今と比べれば、大分ましだったけれども、当時も時間の無駄以外の何物でもない公務が結構あって、私はなるべくスルーして、最低限必要なことしかしなかった。都立高校の「生物」の非常勤講師は大分長いことやっており、正規の教諭になったのは28歳であったが、一応新人なので、新人研修というのが年に15回(?)もあり、なるべく出席するようにと校長から指示があった。「なるべく」ということは出席しなくてもいいんだなと即座に判断した私は、研修はすべて欠席した。研修の項目を見る限り、役に立つとはとても思えなかったからだ。
半年くらいたったところで、校長に呼ばれて、「研修に行かないと、教頭や校長になれないよ」と諭された。校長はとてもいい人で、おそらく善意で言ってくれたのだろうけれど、私は、ニコニコ笑って「生涯、一兵卒として頑張ります」と答えた。校長はきっと呆れたのだろう。それ以上何も言わなかったので、私はその後の研修も全部さぼって、新人研修全欠という記録保持者となった。当時は、試用期間というのがなく、建前としては新人教諭へのサービスとして行っていた研修をさぼったくらいでは、正規の公務員を馘首することはできなかったのだろう。
余談だが、全欠の記録は他にもあって、早稲田大学に勤務していた14年間、大学から指示された健康診断を一切受診しなかった。新人研修も健康診断も、私にとっては(おそらく私以外のほとんどの人にとっても)、頭や体に余計なストレスがかかって健康を損ねる、貴重な時間の浪費である、という2重のデメリットばかりで、メリットは何もないことは間違いない。
かつて内田樹は「権力とは無駄なことを強制させる装置である」という名言を吐いたが、これは、閉鎖的な組織(会社、学校、官庁、国家)の内部において権力に反抗する者の芽を摘むことには素晴らしい効果を発揮するが、外部と競争する段になると、激しいマイナス効果を発揮することになる。
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