私は、以前も言及したことがあるが、北朝鮮を建国したのは金日成や崔賢(崔竜海の父)など、1945年9月19日に、ソ連の漁船を改造した軍艦「プガチョフ」に乗っていた60人の抗日パルチザンの同志が建国した国であるからだ。この60人の集団は血で塗られた国内での数多くの粛正劇を乗り越えてきた連中であり、その中からさらに生き残ったのが金日成や崔賢などの一部であり、金日成と崔賢はパルチザン時代に「同じ釜の飯を食った仲間」であり、北朝鮮に上陸してからは金日成を首班とするグループの度重なる粛正劇を乗り越えてきた仲間でもあり、同志でもある。
崔竜海は金正日時代に一時、地方に追放されたこともあるが、粛清、処刑されるようなことはなかった。金正恩の叔父の張成沢は金正恩に叔父ということで色々な小言や、ときには命令口調になるような口ぶりで注意のようなことをしたので、金正恩から疎んじられ、最後は無残な方法で処刑され、その死骸は跡形もなくなるほどであったというが、そのあたりのことは年長の崔竜海も骨身にしみているはずだ。
崔竜海が失脚、粛清されるようなことはないと思うが、あるとするならば、今、北朝鮮の高級幹部の子弟が繰り広げている「経済利権の争奪戦」で、崔の子弟が引っ掛からなければいいのだが。
それにしても金永南は90歳になるまでよく、最高人民会議常任委員長の座に留まることができたものである。「お飾りの座」とはいえ、よく長らえたものだ。4月14日に北朝鮮の国営メディアは金正恩を「朝鮮人民全体の最高代表者で、共和国の最高指導者である国務委員長」と、新たに「最高代表者」の呼称を付け加えたが、中身のない者ほど着飾る、とはよく聞く言葉であるが、今度は金正恩にどのような修飾語をつけるのか、崔竜海の今後とともに注目したい。(宮塚コリア研究所代表 宮塚利雄)
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