加藤厚労大臣は去る8月28日の記者会見で、新型コロナウイルスのワクチンを確保するためには、ワクチン接種により健康被害が生じた際に、国が製薬会社に代わって賠償するための法整備が必要で、閣議了解も得たと話しました。この件について、報じるメディアの論調も含めて異を唱えるのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、製薬会社側のリスクがなくなれば倫理感のタガも外れると危惧。コロナ対応において他力本願ばかりのわが国の政府に嘆息しています。
ワクチン開発のこと
製薬会社にとって経営上の一番の懸案事項は自社の薬による健康被害とそれに伴う裁判そして賠償である。世界的なファーマスーティカル・カンパニーともなると、それらの損金をある程度見越して一事業年度当たり相当額の訴訟・賠償準備金を用意している。逆にこういった恐れがないとすればその企業倫理は莫大な利益を前に容易に消えてなくなってしまうに違いない。
今、創薬の現場で一番ホットなのは新型コロナウィルスに対抗するワクチンであろう。開発に成功するや確実にブロックバスター・ドラッグとなるからだ。ただ、ブロックバスターはその反作用も恐ろしい。売れまくっているだけにひとたび薬害が出ると経営破綻レベルの損失が出るからだ。しかしながら、このリスクあればこそ製薬会社はうっかりすると薄れて行きがちな倫理をすんでのところで忘れないでいられる。自らを律することができるのである。
今仮に当該ワクチンの開発に成功したとしたら言うまでもなく売り手市場となる。各国による争奪戦になるからだ。そうなると終始売り手に主導権を握られたままの交渉となる。何が何でも欲しいとなれば相手にとっておいしい条件を提示するしかない。そこで免罪符の登場である。
「ワクチンを原因とする健康被害の訴訟・賠償の一切はこちらが国として引き受ける」
よく考えるとこれは恐ろしい提案である。逆に製薬会社にしてみれば一番槍さえ立てれば後は売りっ放しの超好条件である。しかもこれを報ずるにほとんどが「国民に安心感を与えるものだ」といった論調である。一体何が安心なのか。国民が原告としてその健康被害を訴えた時、国が被告となって国民の金(つまりは税金)をもって法廷闘争をするのが安心とでも言うのか。国の持久力をもって最高裁まで行かれたら、今日明日が大切な健康被害者はじり貧ではないか。
いや、まだこれはましかもしれない。ワクチン接種後、健康被害が出る前に法律を整備されてしまうようなことになると事実上の泣き寝入りとなるかもしれない。例えばこんなふうにである。
- 死亡は1000万円
- 障害が残る場合は500万円
- 重症例は300万円
- その他軽症例は100万円
法の下、こう一律化されては手も足も出ない。