優先して作ることにしました。
その結果選んだのが、Squarespaceというウェブサービス(SaaS=Software as a Service)を使ってウェブサイトを立ち上げるという手法です。Squarespaceは用意されたテンプレートの1つを選んでコンテンツを挿入していくだけなので、人を雇ってHTML、CSS、JavaScriptを書く必要は全くないし、(上で指摘したような)UXの変更も、1時間もかからずに(エンジニアの手を煩わせずに)出来てしまうのです。
ウェブサイトをITベンダーに頼んでゼロから作ってもらうと、少なくとも数十万から数百万円のお金がかかります。Squarespaceのようなテンプレート型と比べて、自由度は高いのですが、コードのクオリティは様々です。(上に書いた理由で)メンテナンス性が高いコード、コンテンツだけを変更しやすい設計は、ほぼ期待できないと言って良いと思います。
特に日本の場合は、ITベンダー自身はプログラマーを抱えておらず、仕様書だけを書いて実装は下請けに丸投げし、その下請け企業で働いているプログラマーの多くは、過酷な労働環境で働いている薄給のエンジニアなので、まともな設計やコードは期待できません。
そのため、ちょっとしたアップデートでも、同じベンダーに頼まなければいけなく、(競争がないだけ)どうしても足元を見られて高くなります。それが嫌で、他のベンダーにアップデートを頼むと、「こんなコードをメンテナンスしていたら逆に高くつきます。ゼロから作り直したほうが良いでしょう」と言われるのが落ちだと思います。
それと比べるとSquarespaceのようなSaas型のサービスのコードは、大学や大学院でちゃんとコンピュータ・サイエンスを勉強した一流のエンジニアが、「メンテナンスのしやすさ」を最優先にして設計・実装しているため、はるかにクオリティの高いものになっています。
ITベンダーにこの話をしても、真っ向から否定してくると思いますが、これが現状なのです。
SaaSビジネスは、顧客ごとに個別のコードを書くようなことはしないし、コンテンツのアップデートにも関わりたくないので、コードとコンテンツの境が非常にはっきりしており、(テクノロジーが理解できない)顧客が直接コンテンツを編集できるように設計してあるのです。
数十万から数百万円のお金をかけてITベンダーに作ってもらった特注のウェブサイトよりも、月々2,000円で使えるウェブサービスの方が、コードの質が高いし保守コストも安い、コンテンツの変更も簡単に出来るという事実は直感的には理解しにくいし、顧客としては全く納得できないとは思いますが、それがソフトウェアというものなのです。
このケースは極端な例ですが、これがまさに、DocuSign、Slack、Salesforceなどの企業向けのSaaSビジネスが急激に伸びている理由なのです。
別の言い方をすれば、企業が行う「IT投資」には大きく分けて、「ITベンダーを雇って特注のソフトを開発してもらう」方法と、「SaaSベンダーが提供する汎用サービスを活用する」方法の両方があり、ビジネスモデルやコスト、そして、それに伴うリスクが大きく異なるのです。
以前は、企業がデータをクラウドに置くことを嫌がっていたため、ほとんどの「IT投資」は前者の形(特注ソフト)の形で行われて来ましたが、次第にクラウドにデータを置くことに抵抗がなくなるにつれ、SaaSのビジネスが伸び始め、今では、CRM、ホームページ、チャット、プロジェクトマネージメント、データ解析、スケジューリング、サイン、アンケートなど、さまさまな種類のソフトウェアがSaaSの形で提供されるようになりました。
こうなってくると、上に書いたような欠点(高い保守費、クオリティの低いコード、数年後たつと陳腐化してしまうなど)を持つ「特注ソフト」の開発はできるだけ避け、上手にSaaS型で提供されるサービスを組み合わせて業務に使うのが中長期的には良い企業戦略のように思えます。
しかし、実際のところ普通の企業には、どんなサービスを組み合わせて業務を行えば良いのかの判断さえ難しい場合が多く、そこでITベンダーをコンサルタントとして雇うと、彼らにとって都合の良い(つまりカスタマイズや保守費用で儲けることができる)システムを採用することになりかねないので、注意が必要です。
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