日本書紀や古事記にも出てこない富士山が日本一の山になった理由

 

竹取物語は9世紀末から10世紀初めに作られたとされてますし、この義楚六帖は10世紀中頃の作品であると言われています。つまり、10世紀には、日本にある富士山は、不死につながる仙人の住む山であり、また、不死の薬を焼いた煙が立ち上っていることからも、頂に火煙ありという記述からも、この時は活火山として噴煙をあげていたということがわかります。そして、この様子は日本の都だけでなく、中国にまで伝わっていたようです。また、「富士」という名前が、この時には既につけられていたことがわかります。

徐福の伝説が、富士山と混ざって、蓬莱山として認識されるようになったのは非常に面白いと思います。その子孫が秦氏であるというのは少し驚きですが、ここにもまた渡来人として活躍する秦氏と徐福の伝説が混ざってしまっているようです。また、活火山であったのであれば、この時代の富士山は、登山できるような山ではなかったのだと考えられます。

万葉集の中には、「なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 不尽の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上がらず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひもえず 名づけも知らず くすしくも います神かも (中略)富士の高嶺は 見れど飽かぬかも」という笠朝臣金村の歌が載ります。

笠朝臣金村の活躍した年を考えると、700年代の歌であることがわかります。火を噴く山の様子が歌われているともに、「います神かも」と言っています。神が住む山という認識はされていたのかもしれません。

日本書紀には、富士の話は出てきませんが、続日本紀によると、781年には「富士山灰ふり木葉枯れる」とありますから、この年には大きな火山活動があったのだろうと推測できます。日本後紀の中では、800年に「黒煙、夜火光天照、声如雷、降灰足柄道を埋む」と記録されています。この頃は、頻繁に爆発する活火山であったようです。

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