脱発展途上国の戦略設定に失敗
平成30年間の経済がこれほどまでに残念な結果となった理由は、大きくは2つあって、第1は、そもそもバブル自体が失敗の結果だったのにそうとは思わずにそれに浮かれていた脳天気、第2は、そのバブルが崩壊した後をどう始末するかについて、小泉=竹中の市場万能主義の路線も、安倍=黒田の金融異次元緩和の路線も、全く見当が狂っていたことである。
バブルを生んだのは金余りで、なぜ金余りになったのかというと、戦後日本の復興から高度成長の推進力となってきた大量生産型の製造業が飽和状態に達して、その旺盛な産業資金需要を賄ってきた銀行が資金の供給先を失ったからである。そこで銀行は、株と土地の投機に人々を誘い込んでバブルの狂騒を創りだし、それに政府も企業も国民も踊り狂って我を失ってしまった。
実はこの80年代から90年代にかけて日本が直面していたのは、行け行けドンドンの成長一本槍の発展途上国経済から、落ちついた成熟的な先進国経済への戦略的な転換であったのだが、そのような議論は政財官のどこからもまともに提起されることがないまま、宙に飛んで砕け散ったのである。
私はバブル崩壊当時、よくこんな言い方をしたのだが、日本は余りに元気な発展途上国だったので、勢い余って成熟先進国への急カーブを曲がり切れずに正面の土手を賭け登って向こう側に転落し、失神してしまった、と。そのため、本当の課題が、成長から成熟へ、量的拡大から質的充実へ、徒な「大日本」の追求から「中」もしくは「小」の身の丈に合ったほどほどの日本へ──等々の価値観的な転換にあるという問題意識が育たないという欠損が生じた、と。