海外のメディアのニュースを、日本のマスコミではあまり報じられない切り口で本当はどういう意味で報じられているのか解説する、無料メルマガ『山久瀬洋二 えいごism』。今回は、悪化している日韓関係の問題を、海外の人々がどう見ているのかについて自身の経験もとに語られています。
国際社会でシニカルに笑われる日韓論争
An official of South Korea’s foreign ministry told Reuters it has expressed regret over Kono’s “rude” attitude. Anger over wartime history can stir nationalistic feeling in both countries.
訳:韓国外務省の関係者は、ロイターの取材に対して河野外相の無礼な態度に遺憾の意を表明。先の戦争をめぐる怒りが両国のナショナリズムをかきたてる(ロイター通信より)
【ニュース解説】
たまたまロサンゼルスで出席したある立食パーティで、日本語で話しかけられました。なぜ日本語をと聞くと、横須賀の海軍基地に将校として勤務していて、今業務での帰国の後の休暇中だからだということでした。
そこで、私はあえて
「Thank you for defending us(日本を守ってくれてありがとう)」
と冗談っぽく話しかけました。相手の反応に興味があったからです。すると彼は、
「Oh. It is a partnership. Sure it is.(我々はパートナーだよ。もちろん)」
とニコリとして答えてくれました。
Partnerという言葉は、同等の立場で平等の原則に従って一緒に仕事をしているという前提に基づく発言です。彼はアナポリス(アメリカの海軍士官学校)を卒業した海軍の幹部の一人です。であれば、当然こうした質問にどう答えるかを心得ているわけです。私の質問が、トランプ大統領が「日本はアメリカを守ってくれない」と発言したことを前提とした皮肉であることを彼が理解していたかどうかはわかりませんが、この返答は極めて外交的で軽妙です。相手を尊重しながらも建前をはなしていることをほのめかした発言です。
そして話題が日韓関係の話題に移りました。
「どうしてどちらの国も意地を張っているんでしょうね。極東の状況を知る多くの関係者は少々戸惑っていますよ。あなたはどう思いますか」
と質問を受けます。
「70年以上にわたって戦前の問題を引きずって、いまだに解決できないのは、双方に問題があると思いますよ。例え日本がすでに話し合いは済んでいるはずだと主張しようが、韓国がそんなことはないと反論しようが、事実として70年間何も進展しないこと自体問題ですね。おそらくお互いの外交力の欠如でしょう」
と私は答えます。
「いえね。アメリカはアメリカンインディアンへの過去の厳しい仕打ちなど、国内ですら様々な民族問題を抱えていますしね。その保証なんてこともあるんですよ。しかも、ベトナム戦争ときたら、アメリカがベトナムから何をいわれても仕方がない部分もあるでしょう。でも、全てにいえることは、未来に向けて動かないことには、過去にこだわっていてもどうしようもないってことです。もっとビジネスライクにいかないものですかね」
横にいた、私の知人がそう言って話に加わります。それに対して私も
「全く同感。これはどちらの政府にも問題を解決する能力がなく、その言い訳として国民を煽っているとしかいえないように思えますよ」
とコメントしました。
そんなとき、河野外務大臣が韓国の大使の発言を「ちょっとまってください」と強く遮ったことをふと思い出したのです。これは韓国のナム大使が懲用工の問題で日本と韓国の企業が共同して賠償しようという韓国の提案を日本が拒絶したにも関わらず、それに再び言及したときのことでした。「日本の立場は伝えてあるのに、それを知らないふりをして再び持ち出すのは無礼でしょう」 と外相が言及したことは、マスコミも大きく報道しています。そして、日本の世論のほとんども、煮え切らない問題に日本側がきっぱりと、かつ強く言明したことに喝采をおくっているかのような論調が目立ちました。
外相は参議院選挙の前に「怒れる日本」を強調したかったのでしょう。しかし、海外のマスコミの反応は極めてシニカルでした。海外の識者の多くはどちら側にも味方せず、少々あきれた反応をしています。それは今回のように海外から日本をみているとよくわかるのです。声を大きくして、感情的に相手に語ることと、しっかりと自らの意思や意見を伝えることとは、そもそも違うからなのです。外交のような知的なやりとりが要求される場であればなおさらです。
日本が不満に思っていることをきっぱりと伝えることは構いません。しかし、冷静に理論立てて明快に伝えればいいものを、普段は曖昧で総花的で、行き詰まると感情的という物事の運び方は稚拙です。これは日本を含め、アジアの人々がよく陥る落とし穴なのです。
はっきりとものをいう時に声が大きくなっても構いません。英語の場合であれば相手が話しているときにそれを遮って、ちょっとコメントさせてくださいと言っても構いません。しかし、そのとき実は彼らは冷静に自らのロジックを組み立てて、知的に話そうと努めるのです。
決して感情的なものの言い方をしているのではないのです。それを、日本人も含め多くの人が勘違いして、強く感情的に話せばよいと思い、そうできた人にすばらしいと喝采をおくるのです。
これが、大きな誤解につながります。河野外相の発言は、日本人の外交力のなさを露呈しています。アメリカ人などと仕事をしたことがある人は、よくアメリカ人同士が意見を闘わせているとき、あたかも喧嘩をしているかのようにみえると感想を述べます。しかし、それは喧嘩ではなく、意見をテーブルの上に乗せて叩き合っているのです。感情的なのではなく熱心なだけなのです。だからこそ、後で食事などをするときは、さっきの議論はなかったかのように和やかにしています。
特に、アジアでは欧米と異なり、目上の人への配慮も必要です。ナム駐日大使が年長者であればそうした最低限の礼を尽くすことで、逆に日本のしっかりとした対応力が評価されるはずです。そうした意味では英語ではない日本語と韓国語の会話の場で、相手の話を遮ることも無礼かもしれません。
「もともと韓国の方が」という人もいるでしょう。その議論には今回は敢えて立ち入りません。仮にそういう人の立場を支持し、もし日本が毅然としたいのであれば、別の方法できっぱりと物事を言わない限り、世界注視の外交舞台ではお笑い種となり、結局どっちもどっちだという印象を与えてしまいす。おそらくあの場面がテレビ中継されたのは、日本の世論を意識してのことでしょう。日本という内側の世論だけを意識した行為は、国益を放棄した売名行為といわれても仕方ありません。それこそが世論を迎合させようというポピュリズムなのです。
「Well, what can we do? Is imply hope you guys can solve this awkward puzzle without wasting time(我々には何もできません。日韓双方がこの気まずい課題を時間の浪費なく解決できるといいのですがね)」
とそのアメリカ将校はにこやかに語り、その後少々ジョークを交わしたあと、お互いに次の相手との話し合いに移りました。合理的な未来志向。アメリカ人は得意でも、日本人や韓国人はこうした発想に立つことは極めて苦手なことなのかもしれません。
困ったことに、似た者同士が争うと自体がより深刻になるわけです。グローバルなレベルで課題が山積する現代にあって、二つの経済大国のこうした実りのない対立を何年も続けていること自体、大きな損失だと多くの人が思わないとしたら、それは極めて危険なことといえるのではないでしょうか。
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