実母が拉致された、自分は養子だったという事実を少しずつ受け入れていく中で、2002年9月、当時の小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日との日朝首脳会談により、5人の拉致被害者が帰国することとなりました。しかし、その中に実母の姿はありませんでした。しかも北朝鮮は「田口八重子は死亡」と発表したのです。
私はその情報を当時勤務していたヨーロッパで知りました。にわかには信じられず、すぐ実家に電話を掛けると、養父は気丈に振る舞ってはいましたが、電話の向こうから養母の泣いている声が聞こえてきました。「母さんにひと言掛けてやってくれ」と言われ、電話を代わりましたが、涙が込み上げてきて会話になりませんでした。
「死亡」の情報以来、どうしようもない無力感、虚無感が次第に大きくなり、同時に怒りが込み上げてきました。
ただ、北朝鮮の「死亡報告書」に虚偽が多いことが分かっていくにつれ、彼らに振り回されるのは相手の思うつぼだと気づいたのです。そして、飯塚家の親戚で会議を開き、養父が「拉致被害者家族連絡会」(以下・家族会)に入り、拉致問題解決を世間に訴えていくことが決まりました。
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