21歳になるまで知らなかった、自分が拉致問題の関係者だったこと

 

実母が拉致された、自分は養子だったという事実を少しずつ受け入れていく中で、2002年9月、当時の小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日との日朝首脳会談により5人の拉致被害者が帰国することとなりました。しかし、その中に実母の姿はありませんでした。しかも北朝鮮は「田口八重子は死亡」と発表したのです。

私はその情報を当時勤務していたヨーロッパで知りました。にわかには信じられず、すぐ実家に電話を掛けると、養父は気丈に振る舞ってはいましたが、電話の向こうから養母の泣いている声が聞こえてきました。「母さんにひと言掛けてやってくれ」と言われ、電話を代わりましたが、涙が込み上げてきて会話になりませんでした。

「死亡」の情報以来、どうしようもない無力感虚無感が次第に大きくなり同時に怒りが込み上げてきました

ただ、北朝鮮の「死亡報告書」に虚偽が多いことが分かっていくにつれ、彼らに振り回されるのは相手の思うつぼだと気づいたのです。そして、飯塚家の親戚で会議を開き、養父が「拉致被害者家族連絡会」(以下・家族会)に入り、拉致問題解決を世間に訴えていくことが決まりました。

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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