生き永らえるのが本人にとって幸せとは限らないような、重篤な病状になった患者でも、医療により必然的に救命されてしまう。これが医療の発達が副次的にもたらす大きな問題だ。著者は、そのことはいったんおいて、もっと積極的な広い概念で、まだ元気なうちに死を選ぶという意味の安楽死について考える。
人生において自分がなし遂げたいことをすべて終えてしまい、もうそろそろ人生を終わらせたい、という種の積極的な選択としての死が許されるのかどうか。いろいろな理由で死を積極的に選ぶという行為は、今後、高齢者に身近なものになり、常にそういう選択肢の存在を意識する状況になって行くであろう。
そういう安楽死アタリマエの状況を制度として明確に許容するのか、そこはオブラートに包んだままにするのか、という問いかけが社会に突きつけられることになる。「つまり、死は単に与えられる存在としての『死』ではなく、私たちが選択する対象になるのです」。われわれはそういう「新しい死」の概念とつきあっていかなければならない。死はもはや不意にやって来るものではない。
死は原則的に予想される状態でゆっくり来るものになる。医師の目からは、時代はすでにそうなっている。カラダの不死が実現してしまい、ココロが不死の時代とどう向き合っていくか、これは我々の考えもしなかった事態だ。「健康で長生き」が当たり前になるそうだ。「健康で長生き」以外の、持続的な充足感や生きがいの形成、アイデンティティの再構築が必要、……ああ面倒くさい。
著者は断言する。「思いがけず命を奪われることなく、自分の人生に納得して最期を迎えることができるのです。『ダイ・ハード』という映画がありましたが、これからの私たちはまさに、なかなか死なないダイ・ハードな人生の主役をそれぞれ長期間演じていくのです」。いや、そんなこと望んではいないが。
貴重なアドバイスがある。毎日心がけるべきは口腔衛生、つまり歯磨きである。「口腔ケアは、生活習慣病のリスクという点において、不死時代における基本的な健康の獲得に大きな影響を及ぼすから」である。歯科医で定期的に歯石除去すれば、歯周病の悪化防止になる。歯のメンテナンスは最優先である。それは知ってた。殆どの医者はいらなくなるとはこの本で初めて聞いた。文章がわかりやすく、非常に読みやすかった。この本のタイトルは秀逸です。
編集長 柴田忠男
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