『ルパン三世』が教えてくれた、今の日本が忘れてしまったもの

 

無修正の動画を無料でいっくらでもアクセスできる現代より、2Dの、アニメの、画素数の荒いブラウン管の、不二子ちゃんの衣服の上からの乳首のぽっちでコーフンできていた当時でよかったと本気で思います。そっちの方が、妄想も含め、ずっと「大人の世界」を神秘的なものとして捉えることができた。もっと言うなら「大人」になるのが、楽しみにもしてくれた。だって、大人になったら、リアルな世界の不二子ちゃんに会うことができると思っていたから。

「大人チックな世界」を垣間見せられたことにより、「大人の世界」が実物以上にカッコよく思えた。友情のなんたるかは、ピンチに当たり前のように助けに来てくれる次元大介が体現してくれた。エロスのなんたるかは、タッチの荒い2D峰不二子が教示してくれた。ネットのリアル動画に見慣れた小学生は、何を楽しみに大人になるのだろう。答えを知ってるパズルを、答え合わせ通りに解くのだろうか。

ルパンのようなキャラクターは、今はもうアニメ界にいない、と書くと「いや、今のアニメでもアウトローなキャラの主役はいる!」と反論されるかもしれません。いや、アウトローという意味じゃなく(というか、今のアニメの主役はアウトローキャラしかいないじゃん・笑)もっと、下世話で、女好きで、でも、おしゃれで、ちょいワルな、親族の叔父さんにいそうな存在。やっぱり、なかなかいないと思います。「ルパン」とともに幼少期を過ごせて幸せだったのだと思います(でも、実は、今でも再放送していて、今の子供たちも見てんだよね・笑)。

ここまで個人的な感情で書いちゃいましたが、ここからがいちばん言いたいこと。僕たちの親の世代は、60年代から70年代初頭にかけてのハリウッド映画や、時代劇で、人生の機微や、男の生き様を教えてもらった、とよく聞きます。そんな世界をそのままわかりやすく見せてくれたのが、70~80年代のアニメだったのではないかと思うのです。前述の『ルパン三世』然り。

先日、数年前に日本で大ヒットした『STAND BY ME ドラえもん』をブルーレイで鑑賞しました。全編3D、主題歌も大ヒット、日本アカデミー賞まで受賞した「涙の感動巨編」です。日本でも、劇場から出てきた観客を捕まえて「ことし一番泣きました」とか、「忘れていたものを取り戻せました」とか、カメラに言わせているCMも目にしたことがあります。

実際に鑑賞してみると、なるほど、とても耳障りのいい歌とともに、ドラえもんとのび太の友情が丁寧に描かれていて、泣きそうになるのもわかります。とてもいい映画、だと。でも、正直に言うと、僕はあ然としていました。文句のつけようのない「感動巨編」に。

「STAND BY ME」というタイトル通り、最後の最後まで、ふたりは仲良し。「ドラえもーん、どこにも行かないで」「のび太くぅーん、ずっとそばにいるよ」。仲良しなのはいいことだ。ずっとずっと一緒に寄り添ってね。そう思わないでもない。

でも、次の瞬間、ふと思ってしまったのです。優しいタッチの絵にも、感動的な歌にも申し訳ないけど。……じゃあ、のび太は、いつ、戦うの? いつ、自分の両足で立つの?と。

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