『ルパン三世』が教えてくれた、今の日本が忘れてしまったもの

 

『フランダースの犬』なんて、もっと強烈だ。ちょっと強烈すぎて、再放送中止にもなったみたいだけれど。だって、ラスト、死んじゃうんですよ、ネロ。おそらくパトラッシュも。悲しすぎて、ひきつけ起こすほど、泣いた記憶があります(あれはあれで、なんで、あんな拷問みたいなトラウマを小学生に刻みつけられる必要があるのかという疑問すら湧き上がってきます)。

でも、この歳になってわかります。「ネロは幸せだったのだ」と。ルーベンスの絵を一目でも見ようと、雪の中、教会にパトラッシュとたどり着いたネロに奇跡が起こります。風が吹いて、布で覆われた絵の全容が一瞬、姿を現します。文字通り、命がけで得た一瞬。永遠の幸福より価値のある一瞬。すべてを理解し、幸福に包まれた笑顔で、例の「パトラッシュ…、僕はもう眠くなってきたよ…」のセリフ。天使が上の方にネロとパトラッシュを運んでいきます。こっちは大号泣(なんで、こんなもの小学生に見せるんだよ)。

実際、アントワープのこの教会に10年ほど前に足を運んだことがありました。アントワープ聖母大聖堂の中央祭壇に飾られた、ルーベンスの絵画「キリストの降架」も見ました。「これが、ネロが命をかけて見たかった絵なんだ」と感慨に耽りました(お土産ショップでネロとパトラッシュのポストカードが売られていたのはちょっと気になったけど、、) 。息子が小学校に上がったら『フランダースの犬』を見せようと思っています(嫁には、「やめてよ!」と言われているけど)。痛みを伴う代わりに、男として大切な何かを教えてもらえるから。ラストシーン、息子が号泣しても、寄り添って、彼に言ってやるセリフもすでに決めてます。「男が決意したんだ、黙って見送ってやるしかないだろう」…と(娘にはそんな試練は課さないけど)。はしかや風疹みたいなもんで、男の子が、一回は通らなきゃいけない道だから。

そう。僕たちは、(少なくとも僕は)『ルパン三世』や『ドラえもん』、『フランダースの犬』で「大切なことは、寄り添うことだけじゃない」というハードボイルドな生き様を教えてもらった。それは「世の中、ハッピーエンドだけじゃない」という圧倒的なまでのノンフィクションと、そして「でも、それこそが、ハッピーエンドよりも大切な証明」なんだという掟みたいなものまで。いや、ほんとの話。

なんとなく。なんとなくですが。名前は伏せるにしても、今の日本の漫画を見ると(そこまで詳しいわけではないのですが)シニカルに構えるか、もしくはそれが主流になって、カウンターとして、みんなで一致団結、大円団。が多い気がします。80年代の『週刊少年ジャンプ』以降(やっぱり、昔はよかった的なおっさんの意見に聞こえるな、我ながら・笑)。

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