人と人とが共存していく上で、どうしても欠かせないのが人間関係。もちろん良好ならば問題はありませんが、多かれ少なかれ誰でも人間関係で悩みを抱いたことがあるのではないでしょうか? 難しいのが、導き出した答えが正解なのかどうなのかよくわからないこと。自分ではない他者と接していく以上、人間関係は永遠につきまとう問題なのかもしれません。無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』では、著者の小原一将さんが、実際に経験した人間関係に対する考え方の変化を例に考察。改めて人間関係の難しさを説いています。
久しぶりに人間関係を考えてみる
あまり気分の良くないことが起きたのでそれについて思考してみようと思う。
私のある人への対応がよろしくなかったために、関係性が悪化した。それ自体は人間関係よくあることなのだろうが、ふと昔の自分を思い出したのだ。
昔は、自分の考えがほぼ間違いなく正しいと根拠のない自信を持っており、それに見合わない行動を数度行った人はすぐに見限っていた。直接、その人に対して叱責したり注意をすることはほとんどないのだが、こちらから連絡を取らなくなったり、話をしなくなった。それを当たり前のように行っていた。
しかし、いつのころからかそれを完全に止めることにした。理由はいくつかある。
一つは、自分の考えに絶対の自信がなくなったからだ。昔は正しいことは正しいと思っていたのだが、世の中は正しいことが正しいとは限らない。これは以前のメルマガにも書いた。
別の理由としては、その人が間違った行動をしても、そのときたまたま間違ったかもしれないし、何かしら理由があるかもしれないと思うようになった。
またほかの理由としては、その人はその時点であまり良い印象がない人だったとしても、今後どのように人生に関わってくるか分からない。あえてそのような態度を取る必要はないのではないかということ。
大きな理由としては、不必要に相手を不快にさせて、恨みをかわれてしまってもいけないということである。私だけであればいくらでも対処ができるだろうが、自分の周りにいる人をもし狙ってきたとしたら防ぎようがないかもしれない。そういったリスクは避けたい。
これらの理由から、よっぽどのことがない限り、他人に不快な思いをさせるかもしれない不必要な言動は控えるようになった。
今回の件は、私に非があると感じてなくはないが、相手にひいき目に見ても6対4くらいのイメージである。私はそう思っているのだが、それでも一方的にその人の主張をぶつけられ(言葉はとても丁寧ではあるが)、私もほとんど言い返しはせず丁寧に対応した。それに対して、当然だろうという短い返信しかなかった。
昔であれば、かなり言い返していた気がする。とことん、議論して決着がつくまで引かない気持ちだったが、今はそのような感情が全くない。お互いに相性が悪く、ご縁がなかったのだろうなと思うようにしている。その人を悪いと思うことはなるべくしない。
これまでその人と交流をしていて、とても良い関係だと思っていたのだが残念である。
人間関係とはとにかく難しい。
人間というものは、毎日、毎時間、毎秒揺れる存在だと思っている。その揺れ幅にあまり敏感になり過ぎてもお互いに良くないようにも思う。もちろん、しっかりしないといけないことはするべきなのだが、それだけでは成り立たない。
特に最近は伝達ツールが発達しているが、テキストだけでは全く意思が伝わらないと感じている。自分の言いたいことは伝えているという人がいるが、ほとんどの場合思い込みであって、半分も伝わっていないことが多い。
「伝える」のではなく「伝わる」が重要である。
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