つまり反日を延々とあおっているのは、国民ではなくてこうしたある種の「団体」たちだということを認識しておくべきだという話である。この点は日本の皆さんに大いに強調しておきたい部分だ。一般国民の中にも「骨髄まで」反日っていう人もいるけど、90%以上というか、大部分の韓国の一般の人はそんなに反日ではないのだ。筆者がつきあっている韓国人の100%は反日ではない。もっとも「類は友を呼ぶ」のたとえ通り、筆者の周りに集まってくる人間たちは自動的に日本が好きのタイプになってしまうのかもしれないけれど。
また、李容洙ハルモニの発言の中で筆者が一番印象的なのは、ソウルの日本大使館付近で毎週水曜に開かれている同団体主催の抗議集会、これをこちらでは「水曜集会」といっているが、これについてハルモニが「憎悪だけを教えている。なくすべきだ」と発言した点である。
日本軍は韓国の若い女性を強制か半強制かはわからないけど、とにかく韓国から女性を集めて慰安所で働かせたのは事実だ。事実は事実として認めないと、国際社会では誰も信用しなくなる。認めよう。日本軍は悪いことをしたのだ。だからこそ、2015年12月の安倍・朴槿恵合意があったわけであり、安倍首相は一時頭を下げて「謝罪」までしたじゃないか。しかし数日後にはそのせっかくの謝罪を、まるでそんなこと「しなかったよ」とでもいいたそうな発言をした。これで韓国の民は皆怒った。あのとき安倍がもうすこし、あの合意の線に沿って最後まで慰安婦のハルモニたちのことを配慮して「もうしわけなかった」という態度およびことばを発していたなら、慰安婦問題も、ここまでこじれなかったものと筆者は考えている。
安倍談義をするために書いたのではなかった。慰安婦像をつくり、水曜集会を開いて「日本の野蛮人野郎ども」と声を上げるのは、しかたないと思う。そうでもしないと、彼らの気持ちが収まらないはずだ。
しかし、いつまでそんなことをやっているのかということである。
慰安婦ハルモニたちも、その大部分は、永遠に声を張り上げ日本を責めることを望んでいるのではないことが今回の李容洙ハルモニの発言で、はっきりとわかったんじゃないのか。
そうなのだ。「憎悪だけを教える」のだ。この部分は、本当に筆者の心の琴線に完全に触れた。当事者のハルモニが言ってくれているというのは、説得力がある。「被害者」としては「気が済むまで」やるのが原則だけど、当事者のハルモニさえ、「憎悪だけを教える。集会はやめよ」と言ってるじゃないか。多くの韓国の国民のみなさんも、この李容洙ハルモニの発言を魂で受け止めてほしい。
反対に、日本でやられているヘイトスピーチも、憎悪だけを生み出しなんの解決策も生み出さない。どんな運動であれ、憎悪モードでやるのは百害あって一利なしであることを銘記してほしいところだ。
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