伯父にとっては、数少ない来客の1人だったから、とても心待ちにした存在だったと思う。1人の居室で狭まっていく社会にあって、その張り合いは外部との接点や金魚が全身で示す「生きている」ことの形だったかもしれない。今年秋になって月に一度しか訪れることのできない私の家族が帰ろうとすると、「おう!」と断末魔の叫びのような声を上げた。それは年末に「家に帰りたい」という訴えだった。
体の状態から家に帰ることはできないが、車椅子のまま車両に乗せて、車の中から家を見ることは出来る、と福祉車両をレンタルしようと、可能性を調査し始めた矢先に、気管支炎で入院したところから体調が悪化していった。一時は私と会うことができたものの、最後は静かに目を閉じて、多くの職員に見送られた。
遺体が葬儀所に運ばれ、私が居室の整理をしに行くと、職員は丁寧になくなった状況を説明し、居室の整理を手伝い、すべてが終わると居室のフロアスタッフが全員そろって整列し、私を見送る。施設の玄関では事務スタッフもすべて玄関に出て、私を見送り、玄関から外に出てからも複数の担当職員が見送る。
演劇のカーテンコールからお見送りのように、その感謝のやりとりは、伯父の死が感動的なステージの演出のようにも思えてくる。金魚を受け入れた施設とその職員、金魚を太らせ、それを見ていた伯父、そして、金魚を管理していた野津さん、それぞれが伯父の最後のステージの素敵な役者たちだった。すべてに感謝したいと思う。
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