▼「疑わなくてもよい定説」を疑う不思議
701年の大宝律令で、天皇が出す詔書に「日本」の国号を入れることが初めて規定され、明文化されています。国定教科書にも明記されている定説です。以下は山川出版社『詳説日本史』の記述です。
「律と令がともに日本で編纂されたのは大宝律令がはじめてで、「日本」が国号として正式に用いられるようになったのもこの頃のことである。」(p.41欄外脚注)
もちろん、定説が覆ることはあります。国号成立の時期について諸説あることも知っています。
ただ、「いつが『正式な』始まりか」と問う以上、ここで海外史料を紹介して逡巡することはありません。日本が誇る大宝律令を根拠に「701年」と明記するのが歴史常識だと思います。
大宝律令は中国(唐)の法律制度をパクったものではなく、むしろ日本の独自性、独立性を誇れる内容を備えています。そのあたりも著者は勘違いしている可能性があります。
▼成立過程が曖昧な「日本」を誇れるか
国号の正式採用時期の特定はとても重要です。日本という国のアイデンティティにかかわってきます。
たとえば外国人に、
「YOUの国の国号が正式に使われたのはいつ?」
と聞かれて、
「たぶん7~8世紀かな。でもハッキリしない」
と答えたら、
「Why Japanese history?」
とバカにされかねません。
「あなたの誕生日はいつ?」と聞かれて、「たぶん3月から4月の間かな。でも真偽は不明」と答えるのと同じです。
正式な国号成立時期を曖昧にしたままで、日本を誇れるでしょうか。少なくとも僕は誇れません。
▼「記紀」を読んでいるのだろうか?
商業出版として通史の本を書くうえで、『日本書紀』と『古事記』の読み込みは必要条件だと思います。しかし、百田著『日本国紀』の第1章を読む限り、どうも著者は「記紀」(きき:『古事記』と『日本書紀』をあわせた略称)を読んでいないように思えました。
たとえば卑弥呼(ひみこ)や邪馬台国(やまたいこく)について、次のように断言しています。
「大和朝廷の歴史書である『古事記』『日本書紀』(併せて「記紀(きき)」と呼ぶ)には、卑弥呼のことも邪馬台国のことも書かれていない。」(p.19)
確かに「記紀 卑弥呼」でネット検索すると、「記紀に卑弥呼の記述はない」とする記事が上位にズラズラと並びます。
しかし、記紀を読み込んでいる人であれば、ここはもっと慎重に書くでしょう。小説家であればなおさら想像力をかき立てられ、本領を発揮できそうな部分です。
先ほどの「国号成立時期」とは逆のケースと言えます。