知らないと恥ずかしい日本語「この・あの・その」の考察“あれこれ”

 

だとしたら、これは自分との物理的な距離というより寧ろ心情的な距離感(言い換えればある種の所有感覚)によると説明した方が正しいのではないか。いくら物理的には近くても「何度来ても分かりづらいな」と感じれば、我がもの、我が領分とはとても思えないから「あのビル」と言うだろうし、どんなに遠くにあっても「勿論よく知っている」と感じれば、我がもの、我が領分も同然であろうから「このビル」と言うであろう。

そして、そういった心情的距離はしばしば物理的距離と一致する場合が多いから、特殊な状況を想定しなければ、ほぼ物理的距離によって使い分けされているように見えるのである。

そういった事情を以下にまとめると、

  • 自分のもの、または自分の領分に属すと捉えているもの
     → コ系指示語
  • 自分のもの、または自分の領分には属さないと捉えているもの
     → ア系指示語

とすることができよう。

では、ソ系の指示語はどうであろう。前述のタクシー内では場面に関わらず使うことができた。実はそれはタクシーだからである。そこから運転手という存在を排除し、自分一人で車を運転している状況を想定すると忽ちこのソ系指示語は使えなくなるのである。

「この大通りの…あのビルの辺りだったと思うのだが…」。独り言を言うなら、こんな感じであろう。つまり、ソ系指示語は相手なくしては存在し得ないものなのである。そういった事情をまとめると、

  • 相手のもの、または相手の領分に属すと捉えているもの
     → ソ系指示語

と言うことができるのである。

ここで改めて整理すると

  • 自分のもの、または自分の領分に属すと捉えているもの
     → コ系指示語
  • 相手のもの、または相手の領分に属すと捉えているもの
     → ソ系指示語
  • 自分(またはその領分)にも相手(またはその領分)にも属さないと捉えているもの
     → ア系指示語

となる。

仮に今、それらに新たな名を付けるなら、

  • コ系指示語 = 一人称的指示語
  • ソ系指示語 = 二人称的指示語
  • ア系指示語 = 三人称的指示語

としたいのだが、どうだろうか。

image by: Shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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