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清水寺を訪ねる前に知っておきたい、本堂が崖にせり出している訳

3年に及ぶ改修工事も、いよいよ大詰めを迎える清水寺。あまりにも有名なこのお寺ですが、創建のいわれや建築様式の凄さなどは意外と知られていないのではないでしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者で京都通の英学(はなぶさ がく)さんが、知っていればちょっと自慢できそうな「清水寺のうんちく」を紹介しています。

清水寺の知られざる見所を大公開!

平成の大改修工事も終盤に差し掛かかりました。数年ぶりに綺麗になった清水寺が来年お目見えする前に今一度清水寺の魅力をお伝えしたいと思います。

清水寺は京都府の観光ランキング第1位で圧倒的な人気スポットです。常に上位にランクする金閣寺や銀閣寺を抑えて堂々の第1位です。京都を訪れる人の実に5人に1人は清水寺を参拝するとも言われていて、世界的にも有名な観光スポットです。

ちなみに日本全国で外国人観光客に人気がある観光地は清水寺を抑えて伏見稲荷大社がトップです。世界的には清水寺より伏見稲荷大社の方が人気があるようです。

さて、清水寺に話を戻しましょう。現在平成の大改修をしています。本堂である清水の舞台は、清水寺が創建された当時の建物ではありません。何度も焼失で失われたら、改修工事を繰り返しています。現在の清水寺の本堂は1633年に再建されています。清水寺の本堂はどんな歴史を歩んできたのかなぜ崖にせり出しているのか?色々な疑問を解き明かしながらちょっと自慢したくなるようなそんな見所をご案内します。

1.工事はいつまで?

平成の大改修の一環で、現在本堂の屋根は葺き替え中です。2017年から始まった工事は来年、2020年3月に終わる予定です。新しい檜皮葺の屋根がお目見えする頃には花見のシーズンを迎えます。4年越しの清水寺の桜を待ち望んでいる人にとってはたまらない瞬間でしょう。

2.概要

清水寺は北法相宗きたほっそうしゅうの大本山で778年に延鎮えんちんを開基として創建されました。本尊は十一面千手観世音菩薩で33年に一度御開帳されます(前回は2000年)。

延鎮に殺生を戒められ坂上田村麻呂が仏殿を寄進したと伝えられています。現在の清水寺は1633年江戸幕府3代将軍徳川家光により再建されたものです。1994年世界文化遺産に認定され、西国三十三箇所観音霊場十六番札所でもあります。

有名な「清水の舞台は国宝で下から舞台を支える柱は約13mのケヤキの木が使われています。釘を一本も使わずに山の斜面に張り付くように建てられているのが特徴です。この特徴的な建築様式を懸造りかけづくり)と言います。音羽山から湧き出る音羽の三筋の滝は観光名所として有名で清水寺の山号の由来になっています(音羽山清水寺)。入口を入ってすぐの境内には重さ90キロもある「弁慶の錫杖(しゃくじょう)と高下駄(12キロ)」があります。

清水寺の塔頭(たっちゅう)・成就院じょうじゅいんには月の庭があり京都の三名園・雪の庭」「月の庭」「花の庭松永貞徳作)」の一つです(通常非公開)。

本堂のすぐ後ろにある縁結びの神様・地主神社は特に女性の人気スポットとなっています。

3.創建の背景(鬼門封じ)

794年、中国の風水に従って都が平安京に遷された時、桓武天皇は鬼門にあたる北東の方角を鬼門封じとして、魔除けの猿を配備しました。今でも御所の北東の角「猿が辻」、御所から見て北東方向に位置する比叡山延暦寺、赤山禅院、幸神社(さいのかみのやしろ)に猿の木彫りの置物が安置され京の都を守護しています。

しかし、もっと大きな視野で鬼門を封じようとしたのが、初代征夷大将軍・坂上田村麻呂による東北遠征でした。征夷大将軍の征夷は東北地方の先住民である蝦夷えみしを征服するという意味です。江戸時代まで続く武家政権の幕府の将軍職の本来の役目は鬼門封じだったということです。田村麻呂は東北遠征から戻ると戦場で亡くなった死者の鎮魂のために清水寺を開いたとも伝わります。

清水の名は音羽の滝と呼ばれる三筋の清水で、開山の延鎮(えんちん)の滝行の伝統を今に伝えています。1994年には平安遷都1,200年を記念して田村麻呂と戦った蝦夷の首長、副首長だったアテルイ・モレ碑が建立されています。

清水寺の開山堂は田村堂とも呼ばれ、坂上田村麻呂夫妻と開山の延鎮を祀っています。謡曲「田村」にも謡われる建物ですが、この謡曲に出てくる地主神社の桜、御車(みくるま)返しの桜は4月第3日曜日の桜祭の時に今でも御所へ届けられています。都の鬼門封じのために涙を飲んで死んでいった罪のない蝦夷たちの鎮魂の献花となっているのです。清水寺は都の鬼門封じのために犠牲となった蝦夷たちへの鎮魂の寺として建立され、今もなおその祈りは続いています。

4.清水寺の狛犬が阿吽ではない件

清水寺の仁王門をくぐる前に狛犬の口を注意して見てみて下さい。仁王門前の狛犬は左右2匹とも口を開けて阿吽ではなく阿阿」になっています。一般的に狛犬は一方が口を開けた阿形(あぎょう)で、もう一方が口を閉じた吽形(うんぎょう)になっています。「阿」は万物の始まりを意味し、「吽(ん)」は万物の終わりを意味しています。

なぜ清水寺の狛犬は2匹共口を開けているのでしょうか?これはお釈迦様の教えを世に大声で知らしめる為なんだそうです。細かいところにも意味のある細工が施されているので色々と注目しながら見物するようにしましょう。

5.建築様式(釘一本使わず)

清水寺の建築に秘められた先人たちの想いを知ると訪れた時により感動します。

清水の舞台から見下ろす谷を錦雲渓(きんうんきょう)といいます。錦雲渓の下から清水の舞台を見上げると太くてたくましいケヤキの柱が整然とそびえ立ち、とても頑丈に建てられています。この舞台を支える柱や建築様式には奥深くて人間味のある魅力が込められています。先人の知恵と技術の素晴らしさに感動し、舞台から見る景色もガラリと変わることでしょう。我々子孫に対する深い思いやりの気持ちが伝わってきます。

清水の舞台の床に敷き詰められた木の板は総檜ひのき張りです。その舞台を支える柱は高さ13メートルある18本のケヤキの大木です。険しい崖の斜面に張り付くように柱を立て、沢山の貫(ぬき)と呼ばれる檜の木材を水平に貫通させて接合させています。この独特の工法は懸造りかけづくり)と呼ばれています。格子状に組まれた木材同士が互いに支え合うことで衝撃を分散し高度な耐久性を保つことが出来る特殊な建築様式です。今まで数百年にわたって参拝者が訪れたにも関わらず一度も崩れ落ちたことはありません。それどころか、幾度もの地震に見舞われてもびくともせず、ぐらついたり、それを理由に補修をしたりすることもないのです。

柱と貫の接合部分は継手(つぎて)と呼ばれる技法で組み合わされています。僅かにできたすき間にはけやきの木片で楔(くさび)が打ってあって、釘1本使うことなく強度を高め足場を固定しているのです。このように先人の考え抜かれた技術の結集が舞台を支えているのです。

6.水に強い仕掛け(大工さんの優しさ)

木は火と水に弱いものです。清水寺は1,000年以上の歴史の中で何度も火災にあいました(13)現在の建物は1633年に江戸幕府3代将軍・徳川家光による再建)。しかし水に対してだけは昔から鉄壁の守りを貫いてきました。舞台を支える木材が雨にさらされる部分を防ぐ努力が続けられてきたのです。

地面から舞台を支える懸造りの構造を見ると先人たちが考え抜いた雨除けの技術の結晶が見て取れます。舞台そのものは元々軒先方向に緩やかな傾斜が付けられています。舞台に降り注ぐ雨が自然と崖に流れ落ちるように設計されているのです。水はけを良くして水が舞台にたまらないように工夫されています。訪れたことがある方はその緩やかな傾斜に気付いたことがあるでしょう。舞台そのものはそれを支える頑丈なケヤキの柱の屋根の役割を果たしています。

柱に取り付けられた沢山の貫の1つ1つの上には小さなひさしが丁寧に取り付けられています。垂直に立つ柱に対して水平方向に突き刺さる木材の先が雨に濡れたままになり腐食しないようにと工夫されたものです。屋台骨を支える柱の真横に走る貫は強度を増すためものなのにそれが腐っては意味がありません。そのたびに修復を繰り返すのも大変なことです。簡単に取替えられる小さなひさしを付けることで大型修復をせずに舞台を支え続けているのです。1,000年以上に渡って大工さんがとても細やかで心のこもった工夫を施してきたことが、世界遺産・清水寺を支え続けているのです。手作業で1つ1つ取り付けられている沢山のひさしを見ると清水寺を大切に思ってきた大昔の大工さん達の気持ちが伝わってきます。

小さな腐食や虫食いなどで傷んだ柱はその部分だけ切り取って木材を継ぎ足す根継ぎという手法で手当てしています。このように清水寺に関わってきた先人たちはその時々の技術や智恵というタスキをつないで舞台を守ってきたのです。

7.400年後の改修工事に向けて

しかしそうはいってもケヤキの柱にも寿命があります。現在舞台を支えているケヤキの柱は樹齢400年のものが用いられているそうです。ケヤキの角材の耐用年数は樹齢の倍ぐらいだと言われているので、今の舞台を支えるケヤキの柱の耐用年数は800年ということになります。再建されたのが400年前なので、400年後ぐらいに立て直すことが必要となります。しかし400年後に樹齢400年のケヤキの木が確実に手に入るとは限りません。そのため400年後の再建のために今から準備をしています。清水寺は山林の土地を買いケヤキの苗木を植樹しています。この気の遠くなるようなことを平然と日常の生活の中でやっているのが京都のすごいところでもあります。

古都・京都はただ古いものを守るだけの街ではありません。大切にしてきたものを未来永劫存続させるための努力を常にしているのです。現代に生きる京都人も遠い未来を見据えた取り組みを沢山しているのです。彼らは決して過去のものに執着するのではなく、それに価値を与えよりいいものにして後世に伝える努力を怠りません。常に都であり続け新しいものを内外に発信し続けてきた発信力はいつの世も時代の先端を走っていたことでしょう。そして、現代も京都は未来に進む力、物事を前に進める促進力は衰えることを知りません。これこそがかつて都だった京都の底力なのだと思います。

清水寺は2000年に33年に一度の御本尊の御開帳がありました。その時に後世に残せることをと考え、ケヤキの苗木を植えたそうです。当時植樹されたケヤキやヒノキの苗木は6,000本です。400年後に木材として使えるように育つのはそな中でほんの1割とのこと。現在樹齢20年ぐらいのひょろひょろとした木が京都府の北部の山に大切に育てられています。世界的にも有名な清水の舞台裏を支える人の想いや取り組みは1,000年前と変わっていないのです。舞台を支え続けている職人の緻密な仕事の数々、技術の結晶を知ることでまた違った景色が見えてくることでしょう。

8.清水の舞台が崖にせり出して造られた謎

清水寺は778年、まだ京都に都が移っていなかった頃に延鎮(えんちん)という僧が建てた小さなお堂が始まりです。その小さなお堂を後に大改修をしたのが坂上田村麻呂です。日本史上初めて征夷大将軍に任命された人物ですね。実は清水寺の敷地は彼の家の敷地だったとも伝わっています。

田村麻呂がある日、現在の清水寺の近くで鹿狩りをしている時に延鎮と出会います。延鎮は彼が鹿を殺める事を察し説法をしました。田村麻呂は延鎮の説法を聞きこの地にあった自宅を寄進してお寺の本堂にしたといいます。そして彼は本堂を大改修して現在のような形になっていったそうです。

では清水寺の舞台はなぜ、何の為に造られたのでしょうか?それは清水寺があの場所に建っていたということに由来します。

9.千手観音像と清水寺

清水寺の本尊は千手観音です。千手観音がもともといらっしゃる場所は補陀落(ふだらく)という場所です。補陀落はインドの南にある島でそこには八角形の険しい山がそびえ立っていると言われています。日本では、修験道のような険しい山岳で修行することで悟るという「山岳信仰」というものがありました。なので、険しい崖や山々などがインドの南にあるという補陀落と同一視されるようになったのです。千手観音を本尊とするお堂を建てるためには補陀落の地形に見立てたかのような場所が必要だったわけです。

崖のギリギリな地形の場所にお堂や本堂を建てるインドの補陀落にならって、清水寺も当時崖ギリギリに建立されたのです。やがて清水寺は本堂ではおさまりきらないほど参拝客が来る有名なお寺になりました。しかし、元々本堂が崖のギリギリに建っているため、増築する場所がありません。そこで、崖にせり出した舞台のように本堂を増築するという方法がとられたのです。これが「懸造り(かけづくり)」という特殊な建築様式で建てられた清水の舞台です。

懸造りは清水寺だけでなく、山岳信仰を持つお寺などに見ることが出来ます。京都だと狸谷不動尊や、峰定寺などでも、懸造りを見ることが出来ます。崖ギリギリに建ったお寺が増築などをする際にはこの懸造りが用いられるのです。

10.まとめ

清水寺は建てられた場所やその存在感など見た目の魅力もさることながら、沢山の物語があることがその魅力をより際立たせています

時代を超えて人々が清水寺を大切にしてきた想いがあります。それが建築そのものや舞台の設計に表れています。また、人間の寿命をはるかに超えた400年後の未来を見据えた取り組みも始まっています。

今回ご紹介した清水寺の物語の数々はその歴史のほんの極一部です。これだけのことを知っているだけでも清水寺を訪れた時に味わえる楽しみは増えると思います。

清水寺参道からは産寧坂、二年坂、ねねの道を歩いていくと高台寺、円山公園、八坂神社にも行くことが出来ます。知恩院や青蓮院も八坂神社のすぐとなりです。是非、周辺の観光名所と合わせて今一度清水寺に出かけてみませんか?

image by: Shutterstock.com

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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