『ルパン三世』が教えてくれた、今の日本が忘れてしまったもの

 

『ルパン三世』同様、僕たちの世代は『ドラえもん』のファンでもあります。原作のドラえもんは、果たしてどうだったのか。藤子・F・不二雄先生の描いた物語は、ただの未来の世界のネコ型ロボットが活躍するSF世界にとどまりません。

ドラえもんの原作ベースは、基本次のようなストーリー展開です。のび太がジャイアンや、スネ夫にいぢめられる。ドラえも~ん、タスケテーと泣きつく。しょうがないなぁとポケットから便利な道具を出す。その道具でピンチを乗り切ったのび太は、調子に乗って悪用する。しずかちゃんのシャワーシーンをのぞいて、ビンタされたり。人気者になるアイテムで、街中の野良猫が寄ってきて収集つかなくなったり。痛い目にあって笑わせてくれるラスト。

僕が記憶に残っているエピソードは、うろ覚えで申し訳ないのですが、夏休みの読書感想文の宿題をするのが面倒くさくて、ドラえもんのひみつ道具で乗り切ろうとします。道具の正式名称も忘れてしまいましたが、本を人の頭にかぶせるとその人が朗読してくれる。本を読む面倒臭さから、解放されて、聞き流すだけでいい道具。のび太はデキスギくんにかぶせて、「15少年漂流記」を朗読させます。

聞いているうちに、物語に引き込まれていく。そろそろ夕飯の時間で話の途中で帰宅するデキスギくん。原作のラスト1コマは、ママが「そろそろ寝なさーい!」と怒る中、実際の本のページをめくり、続きを読もうとするのび太の後ろ姿でした。実際の読書の面白さに気づいたのび太は、もうページをめくる手が止まらない

そう、『ドラえもん』って実は、野比のび太という一人の男の成長物語だったんです、僕はそう見ています。実際、伝説の最終回は、動かなくなったドラえもんを自分が修理すると、ロボット工学を極めるのび太の姿が描かれています。「今度は自分が助ける番だ」と(この最終回は、諸説色々あるみたいですが)。

最後の最後まで、寄り添って「どこにも行かないよ~」と慰めあってるだけの『ドラえもん』で、本当にいいのか。そりゃあハッピーエンドで、感動的で、涙を誘うけど、でも、これで、これだけで、いいわけがない、と感じる自分もいます。原作の方で描かれた世界観を、小学校時代に叩き込まれた僕たちは。

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