あの「天安門事件」から30年。風化させてはならない「民主化運動」の軌跡
本日6月4日で、1989年に発生した中国の「天安門事件」から30年が経ちました。あらためて天安門事件とは何か、そして中国をはじめ台湾・香港で受け継がれた「民主化運動」の歴史について、駆け足で振り返ってみたいと思います。
多くの犠牲者を出した「天安門事件」とは何か?
米ソ冷戦時代の80年代後半、当時のソ連では「ペレストロイカ(政治体制の改革運動)」を始め「民主化」「自由化」が進みそうなムードになっていました。そのソ連と同じく共産党の「一党独裁」である国、中華人民共和国(中国)にも、変革の波が押し寄せていたのです。その「自由化」を推進していた人物が、中国共産党の胡耀邦(こ・ようほう)総書記でした。
胡耀邦氏。image by: 不明derivative work: JJ Georges [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
胡氏は、中国版「ペレストロイカ」ともいうべき民主化・自由化を中国で実行しようとしましたが、当時の実際の最高実力者だった鄧小平(とう・しょうへい)氏が反対し、胡氏は失脚。1987年1月のことでした。
鄧小平氏。image by: Unknown or not provided [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
その後も要職を解かれた胡氏は、1989年4月15日に心筋梗塞で急死しました。この胡氏の死をきっかけに4月17日、北京で学生たちが追悼集会を開催。これは、ほどなくして「民主化要求デモ」に発展し、中国全土に拡大していきました。4月21日には北京のデモ参加者数は10万人までに膨れ上がったのです。
そして5月、その数は50万人に増加。革命を恐れた中国共産党のトップは6月4日、学生デモを「武力で鎮圧」するよう命令を下しました。これがいわゆる「天安門事件」です。犠牲者の数は、中国共産党の公式発表では「319人」としていますが、正確な数字は現在も不明ながら、欧米では「3000人から1万人」とも言われています。人民解放軍の戦車の前に1人で対峙する学生の写真などを目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
⚡️ “天安門事件から30年 各地で中国政府に批判の声”https://t.co/e8WXxWkFmz#天安門事件30年
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2019年6月4日
中国人民解放軍の59式戦車 image by: Max Smith [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
当時の駐中国アラン・ドナルド英大使が翌6月5日に本国政府へ送った外交機密電報によると、「最低でも1万人以上が中国軍に殺害された」「1時間の退去期限を通告したが、実際には5分後には装甲兵員輸送車による攻撃が始まりひき殺され、大多数は広場から離れる途中で(学生たちが)犠牲に遭った」「学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、兵士たちを含めてひき殺されてしまった。そしてAPC(装甲兵員輸送車)は何度も何度も遺体をひき、ブルドーザーが遺体を集めていった」と記載されていました。この数字が正確なものだったかどうか、現在も多くの議論がおこなわれています。
天安門事件の死者は「1万人」 英外交機密文書 https://t.co/KdI7VwLHOa 最近よく言及されるこの話、大事件直後は情報が混乱する(例、911直後の報道や311直後のネット情報)ため、直後だから英国だから、という理由で丸呑みにするのは危険。北京や中国全体の犠牲者数の正確な数字は誰も持ってないかも
— 安田峰俊| 『八九六四』第5回城山賞&第50回大宅賞W受賞 (@YSD0118) 2019年6月3日
この事件をきっかけに、中国政府は世界中から非難を浴び、現在も「言論弾圧」や「人権蹂躙」などの問題が指摘されています。
香港・台湾で語り継がれる「六四天安門事件」。本土はTV放送の遮断も
武力鎮圧によって亡くなった多くの犠牲者を追悼する集会が、香港や台湾で毎年行われています。しかし、中国本土では今も、天安門事件に関すること(例えば、六四、64、8964といった数字さえも)をネット上に書き込むことや、話すことも許されていないのが現状です。
中国では4日、NHKの海外向けテレビ放送で「天安門事件30年」に関するニュースが流れた瞬間、映像と音が消え、画面が真っ暗になったということです。現在も、この事件は中国本土では「タブー視」されていることがわかります。
【天安門事件から30年】
中国本土では日本時間の4日午前7時すぎ、NHKが海外向けテレビ放送「ワールドプレミアム」で、天安門事件に関するニュースを伝えた際、映像と音声が遮断され、およそ8分間にわたって画面が真っ黒になりましたhttps://t.co/2BzBzXi2nV#nhk_news #nhk_video pic.twitter.com/ki5NKLqHBX— NHKニュース (@nhk_news) 2019年6月4日
香港の追悼集会 image by: John HZ Ye / Shutterstock.com
天安門事件が発生した1989年といえば、ベルリンの壁が11月に崩壊、東西ドイツが再統一された歴史的な大事件があった年です。その後、ソ連が崩壊してロシア共和国となり、東欧諸国が民主化。しかし、中国は今も中国共産党が一党独裁を続けたまま、さまざまな「統制」が続いています。
主に経済面で「米中戦争」が激化するいま、世界2位の経済大国となった中国が過去に起こした「歴史的大事件」について、いま一度振り返ることも必要ではないかとの思いから、1989年の天安門事件から30年という節目の年となる本年の6月4日、この特集記事を組ませていただきました。(MAG2 NEWS編集部)
※執筆と編集にあたり、MAG2 NEWS掲載の北野幸伯さんのメルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の以下の記事を参照させていただきました。
● 天安門事件で学生を殺した中国共産党が、民主化の波に殺される日(MAG2 NEWS)
Twitterで見る「天安門事件」30年
BBCニュース – 天安門事件から30年 中国が忘れた映像 https://t.co/aV4SRP0PaP pic.twitter.com/diUkN9tRyC
— BBC News Japan (@bbcnewsjapan) 2019年6月3日
1989年の今日、天安門事件が発生。民主化を求め天安門に集まった学生や市民に対し、人民解放軍が戦車や装甲車を出動させ銃撃するなどし、多数の死傷者が。中国政府は国際的な非難を浴ることになりました。
今日は何の日?はこちら⇒https://t.co/TOPcC65fw2 pic.twitter.com/my8W7MzNUp
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) 2019年6月3日
天安門事件30年 中国では厳しい言論統制 https://t.co/UuVV4pWv9w #日テレNEWS24 #ntv
— NTV NEWS24 (@news24ntv) 2019年6月3日
1989年6月4日天安門事件 列車「8964番」予約できず #nhk_news https://t.co/kUfa8i17bV
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年6月3日
天安門事件30年を前に各地で中国政府に批判の声https://t.co/SyZpS8kYG9
→学生指導者の一人で米国在住の封従徳氏「香港の一国二制度は完全に詐欺。中国共産党の姿勢は自らの過ちを認めている証拠だ」
→台湾で対中政策を主管する大陸委員会「北京当局は歴史の誤りを正視し、誠実に謝罪せよ」— 産経ニュース (@Sankei_news) 2019年6月3日
中国で起きた天安門事件から4日で30年。香港で開かれる追悼集会には少数ながら中国本土から駆けつける若者らもいます。
中国南部に住む30歳の男性会社員は「私一人の力は小さいかもしれないが、中国の民主化に向けて少しでも力になりたい」。福岡特派員のレポートですhttps://t.co/ArmVsOVnE6
— 毎日新聞国際ニュース (@Mai_Intl) 2019年6月3日
台湾の蔡英文総統は天安門事件から4日で30年となるのを前に、中国出身の民主活動家ら面会しました。https://t.co/BwBehpII0B
— 時事通信国際ニュース (@jiji_gaishin) 2019年6月3日
米国のポンペオ国務長官が中国の人権問題を非難する声明を発表したのは北京の現地時間4日の午前零時01分。「平和的な抗議活動に対する虐殺だった」(国務省報道官)と米国がレッテルを貼った「天安門事件」からちょうど30年たったのを見計らったタイミングでした。https://t.co/yRGevfUIIT
— NIKKEIアメリカ (@nikkeiusa) 2019年6月3日
(社説)天安門30年 弾圧の歴史は消せない
『今年は建国70周年。共産党はこの間の中国の発展は自らの政策の正しさを示すと宣伝している。ならば、なぜ真実を隠すのか。#天安門事件 を歴史から消し去ってはならない』https://t.co/3ZCJiuftjK
— 朝日新聞東京編集局(コブク郎) (@asahi_tokyo) 2019年6月3日
天安門虐殺30周年に当たって、6月2日に、友人の安田峰俊さんの実家のお寺で、事件の殉難者と獄死した劉暁波さんを供養するためのささやかな法要を行いました。われわれの心からの慰霊の声、この遠い日本からの祈りの声は、彼らの純粋なる魂に届いたのでしょうか。 pic.twitter.com/2rit3MR8Bg
— 石平太郎 (@liyonyon) 2019年6月3日
私自身は、30年前の6月4日、中国共産党に幻滅してかつての祖国と心の決別を告げた。今は、日本国民の一人として、ペンというささやかな武器を持ってあの巨悪の政権、中華帝国と戦っているつもりだ。かつての仲間たちのために、そして新しい祖国日本のために、この戦いを死ぬまで続けるのである。
— 石平太郎 (@liyonyon) 2019年6月3日
※作戦の開始
— 安田峰俊| 『八九六四』第5回城山賞&第50回大宅賞W受賞 (@YSD0118) 2019年6月3日
※本記事内のツイートにつきましては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。
image by: kouikusen