こう見てくると、富士山を霊峰富士などと言うようになったのは、それ程古い話ではないようです。竹取物語や万葉集が示すように、孤高の山は確かに美しく神々しい山であったのでしょうが、それを知っている人が多くいたわけではなく、また、その山を見ていた人も美しさ以上に恐怖があったのだと思います。富士山は、古代は荒れる東国、未開の国の象徴的な存在として、そして、活火山としての恐怖でしかなかったのかもしれません。それが、かぐや姫の伝説のおかげで、仙郷の蓬莱山と結びつき、そのイメージを仙人の住む山へと変えていったようです。
富士山は本当に綺麗ですが、富士火山が爆発すると、その被害は甚大なものとなり、規模によっては東京を麻痺状態に陥れることになるのかもしれません。貞観の噴火と言われる、864年から2年間にわたる大噴火により、富士山の北西山麓を溶岩で埋めたとされています。これ以降も、度々噴火を起こしてきた山であり、決して火山活動を終えたわけではないのです。大変危険な山には違いないのですが、幸いにも、今は、荒れ狂う姿も見せず、煙もはかず、静かに佇んでいるばかりです。
都良香は富士山記に、こうも綴っています。貞観の大噴火から約10年後の富士山です。「貞観十七年十一月五日、吏民奮きによりて祭りを致す。日午に加えて、天甚だ美しく晴る、仰ぎて山峰を観るに、白衣の美女二人有りて、山の頂の上に並び舞う。頂をさること一尺あまり、土人共に見る」
祭りによって山の神の機嫌を取ったせいでしょうか。青空の下、雄大な姿を見せる富士山が描かれています。まさしく、かぐや姫が似合う霊峰富士の姿です。現在の富士山頂にも、白衣の美女二人が舞う姿が見れるようです。現代に生まれた私達は幸せなのかもしれません。
今年、富士山の近くを通り、里帰りをされる皆様は、是非、白衣の美女の姿を眺めて見てください。
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